36. 事実無根

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 あ、やってしまった。  王子とドナルドの前で素直な心情を漏らしてしまった……。これはとんでもない失態だ。  戦争で苦しむ人々のことを思うと、つい冷静でいられなくなってしまう。これは、もはやただの悪い癖だ。  ぎゅっと拳を握って、静かに息を整える。  イグの言うとおり、国民にとって聖女の存在は大きい。  聖女教を国教とした時点で我が国の負けだ。ここで戦争の責任を追及しても仕方がない。  落ち着きを取り戻し姿勢を整えると、 「娘の影響力で束縛ね……。ええ、確かに利益の面で考えると、興味をそそられる話です。しかし、残念ながら、それでもあの一家を支援しようとは思えませんね」  一口紅茶をすすり、はすむかいのドナルドが柔らかい笑みを浮かべて見せた。 「……それは何故ですか?」  訝しげにそう訊ねると、ドナルドはカップで口元を隠して、言った。 「そうですね。……なぜなら、娘に怖い思いをさせた彼らに豊かな暮らしをさせるほど、私は寛大ではないからです」  温厚な語調だが、激しい怒気を帯びていた。  ……ドナルドが、激怒している?   娘の話になると案外感情的になるんだな。  どうやら、ストロング一家が不純な動機で聖女を誘拐したというのは本当だった模様。  そしていまのドナルドの反応からすると、即座に死刑を実行しようとしたのもまた事実か。  なるほど。それで聖女の許しを得てあの一家は命拾いをした。ただの噂だと思ったのだが……。  全ての罪を許す救いの手、まさか聖女教の謳い文句にもある程度の真実を含んでいるとは。  しかし命を救われたとはいえ、最終的には爵位を剥奪され、彼らは国外に追放された。全ての罪が許されたわけではないのに、それでもストロング一家は彼女を崇拝して聖女に喩えたというのか? ……それだけで?   ちらりと2人の様子を確認すると、私の視線に気づいたニロ王子はおもむろに唇を開いた。 「実を言うと、いかなる経緯で彼らがフェーリを聖女にしたのか、余もよく分からない。ただし一つだけは断言できる。それは我々とは関係ないことだ」  誠意の込めた口調だった。  もしこの2人が偽りを語っていないのであれば、何だかの理由でストロング一家は我が国を選び、そして知らない方法で密入国を果たした。  ところが、追放された彼らはツテも金も持っていない。新しい生活を始めるのも苦労するはずなのに、彼らは短期間で地盤を固められた。  もしコンラッド家ではなければ、ストロング一家を助長したのは一体誰だ?  指を組み思考を巡らせる。  聖女はコンラッド家の息女。そんな彼女を聖女に祭り上げても、得するのは王国のみ。支援を行ったのは王国ではなければ、ほかの国からの思惑……という線は薄いか。  まさか、これは国内の仕業?   我が国の一部有力な貴族はこの戦争で大きな打撃を受けた。  ということは、ストロング一家を支援したのは生き残っている貴族。    宗教戦争で何かしらの利益を得ようとする、我が国の有力な貴族。  そんな者は……。 「ジョセフ殿下。余の情報が間違いではなければ、内戦によって弱体化した公爵家は皆、貴殿の王位継承権に異を唱えた者だ。これはただの偶然か?」  真剣な口調で、王子が確認してきた。  その顔へ視線を固定して、無言で睨みつく。  私は正室の王子ではない。  政治上の都合で、子供の頃から王の弟、クニヒト宰相の家に預けられ、密かに育てられたのだ。しかし、有力な公爵家の息女である正室はいつまで経っても息子を授けることはなかった。  お陰で子供の頃から公爵家の連中に命を狙われ、その都度イグに助けられたのだ。そうして10年前、私は18歳を迎えた。クニヒト宰相の後押しを受けて、やっとの思いで王位継承権を手に入れた。だが、それでも公爵家共は私を否定し続けたのだ。 「ジョセフ殿下。貴殿が反対を押し切って王位を継承すれば公爵家は間違いなく反乱を起こす。どの道テワダプドルは内戦を避けられない。……されど、偶々その前に宗教戦争が勃発し、貴殿を反対する公爵家のみが打撃を受けた。これはなんという幸運だ。貴殿もそう思わないか?」  淡々と王子が言葉をつづけた。  なんてあざとい言い方だ。私を試しているのか?  平然とする王子の顔を見て、嫌な胸騒ぎを覚える。
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