35. 嫌な予感

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 聖女はどこにもいる、ただの令嬢……にしては、腰が低すぎる。  付き人らとも親しくしているようで、とくにセルンは聖女から一瞬も目を離そうとしない。演技にしてはよくできすぎだ。    反対側に座っている聖女の顔を眺めていれば、ふと清楚という言葉が頭をもたげた。  感情を顔に表さないのに、聖女はいつも生き生きとしていて、手振り身振りでなんとなく気持ちが伝わってくる。純粋な雰囲気を醸し出す女性は苦手のはずなのに、不思議と聖女の顔はずっと見ていられる。  真っ直ぐで、宝石のような青藍の瞳は瞬くたびにキラキラと輝く。  ペンを動かす反動でゆらゆら揺れる艶やかな黒髪。それを耳の後ろにかける聖女の何気ない仕草に、思わず息を呑んだ。  だめだ。少し、疲れたかも……。    聖女から目をそらして、丸眼鏡に手をかけたところ、 「……まだここにいたのか」  凛としたニロ王子の声が響いた。  ドナルドとの話が終わったのか?  ソファから立ち上がり、王子と辞儀(カーテシー)をする。  まだ二人とも王子という対等な関係だが、私はもうじき即位式を迎える。  形式上、私のほうが立場的には上だ。それを踏まえて、王子は私に敬称をつけている。  とはいえ、王国は我が国より遥かに豊かで、強国だ。  その玉座にニロ王子はいずれ座る。権力の面でいうと間違いなく私を勝るから、もう少し砕けた態度で接してもいい。それなのに、ニロ王子はしきたり通り、礼儀よく振る舞ってくれる。  聖女のことで微妙な関係になったが、ニロ王子はよくできた人間だと、素直に思える。  挨拶のあと、王子はすぐさま聖女に関心を向けた。 「……フェーリ? ……フェーリ」  呼びかけに反応しない聖女を見て、はあ、と王子はため息を漏らす。 「セルン、フェーリはしかと飯を食したのか?」 「……はい。先ほど召し上がりました」  セルンの返事をきき、王子は満足げに微笑んだ。 「そうか。余との約束を守ってくれたのか……」   「僭越(せんえつ)ながら、お嬢様はいつも通り自分の作った夕食を取られただけです。ニロ様との約束など、まったく関係ないかと」 「ふぅん、そうだな。しかし、それは其方の料理が食べたくて食べたのではなく、フェーリは余の言葉を聞いて、食べたのだ。厳密にいえば、其方の料理でなくても、フェーリは余との約束どおり夕食をとっていたであろう。そのちがい、分かるか?」 「……はて、なにがちがうのでしょう」  笑顔をひきつったセルンを見て、王子は片頬に笑みを浮かべた。  王子は聖女の側近と親しいのか……?  王子と聖女に関する情報を集められなかったが、2人はだいぶ親密な間柄のようだな。  そう思った時、ニロ王子と目があった。 「ジョセフ殿下。貴殿とちと話したいことがある。場所を移動してもよいか?」    王子の清々しい笑顔は、何気なくドナルドと同じ匂いがする。その笑みに嫌な予感しかしないが、断るわけにもいかない。 「ああ」  無我夢中に計算をすすめる聖女を流しみ、王子と別の部屋へと移動する。
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