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39. はじめての交渉
姿を隠した太陽の残照で雲は橙黄色 に染まった。
窓からその景色を見やりながら、テーブルの上で散乱する紙をかき集める。
トントンと軽くテーブルに打ち付けて、端を揃えた紙束を勢いよく前に突き出す。
……できた!
今朝ジョセフと別れた後、セルンとモンナにバレることなく部屋に戻れた。
そして、昨日と同じように朝の支度を終えて応接間に行ったが、昼すぎになってもジョセフとイグは現れなかった。
諦めて書斎に篭り、ひとりで計画書をかき進めたのだ。
よし、完璧だ! これならきっと社長も許可してくれるわ!
完成した計画書をぎゅっと抱きしめて達成感に浸っていると、コンコンと扉が叩かれた。
「もう終わったの?」
部屋に入ってきたセルンにそう問われ、嬉しそうに頷くと、セルンはにんまりと笑った。
心なしか背後に黒いモヤのようなものが見える。……な、何かを企んでいるの?
「はい、これ」
警戒する私の前に、セルンは白磁の美しいお皿を置いた。
……こ、これは……。
色とりどりのベリーを添えて綺麗に盛り付けられているチーズケーキ。
それを見て当惑すると、セルンは更に顔を綻ばせた。
何故こんなにも嬉しそうなの?
「今日のは特別だぜ。早く食べて感想を聞かせて!」
特別って……特に甘いってことだよね、多分。
だって、セルンのケーキは確実に日に日に甘くなっているんだもの……。
息を呑んで紙に字を書いた。
<甘い、かな?>
「大丈夫だいじょうぶ! とりあえず食べてみなよ!」
言いながらセルンはフォークを差し出してきた。
ああ、言わなくても匂いでわかる。
これは間違いなく甘いやつだ。
正直もうそろそろ無理して食べられるような甘さではないんだよね……。
三日ぶりの自信作みたいだけど、……やはり食べないといけないのかな?
ちらりとセルンの顔を覗けば、そこにはピカピカと白い歯が溢れていた。
う、めっちゃ期待されてる……。目が眩しいよ、どうしよう。
上の者としての義務。ニロが言っていたじゃない。
セルンはいつも私を支えてくれた。彼が喜ぶなら、甘いケーキくらいむしろお安いご用だよ。そ、そうだよ! セルンのためだ。頑張ろう!
覚悟を決めて一口食べた。
コクのあるチーズは舌の上に乗せるだけでとろりと溶けて、たっぷりとバターを吸い込んだビスケットと共にしっとりと、ほんのり甘いバニラの香りが口いっぱいに広がった。
甘くて濃厚なのにしつこくない……。
何これ、驚くほどバランスの取れた味だ!
「すごく……美味しい」
予想と反する美味しさにふと賛美の声を上げれば、すぐさまセルンが口を開いた。
「……このケーキ、好き?」
こくこく首肯すれば、ぱぁとセルンが笑顔を称えた。
「本当に好き⁈」
「……うん」
「甘くても好き? なあ、ニロ様のケーキより好き⁇」
ニロが持ってくるケーキはまったく甘くないから、比較対象にならないと思うけど……。
「うん」
とりあえず肯定した。だって、セルンが嬉しそうだもの。
「は、まじか……。は、あはははっ! ……やった〜!」
溢れんばかりの笑みを浮かべて、セルンは躍り出す勢いでガッツポーズをする。
「ククク、やってやったぞ! これでオレの勝ちだ!」
勝ち? 勝ちってなに、私に勝ったってこと?
思わず首を傾げると、セルンは私の頬に手をかけ、とろけるような笑みを浮かべた。
「甘くてもお嬢が気に入ってくれるケーキ。王国内外を探しても、恐らくこれを作れるのはオレだけ。いくらあの王子でもマネできない、オレだけの特権。クククッ、8年も頑張った甲斐があったぜ!」
声が小さくて端々しか聞き取れなかった。
真似できない、セルンの特権?
よく分からないが、そう言えば、いつか甘くても私が気に入るケーキを作って見せるとセルンが言った気がする。
そうか、あれは宣戦布告だったのね……! なるほど。
<完敗だよ、セルン>
「……え、完敗?」
私の文字を読んで、セルンは怪訝な表情を浮かべた。
<うん、セルンの勝ちだよ!>
紙を置いてパチパチと手を叩くと、セルンはハッとしたように声を上げた。
「えそっち⁈ いや、違う、いまのはお嬢にじゃなくてさ! いまのは、ニっ、ニっ……うぐぐぅっ……」
何を慌てているのだろうと思ったら、今度は悔しそうな表情を浮かべて、セルンは不服そうに頬を膨らませた。
……に? なに? 何が言いたいのか、よく分からない。
しかし、ひどくがっかりしているようなので、とりあえず話題を変えてみた。
<でも不思議だね、セルン。このケーキ、甘いのに美味しいわ>
素直にもう一度褒めると、案の定セルンは瞬時に立ち直った。
「ふふ〜ん、そうだろ? 市販では絶対に手に入れない、俺がお嬢のためだけに作った特別なケーキなんだぜ」
<ありがとう、セルン。ちなみに、これはどうやって作ったの?>
私は甘いものがダメなのに、なんで美味しく感じたのだろう?
気になるわ。
「知りたい?」
こっくり頷くと、
「そうか。それはな……」
とあたりに目をやってから、セルンは私の耳に顔を近寄せてきた。
何だろう?
耳元で言わなくても、部屋には二人しかいないのに。
そう思ったところ、首筋に熱い吐息が吹きかかった。
「……ヒ ミ ツ」
囁きながらイタズラげに笑う妖艶な唇が目の端に飛び込み、かあ、と顔へ血が沸きあがった。
ああ、もう……!
セルンったら、また私をからかって……本気で聞いたのに、いじわるだわ……。
無表情だろうけどむっとしたつもりで彼の顔を見上げた。すると、セルンは「ククッ」と笑い、それはそれは幸せそうな表情を浮かべた。
あ、あの……色気がダダ漏れだよ、セルンさん。
さすが、屋敷のメイドたちを虜にした男。……恐るべし。
秘密にしないで教えて……とせがみたいところだけれど、胸がドキドキしてまともに彼の顔を見れない。
諦めて、一心不乱にケーキをぱくぱく食べた。
セルンは自分の魅力をよく分かっていて、私をからかう。いつもずるいわ。
そうして、丁度最後の一口を呑み込んだところ、扉越しにメルリンの声が響いた。
「お嬢様、ドナルド様がお呼びです。いますぐ応接の間にお越しください」
ん? 社長の書斎ではなくて応接間?
つまり、ジョセフもいるってことなのかな?
すかさず椅子から立ち上がり、まだ微かに熱を帯びる頬でセルンと共に一階へと急いだ。
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