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38. 朝の香り
********【フェーリ・コンラッド】
ここは、どこ……?
たゆたう意識の中、どこからともなくコスモスの匂いが鼻孔をくすぐる。懐かしい。これはあの時王城で嗅いだ……。
『フェーリ』
……誰?
周囲の地面を這う白く冷たい霧を肌で感じながら、茫然と辺りを見回す。
『フェーリ……』
私を呼んでいるのは、誰……?
『……余は…ーおしい』
……ニロ? ……ニロなの?
『──しから──えが』
なに? うまく聞き取れないよ。
『ただの仲間なんでしょう?』
ニロ……じゃない。誰……?
『恥ずかしくないの?』
誰なの……。
『甚だ図々しいわ!』
ふいに耳をつんざくような雑音が鳴り響く。
ゆっくりとうねる霧のうちに、人影のようなものが次から次へと現れては消えてゆく。
見覚えのある光景。
これは、夢……? 昨日と同じ夢なの? ……なんで?
怖気づいてその場から逃げようとしたが、手足が見えないものに束縛されているかのように、まったく身動きが取れない。
『本当、嫌らしい女ですこと』
あの時の令嬢。やはりこれは夢だ……!
視界が歪み、どっと八方から嘲笑の声が飛び交う。
嫌だ。なんで目が覚めないの? 夢だとわかっているのに、怖い……。
息が苦しい。誰か、起こして……。助けて──
──ニロ……!
「──じょ、──せいじょ?」
肩を揺さぶられ、ぱっと目を開くと、不安げな表情のジョセフがみえた。
悪夢でばくばくと脈打つ胸に手を当てて、乱れた呼吸を一生懸命整える。
「……大丈夫ですか?」
ジョセフにこっくりと首肯して、テーブルからやおら身を起こす。
落ち着きを取り戻して、再び書斎に現れたジョセフに小首をひねると、その意図に気づいた様子で、ジョセフが言った。
「たまたま前を通ったら、中からうなされる君の声が聞こえたので、勝手に入りました。すみません」
そうか。あんなに私を無視していたジョセフが心配してくれたんだ……。
<助かりました。ありがとうございます>
嬉しそうな手振りで礼を伝えると、
「書斎で寝るとまた怒られますよ」
ジョセフは乾いた笑顔を浮かべ、くるりと部屋から出ようとした。ひどく疲れているようね……。
またよく眠れなくて起きてしまったのかな?
起こしてくれたお礼にと閃いて、その裾をつかむ。
<少々、お待ちください>
セルンお手製のティーコージーで保温された紅茶に手を伸ばし、カップに傾けると、ふんわりと香ばしい湯気が立ちのぼった。そのなかに蜂蜜をたっぷり混ぜて、ジョセフに手渡す。
いつも書斎にこもる私のために、セルンが常備してくれた紅茶セットだ。
<ついてきてください>
よく分からない顔のジョセフにそう伝えると、自分のカップを両手で包み込んで、屋敷の外へと足を運ぶ。
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