Ⅰ 北海の国

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Ⅰ 北海の国

 聖暦1580年代末晩秋。神聖イスカンドリア帝国領の北方・ヴァリャト海……。 「――なぜです!? なぜ、かような所まで出向かねばならぬのですか!?」  世界最大の版図を誇る大海洋国家・エルドラニア帝国配下の〝白金の羊角騎士団〟副団長アウグスト・デ・イオルコは、今日も今日とてラテン系のダンディな顔を歪めて不満を口にしている。  ただし、今日はいつもの馬の背の上ではなく、暗く冷たい北の海を行く船の甲板上である。  頑丈なオーク材で造られた、平底で横帆のマストが一本だけある北方特有の〝コグ船〟と呼ばれるものだ。 、  また、今の彼は普段着ているキュイラッサー・アーマー(※胴・上腕・太腿のみを覆う対銃弾用の分厚い鎧)に〝神の眼差しを左右から挟む羊の巻き角〟の印章が描かれた純白の陣羽織(サーコート)という羊角騎士団の制式装束ではなく、クリーム色のプールポワン(※上着)に茶のフード付きマントという、いたって地味な格好をしている。 「だから、我らが乗る船(・・・・・・)の操舵手をスカウトするためだと説明したろう? その相手が帝国領内ではなく、〝デーンラント〟にいるのだから仕方あるまい」  憤るアウグストに答えた羊角騎士団の団長ドン・ハーソン・デ・テッサリオも、やはり今日は白いプールポワンにクリーム色のマントという、いつにない出立だ。 「でも、操舵手ならば、航海術に長けたエルドラニアの方が良い人材が揃っているように思えるのですが……なぜ、そうまでしてそのデーンラント人に拘るのですか? 確かにデーンラントにも船乗りは多いですが、優れた航海士のように海や風の悪魔を使役するのが得意だとか?」  また、同様に騎士団の甲冑と白装束ではなく、黒い修道女服の上に灰色のマントを羽織ったハーソンの腹心メデイアも、顔を覆う薄布のベールの隙間から怪訝そうな眼を向けて彼に尋ねた。 「いや、その点で言ったらむしろ逆だな。やつは……名をティヴィアスというんだが、そいつは船を操るのに悪魔(・・)の加護を必要としない」 「え!? それじゃあ、魔導書を使わずに航海するというんですか?」  だが、さらっと答えるハーソンのその言葉に、その修道女服に反してじつは〝魔女〟だったりするメデイアはさらに疑問を大きくさせられることとなる。  この時代、航海をするのには風や海を支配する悪魔の力を味方につけるのが必要不可欠とされていた……。 いや、航海だけでなく、農業や工業、軍事に到るまで皆そうだ。神羅万象に宿る悪魔(※精霊)の加護なくしては、なかなか万事うまくゆかないのである。
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