151人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
そこで忍ははたと気が付いた。
佳乃の胸元辺りまで長かった黒髪が、細い首筋が露になる程にまで短く切り揃えられていることに。
「髪_」
“切ったんだな”
そう続けようと、口元にやっていた右手を下ろしかけていた忍の動きが止まった。
彼女が、己の僅かに見張った瞳を受けたにも関わらず、まるで何ということのないように視線を逸らしたからである。
その時一瞬垣間見えた瞳は少し切なげに揺れていて。
_それには触れてほしくない、ということか……
忍は瞬時に佳乃の意思表示を理解し汲み取った。
何故、という明確な理由は勿論分からないし尋ねるつもりもないが、忍は女が“髪を切る”理由は少なくとも三つあると考えている。
一つ目は、ただ長くなってきたからというもの。
二つ目は、単純に雰囲気を変えたいからというもの。
そして三つ目は__失恋によるもの。
「……あの、忍さん」
いつの間にか、こちらを窺うように見上げていた佳乃の視線によって、忍の思考は一時停止した。
己の名を紡いだ、その柔らかな声音を持つ彼女の瞳へと焦点を合わせる。
「すみませんが、ここで失礼させていただきます。
まだ支配人の方にご挨拶出来ていないので」
その言葉に、忍は何のためにわざわざ彼女を引き留めたのかということを、すっかり忘れ去っていたことに気付いた。
「その足で、か?」
だが、左足首の怪我を放っておいたまま、己のつまらない思考に付き合わせてしまったという罪悪感とは裏腹に、紡いだ声音は酷く冷めてしまった。
「あ……」
その証拠に、忍の視線を受け自身の左足首へと見下ろされた色白い顔は僅かだが強張っている。
「どうしよう…でも私……」
「……っ」
突如として小さく舌打ちを発した忍に、佳乃の身は更にすくんだ。
しかし勿論これも、決して彼女への怒りなどではなく己への叱咤による行為だったが、今はそんなことを説明している場合ではない。
忍は、その純白の袖口を通った佳乃の左手首を無造作に掴むと、会場の出口へと足を向けた。
最初のコメントを投稿しよう!