35. 嫌な予感

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<では食べましょうか>  パンとご飯を取り替えてもらった聖女はご機嫌の様子を見せた。  スプーンとフォークを握る聖女をみて、イグが慌て出す。 「や、やはり聖女様に焦げたものは相応しくありません!」  真っ赤な顔でイグは皿を下げようとした。が、聖女にその手をつかまれ、イグは固まる。 「──だめっ」    珍しく聖女が声を発した。 「し、しかし……」 「お米。食べ、たい。……です」  片言だが、力強く発された。その言動と表情の不一致が、妙にかわいく見える……って、容姿に惑わされてはだめだ。  はっと眼鏡の位置を調整して、首をふると、イグの声がひびいた。 「わ、分かりました……。しかし、お口に合わなかったらすぐに下げますので、ご無理なさらないでください」  顔を赤らむイグに頷くと、聖女はワクワクとした様子で、ご飯を口に運び始めた。  ただのお世辞ではなく、聖女は本当にお米が食べたいようだ。  パクパクと元気よく食べる聖女をみて、ふいに混乱する。  明らかに失敗しているものを聖女が美味しそうに食べている。……なぜだ。  興味本位で食べるなら、一口で充分のはず。  無理してイグの機嫌をとっても利点などない。  いくらなんでも、ここまで演じる必要はないだろう。  動揺してもぐもぐする聖女の顔をしばらく眺めたが、その平然とした表情から感情をくみとれず、なに考えているのかわからない。  見た目は残念だが、もしかして案外いけるとか? そう疑い、私も一口食べてみる。  少しばかり焦げているから、逆に香ばしさを引き立て……うん。さすがにそれはないか。  芯が残っているから硬いのか、塊になっているから硬いのかわからない。しかし、歯応えだけは確実だ。  食べられないほどではないが、カリカリするご飯より、やはり柔らかい方がいい……。  イグには失礼だが、これはお世辞でも美味しいとは言えないな。  ちらりと聖女へ視線を滑らせる。  まだ美味しそうに食べている。そんな聖女をみて、後方のセルンは不安げな顔を浮かべた。  それもそのはず。  聖女はコンラッド家の令嬢だ。富に恵まれているから、恐らく一流の料理を食べ慣れている。  口が肥えているとはいえ、硬いものを食べなれていない。  とくに焦げた米は硬いから、それを咀嚼すること自体、ただの苦痛でしかないだろう。  それなのに、なぜここまで無理をするのか……? やはりよくわからない。  戸惑っている間、聖女はご飯を完食した。 「……懐かしい」  満足げにフォークを置き、聖女は呟いた。  ……懐かしい? すでに米を食べたことがあるのか?  違和感を覚えたところ、後ろからイグの声が聞こえてきた。 「フェーリネシア、なんて寛大なお心……」  陶酔したような顔で、イグは聖女を見つめる。  本当に重症だ。  そんなイグを見て、セルンが首をひねった。 「……ネシア?」 「つまり救世主のことです」  迷うことなくイグが即答する。  教えた私がいけないのだが、一体どこまでその紛らわしい称号を広めるつもりだ……。一人でこっそりため息を吐き、肩を竦める。  そういえば、聖女はイエスのことを知っているらしかったな。あれは私の空耳だったのか、聖女に聞きたかった。    とはいえ、ドナルドからの圧力もあったし、変に迫ると色々と面倒なことになりそう。  予想外ではあったが、せっかく二人きりになれた今朝の機会を使うべきだったな……。  こっそりそう後悔した時、聖女が紙をかかげた。 <では、計画書の続きをしましょうか>  少しも休もうとしない。  毎日この調子で働くなら、いずれ体を壊す……って、私が心配することではない。 「ああ」  短くそう返すと、そろって応接間へ戻った。  けさ書斎で勝手に一部の書類を拝見させて貰ったが、あれは全部コンラッド家の事業に関連するものだった。どういうことか、聖女は事業の管理を任されている。    それでも、書斎で眠るほど忙しい令嬢など、聞いたことがない。それに、ドナルドはあからさまに利益を重視している。それを分かっているのに、聖女は本気でフクリコウセイの案を通そうとしている。その行動に違和感しか覚えない。  朝からずっと一緒に計画書を書き直してきたから、熱意だけは確か。のだが、それでも聖女の本意がわからない。  単に心の底から利益よりも労働者のことを考えて……いや、ありえない。  そもそも彼女は聖女などではなく、ただの令嬢だ。しかもコンラッド家は我が国に戦争の火種を撒いた元凶。その事実を忘れてはならない。
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