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忍は再びため息をついた。
この己の苛立ちの原因は、他でもない
“生きる世界”の埋めようのない格差である。
“子は親を選べない”というが、それは
言い換えれば、己が生きたいと願う環境には
決して産まれることは出来ないということだと、忍は思う。
何故同じ人間として産まれたのに、己と佳乃の“生きる世界”はこうも違うのか。
今こうして、互いの息遣いが聞こえる程
近くにいるのに、目の前の人物は忍とは
180度も違う生活をおくっているのだ。
羨みや妬みという単純な言葉では、到底言い表せない感情が、忍の胸を痛い程締め付けていた。
勿論、佳乃個人に何か恨みがあるわけでは
ない。
だがこうして、明らかに住む世界が違うという事実を、こうもはっきりと誰かから示されなければ、己は許されない人間なのか。
「……分かりました。お話します」
思いがけず唐突に聞こえたその声に、思わず
忍は彼女の瞳を凝視する。
そんな忍の視線を受け止め、佳乃は真っ直ぐ
こちらを見上げ返した。
「ただし決して賄賂などは存在しません」
「……じゃあ何だ?」
すると彼女は一度、忍から視線を外し睫毛を
伏せると、今度はゆっくりとその顔を上げた。
「この病院の患者様のお食事は全て、私共の
グループに所属するホテルからお出しさせて頂いているからです」
どういうことだと眉を寄せ、首を傾げる忍に佳乃は続ける。
「当然、入院費用の中に含まれる食事代は
ホテルの収入となります。それはつまり、
私共の収入でもあるんです」
ここで一息ついた彼女は、自身の後頭部も
白い壁に預けた。
「ですから私が特別病棟に入院すれば、この病院に食事を提供しているホテルの売上が
一定期間だけですが、偏ってしまうんです」
「……それは悪いことなのか?」
これまで一度も一般社会に出たことのない忍
に、企業の経営戦略の知識は当然ない。
眉間に皺を寄せる忍に佳乃は力強く頷く。
「勿論です。私共が日々ホテル同士の売上の均衡を保つことによって、売上ではなく
お客様へのおもてなしを競い合うことが
出来ているんですから」
忍に一般社会での企業の知識はない。
今目の前で彼女の説明を聞いても、おぼろげにしか想像がつかない。
だがこれだけは理解できた。
_彼女は凄い……
まだ大人になるかならないかの年齢のはずなのに、その唇から紡がれたのは、あどけない容貌とは想像もつかないような言葉の数々
だった。
これだけのことを淀みなく話すことができる
まで、一体どれほどの年月を要したのだろう。
忍の中にあった、“令嬢はただのお飾り”という固定観念が容易く崩れ去った瞬間
だった。
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