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すると、
「見て下さい、あれ……!」
と彼女にしては珍しく、どこか興奮したような上擦った声音が上がった。
「……?」
よもや次は己の隙をつくという手筈で投げるのか、と一瞬身構えた忍だったが、恐る恐るその細い人差し指が向けられている方向へと視線をやってみる。
そこには、窓ガラス越しに一面綺羅びやかに光輝く、夜のダウンタウンの街並があった。
ベッドからそこまではある程度の距離があるのにも関わらず、はっきりと瞳に映り込むそれに、忍は思わず息をのみ見惚れる。
そこでふと、エレベーターに乗り込んだ時、今夜大々的なライトアップを行うという趣旨の広告を目にしたことを思い出す。
「綺麗……」
吸い寄せられるように窓際へと歩み寄っていく佳乃を尻目に、忍がおもむろに右手首を掲げてみると、己のSEIKOの針は間もなく七時半を指そうとしていた。
そろそろ彼女を部屋まで送り届けた方が良いだろう。
_結局治療はおろか、彼女に振り回されただけだったが……
と、内心でぼやき小さくため息をついた忍は、すっかりベッドに沈み込んでしまっていた重い腰をゆっくりと上げた。
そして同時に視線も上げると、いつの間にか窓が半分開けられていて、当の彼女はベランダから夜景を臨んでいた。
軽く巻かれ、切り揃えられたボブの黒髪は夜風に揺れ、露となった細い首筋が何処か心許なく映る。
一瞬だが強く吹き上げた夜風に、彼女が身をすくませたのを、忍は見逃さなかった。
袖を通していたスーツジャケットから片腕ずつ引き抜くと、己もベランダへと足を運び、それをその華奢な両肩にそっと羽織らせた。
「……!?」
当然ながら、佳乃は軽く瞳を見開きこちらを振り返り見上げる。
そして、「大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしただけですから」と、ぎこちない手付きでジャケットを肩から外そうとした。
だが、これは予想通りの反応だったので、忍は動じることなくジャケットの両肩を押さえる。
「……見たいんだろう?夜景」
「でも、忍さんが……」
そう尚も食い下がる彼女に、「それ取ったら」と忍はわざと言葉を重ねた。
「あんたの部屋まで強制送還だ」
「きょ、強制送還!?」
一体こいつは何を言っているのか、とでも言いたげに頓狂な声音を上げられたが、忍は気にも止めない。
「泣こうが喚こうが、抱き上げてでも還す」
ごくり、と分かりやすく生唾を呑み込んだ佳乃から全く視線を逸らさず、忍は続ける。
「…という意味だ」
「選択の余地ないじゃないですか……」
何やら小さな小言が聞こえたような気がしたが、夜風にかき消されて忍の耳には届かなかった。
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