3.佳乃という人物

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忍は再びため息をついた。 この己の苛立ちの原因は、他でもない “生きる世界”の埋めようのない格差である。 “子は親を選べない”というが、それは 言い換えれば、己が生きたいと願う環境には 決して産まれることは出来ないということだと、忍は思う。 何故同じ人間として産まれたのに、己と佳乃の“生きる世界”はも違うのか。 今こうして、互いの息遣いが聞こえる程 近くにいるのに、目の前の人物は忍とは 180度も違う生活をおくっているのだ。 羨みや妬みという単純な言葉では、到底言い表せない感情が、忍の胸を痛い程締め付けていた。 勿論、佳乃個人に何か恨みがあるわけでは ない。 だがこうして、明らかに住む世界が違うという事実を、こうもはっきりと誰かから示されなければ、己は許されない人間なのか。 「……分かりました。お話します」 思いがけず唐突に聞こえたその声に、思わず 忍は彼女の瞳を凝視する。 そんな忍の視線を受け止め、佳乃は真っ直ぐ こちらを見上げ返した。 「ただし決して賄賂などは存在しません」 「……じゃあ何だ?」 すると彼女は一度、忍から視線を外し睫毛を 伏せると、今度はゆっくりとその顔を上げた。 「この病院の患者様のお食事は全て、私共の グループに所属するホテルからお出しさせて頂いているからです」 どういうことだと眉を寄せ、首を傾げる忍に佳乃は続ける。 「当然、入院費用の中に含まれる食事代は ホテルの収入となります。それはつまり、 私共の収入でもあるんです」 ここで一息ついた彼女は、自身の後頭部も 白い壁に預けた。 「ですから私が特別病棟に入院すれば、この病院に食事を提供しているホテルの売上が 一定期間だけですが、偏ってしまうんです」 「……それは悪いことなのか?」 これまで一度も一般社会に出たことのない忍 に、企業の経営戦略の知識は当然ない。 眉間に皺を寄せる忍に佳乃は力強く頷く。 「勿論です。私共が日々ホテル同士の売上の均衡を保つことによって、売上ではなく お客様へのおもてなしを競い合うことが 出来ているんですから」 忍に一般社会での企業の知識はない。 今目の前で彼女の説明を聞いても、おぼろげにしか想像がつかない。 だがこれだけは理解できた。 _彼女は凄い…… まだ大人になるかならないかの年齢のはずなのに、その唇から紡がれたのは、あどけない容貌とは想像もつかないような言葉の数々 だった。 これだけのことを淀みなく話すことができる まで、一体どれほどの年月を要したのだろう。 忍の中にあった、“令嬢はただのお飾り”という固定観念が容易く崩れ去った瞬間 だった。
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