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<では食べましょうか>
パンとご飯を取り替えてもらった聖女はご機嫌の様子を見せた。
スプーンとフォークを握る聖女をみて、イグが慌て出す。
「や、やはり聖女様に焦げたものは相応しくありません!」
真っ赤な顔でイグは皿を下げようとした。が、聖女にその手をつかまれ、イグは固まる。
「──だめっ」
珍しく聖女が声を発した。
「し、しかし……」
「お米。食べ、たい。……です」
片言だが、力強く発された。その言動と表情の不一致が、妙にかわいく見える……って、容姿に惑わされてはだめだ。
はっと眼鏡の位置を調整して、首をふると、イグの声がひびいた。
「わ、分かりました……。しかし、お口に合わなかったらすぐに下げますので、ご無理なさらないでください」
顔を赤らむイグに頷くと、聖女はワクワクとした様子で、ご飯を口に運び始めた。
ただのお世辞ではなく、聖女は本当にお米が食べたいようだ。
パクパクと元気よく食べる聖女をみて、ふいに混乱する。
明らかに失敗しているものを聖女が美味しそうに食べている。……なぜだ。
興味本位で食べるなら、一口で充分のはず。
無理してイグの機嫌をとっても利点などない。
いくらなんでも、ここまで演じる必要はないだろう。
動揺してもぐもぐする聖女の顔をしばらく眺めたが、その平然とした表情から感情をくみとれず、なに考えているのかわからない。
見た目は残念だが、もしかして案外いけるとか? そう疑い、私も一口食べてみる。
少しばかり焦げているから、逆に香ばしさを引き立て……うん。さすがにそれはないか。
芯が残っているから硬いのか、塊になっているから硬いのかわからない。しかし、歯応えだけは確実だ。
食べられないほどではないが、カリカリするご飯より、やはり柔らかい方がいい……。
イグには失礼だが、これはお世辞でも美味しいとは言えないな。
ちらりと聖女へ視線を滑らせる。
まだ美味しそうに食べている。そんな聖女をみて、後方のセルンは不安げな顔を浮かべた。
それもそのはず。
聖女はコンラッド家の令嬢だ。富に恵まれているから、恐らく一流の料理を食べ慣れている。
口が肥えているとはいえ、硬いものを食べなれていない。
とくに焦げた米は硬いから、それを咀嚼すること自体、ただの苦痛でしかないだろう。
それなのに、なぜここまで無理をするのか……? やはりよくわからない。
戸惑っている間、聖女はご飯を完食した。
「……懐かしい」
満足げにフォークを置き、聖女は呟いた。
……懐かしい? すでに米を食べたことがあるのか?
違和感を覚えたところ、後ろからイグの声が聞こえてきた。
「フェーリネシア、なんて寛大なお心……」
陶酔したような顔で、イグは聖女を見つめる。
本当に重症だ。
そんなイグを見て、セルンが首をひねった。
「……ネシア?」
「つまり救世主のことです」
迷うことなくイグが即答する。
教えた私がいけないのだが、一体どこまでその紛らわしい称号を広めるつもりだ……。一人でこっそりため息を吐き、肩を竦める。
そういえば、聖女はイエスのことを知っているらしかったな。あれは私の空耳だったのか、聖女に聞きたかった。
とはいえ、ドナルドからの圧力もあったし、変に迫ると色々と面倒なことになりそう。
予想外ではあったが、せっかく二人きりになれた今朝の機会を使うべきだったな……。
こっそりそう後悔した時、聖女が紙をかかげた。
<では、計画書の続きをしましょうか>
少しも休もうとしない。
毎日この調子で働くなら、いずれ体を壊す……って、私が心配することではない。
「ああ」
短くそう返すと、そろって応接間へ戻った。
けさ書斎で勝手に一部の書類を拝見させて貰ったが、あれは全部コンラッド家の事業に関連するものだった。どういうことか、聖女は事業の管理を任されている。
それでも、書斎で眠るほど忙しい令嬢など、聞いたことがない。それに、ドナルドはあからさまに利益を重視している。それを分かっているのに、聖女は本気でフクリコウセイの案を通そうとしている。その行動に違和感しか覚えない。
朝からずっと一緒に計画書を書き直してきたから、熱意だけは確か。のだが、それでも聖女の本意がわからない。
単に心の底から利益よりも労働者のことを考えて……いや、ありえない。
そもそも彼女は聖女などではなく、ただの令嬢だ。しかもコンラッド家は我が国に戦争の火種を撒いた元凶。その事実を忘れてはならない。
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