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裏口の階段から中庭に降りると、立派に咲き誇っている花の甘い香りに包まれた。
手に持っている紅茶を口に含み、夜明け前の爽やかな風を堪能する。
朝の心地いい匂い。
ゆっくり歩を進めると、さっとあたりを見回して、ジョセフが眉をよせた。
「聖女、どこへ行くのですか……?」
「中庭、です」
「中庭……?」
はい、のつもりでこくり頷くと、ジョセフは歩く足を止めた。
「……中庭に何かあるのですか?」
訝しむジョセフにコクコクと肯定してから、
「庭師が、育てた。……美しい、花が、……あります」
頬の痛みに耐えながら、自信満々にそう言ったら、「え?」となぜかジョセフが固まった。
あれ、変なこと言ったかな?
仕方なく近くのベンチに腰をかけて、手にしているカップを一旦置く。
<眠れず散歩するなら、美しい花が咲いている、中庭の方がいいと、ニロが言っていました>
段々と身に馴染んできた手話でそう説明すると、ジョセフは確認するように花園を見渡し、萎びたように肩をすぼめた。
「……冗談、ではなさそうですね」
なんだかガッカリしてる……?
もしかして、ジョセフは屋内で散歩する派なのかな?
困り顔のジョセフを見上げていると、何かを諦めた様子で、ジョセフは私の隣に腰を下ろした。それから紅茶をすすり、ほぉ、と小さく息をこぼす。
「……美味しい紅茶ですね」
<ありがとうございます。長時間置いても、美味しくなるように、セルン、……側近が、工夫してくれました>
誇らしげの私をみて、「……そうですか」とジョセフは可笑しそうに小さく笑った。
それから夜空を見上げて、もう一口紅茶を啜った。その表情はひどく憂いてみえる。
眠れないから困っている、わけではなさそうね。
……何かあったのかな?
しばらく沈黙がつづいたのち、ジョセフは手に持っている紅茶を見下ろして、私をみた。
「……イグからすべてを聞きました。盲目的、被害妄想。……正にニロ王子の言う通りです」
そう呟くジョセフの黒い瞳には、悲哀の色を濃く漂わせていた。
……盲目的、被害妄想?
『盲目的に彼女を戦争の引き金と決めづけるなど、被害妄想もいいところだ』
私を庇って言ったニロの言葉か……。
戦争の引き金。緊張と混乱のせいにして忘れようとした言葉。
『戦争で多くの人が死んでいるのですよ、知らない関係ないで逃げるつもりですか?』
思い出さないようにしていた食事会の光景がまざまざと瞼に浮かぶ。
実はジョセフが私を忌避する理由を薄々気づいていた。
彼の国の平和を壊した宗教戦争──私の名の下に始まったその戦争が原因だ。
心の底でわかっていたけれど、怖くて認めたくはなかった……。
『この世界はもうお前が生きたあの世界ではないのだ』
8年前、一度ニロにそう言われたはずなのに、未だに私は戦争というこの世界の現実から眼を背けようとしている。
ニロと指切りをして、甘かった自分とおさらばすると決めたのに、なにも変わってないじゃない……。
ぴくりと紅茶を握りこんだところ、ジョセフは辛そうな顔で、頭を下げてきた。
「君を誤解して、失礼な態度をとってしまいました。本当にすみません……」
<いいえ。誤解、ではありません。宗教戦争の話であれば、私にも責任があると思います>
勇気を振り絞り、ジョセフを仰ぎみれば、そこには困惑の色があった。
「君の責任……?」
<はい。私を聖女とする、宗教が、戦争に関わっていたのであれば、知らない、関係ないで逃げるわけには、いきません>
せっせと手を振って、説明を加える。
<ジョセフ様が、私を嫌いになるのは、当然のことです。知らなかったとはいえ、私の名の下に行われた戦争で、たくさんの人が死にました。ですから、私にも、責任が、あります>
無表情だろうけど、切実な気持ちを手話に込めてジョセフに伝えた。
「もしかして、まだ王子から聞かされてないのですか……?」
<なにをですか?>
小首を傾げると、ふぅ、とジョセフはため息をつき、私から目をそらす。
「もうすぐ君の耳にも入ることでしょう。ここで茶を濁しても仕方ありません。実はさっきイグから…ー」
覚悟を決めた風で、ジョセフが淡々と語り出した。
その話に衝撃を受けて、身体の芯が雷に打たれたかの如く痺れた。
予想だにしなかったものの、これは政治に触れる千載一遇の機会だ。逃してはならない、と開き直って、こくこく頷きながら、頭をフル回転させる。
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