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36. 事実無根
********【ジョセフ・オーウェル】
イグと共に二階の部屋に入ると、そこには案の定ドナルドの姿があった。
厚みのある柔らかい絨毯を足で踏みながら、順序よく並ばれている豪華な書棚を通り過ぎる。
ソファに腰をおろすと、ガラステーブルの上に用意された上質な紅茶の香りがふわりと漂ってきた。
落ち着いた雰囲気で辺りを見渡せば、綺麗に収納されている数多くの書物が目に映った。書類で溢れ返る聖女のところと違って、整理整頓されているこの部屋は多分ドナルドの書斎だ。
「ジョセフ殿下。貴重な時間を感謝する」
「いいえ」
正面のソファに座っているニロ王子とドナルドに軽く頷き、
「それで、私と話したいことは何ですか?」
用件に入ることを促す。
この二人と同じ空間にいるだけで息が苦しい。
急な会話で何を狙っているのかわからないが、きっと私が得するような話ではないだろう。
「ふむ。そうだな。甘んじて単刀直入に言おう。ジョセフ殿、余は貴殿の誤解を解きたいのだ」
「私の……誤解?」
藪から棒の話にすかさず眉をしかめる。
「ふむ。まずはこれを読みたまえ」
そう言って王子は一枚の紙を差し出してきた。これは……令書? 紙の端に押された王国の印影が目に飛び込み、更に眉根を寄せてそれを手に取る。
「ストロング一家の追放令?」
忌々しいあの一家の名前を目にして、不愉快な口調で聞き返す。今更8年前に発布されたこの令状を見せてどうするつもりだ?
最初から我が国を苦しめた内戦の一部始終を企てたのは王国だ。そのことを私が把握していないとでも思っているのか?
「まあそう焦るな。ここを見たまえ」
不快に思いながら、王子が指差すところに目を落とす。
「追放先……プロテモロコ……?」
「そうだ。この通り当初の予定では貴殿の国、テワダプドルではなく、彼らの追放先は西に位置するプロテモロコと決めていたのだ」
「……即ち彼らは自らの意思で我が国を選んだ、王国とは関係ない、と言いたいのですか?」
「ふむ。そうさ。貴殿も存じの通り、そもそも事前連絡もなしに罪人を他国に送り出すことなど尋常ではない」
王子の言う通り、基本的に外交のない国の罪人を受け入れることはない。にも関わらず、ストロング一家はノコノコと我が国にやってきては何一つ不自由なく宗教活動に専念できた。それはなぜだ?
水面下で我が国の貴族と交流を持っているコンラッド家が後ろで糸を引いているから可能になった。それしか方法はないだろう? そして当たり前だが、金が無ければ戦争には勝てない。
6年に及ぶ宗教戦争で聖女教が負けずに耐えられたのも恐らくコンラッド家からの金銭的な支援があったからだろう。
新しい国教を迎え入れて混乱する我が国をどう利用するつもりかは不明だが、すべては王国が企てたことに違いない。
「ジョセフ殿下。貴殿はどうやらまだ勘違いをしているようだからはっきりと言わせて貰おう。王国は貴殿の国で起きた内戦とは一切関与していないのだ」
「……ああ、そうですか。それが誤解ですか」
追放令をテーブルに戻して軽く鼻先で笑う。
王国との外交関係が悪化しても自力で経済の復興をどうにか図ることはできる。しかし、既に国教となった聖女教とうまく付き合っていかなければ我が国はいつまで経っても安定しないだろう。
だから当然ながら次期国王である私は聖女、ひいてはその背後にあるコンラッド家と良い関係を結ぶ必要がある。王子はそれをわかった上であくまでも善人を演じたいのか? 何が誤解だ、馬鹿馬鹿しい。
異論を唱えることなく、もうわかったから話をささっと終わらせてくれというつもりで二人を見つめる。
「ジョセフ殿下、冷静になって話を聞きたまえ。王国もコンラッド家もストロング一家を支援していない、これは紛れもなく事実だ」
誠実さに満ちた王子の面持ちに呆れ果てて、到頭心の奥底でくすぶっていた感情を抑えられなくなった。
「ここまで言うなら私も率直に言わせてもらいます。ニロ王子。何の支援もなしにストロング一家が我が国に堂々と入国して宗教戦争に勝つことはまず有り得ません。それをわかった上で関与を否定しているのですか? そもそも聖女教が国教となることで一番得しているのは誰ですか? 王国ではないとでも言いたいのですか? コンラッド家は聖女の影響力を使えばある程度我が国を束縛できるのですよ? わざわざ自分の娘を聖女に祭り上げて無知な──」
「──ジョセフ様!」
勢いで語気が強くなったところ、背後からイグに肩を掴まれた。
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