1.出会い(続)

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* * * (しば)し己の苦い過去を振り返り、 沈黙に(おちい)っていた忍を我に 返らせたのは、尊の「そうだ!」という 声だった。 「……どうした?」 握りしめていた両拳を解き、顔を上げて みると、彼は向かいのベッドに寝ている女 を手のひらを反して示した。 「彼女、今日から入院することになった 京極佳乃(きょうごくよしの)さん。 年も近いし、何かと話し相手になって もらってるんだ」 佳乃はベッドに背を持ち上げられたまま、 不自由そうに首だけを軽く曲げて会釈した。 忍もそれに応じて丁寧に頭を下げ、彼女を 見やる。 歳は10代後半から20代前半くらいだろうか。 僅かにつり上がったアーモンド形の目に、 スッと通った鼻筋。 薄く施されたファンデーションは、童顔なの にも関わらず、その色白で端正な顔立ちを よく際立たせている。 肩よりも少し長めの黒髪は、1つに束ねられ 左肩に流されていた。 そんな細かい観察眼をおくびにも気付かせず、ついと向けていた視線を外す忍。 すると今度はそんな彼に、尊の手のひらが 反され示された。 「こっちは俺の兄の、 結城忍(ゆうきしのぶ)。 俺にとって、この世で一番尊敬する人」 その言葉に、驚きのあまり思わず忍は 尊の顔を凝視する。 その視線を受け止めた彼は、ニヤリと からかうような笑みを見せ、 「あ、何なら俺の小学生の時の作文、 読もうか?」 「馬鹿、止めろ!それだけはっ……」 「“ぼくのそんけいする人”」 忍の制止はあえなく無視され、自身のスマホ を操作した尊は続きを読み上げていく。 「“それはお兄ちゃんの、しのぶくんです。しのぶくんは、とてもすごいと思います。 なぜなら……”あ、ちょっと!」 力ずくで尊からスマホを奪い取った忍は、 冷静にロックの暗証番号を変更し始めた。 するとクスクスと鈴を転がしたような笑い声 がし、忍と尊がそちらを見やると佳乃が 口元に右手を当てて微笑んでいた。 「仲がいい、ご兄弟なんですね」 その上品で女性らしい仕草に、先程覚えた 印象との軽いギャップを感じた忍は、久しく 驚きを隠せなかった。 といっても、1つ瞬きしたのみだったが。 そんな忍の胸中など知るよしもなく、尊は 佳乃を見つめたままの彼の肩を組んだ。 「でしょう?」 全くと呆れたように腕を組んだ忍は、病人とは思えない程、陽気に兄をされるがままにする弟へ視線を移す。 すると尊は「ほらね」と言うように、忍に 目配せした。 「どう見ても、俺たちは 兄弟、でしょ?」 そのどこか含みのある言い方に、忍はまさか と彼の顔を見張る。 「お前……」 「母さんがまだ佳乃さんを知らなくて 良かったよ」 やはりそういうことか、と忍は確信した。 つまり尊は、明日病院に来る義母に対して、佳乃から自分たちは兄弟と話題に上げてもらうのだ。 そうすれば、義母はあの場だけでも忍に対する“愛人の子”などの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)な発言はできなくなる。 そう考えて、このような凝った真似をして みせたのだろう。 「大丈夫。俺が絶対、佳乃さんに兄貴とは仲がいいって証明させて、母さんには 何も言わせなくするよ」 「ま、それが事実だしね」と軽く両手を 上げておどけたようなジェスチャーを見せる 尊に、忍は彼へのからの 返しきれない感謝に、胸が詰まる。 「ありがとう」 その言葉に柔らかな微笑を浮かべた尊だけ が、忍にとって今までも、そしてこれからも 唯一の味方だと、その時は思っていた__。
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