ケイの夢

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ケイの夢

        α(アルファー)の世界             0章  日本列島と南西諸島が、アジア大陸と陸続きであった時代のことである。南西諸島にあるカマラ部族にケイという若い女がいた。 ある夜、男と交わった後、男は小屋の外へ出ていった。その直後、入ってきた狼と交わった。狼に魅入られた。満月の夜になると、狼の住処である洞窟に行き、激しく交わりを重ねた。 それを知られたケイは背中一面に、入れ墨を彫られた。正三角形の中に、同じ大きさの三つの円が内接している。円の中には、逆卍(まんじ)が描かれている。部族の呪術師は「外道のマンダラ」と言った。 畜生道に堕ちた不吉で、災いをもたらす存在を意味する。 カマラ部族を追い出され、狼と暮らした。最後に部族の男と交わったとき、ケイは受精していた。 狼の精子も、卵子に入っていた。狼のDNAは異物と見做され、分解された。一部が男のDNAに組み込まれた。生まれた男の子は満月の夜、狼に変身した。   三歳になったとき、運命が変わる。狼が猟に出ている間に、熊が襲ってきた。ケイは我が子を守るために、洞窟の外に飛び出て、熊をおびき寄せる。追い詰められたケイは、熊に食い殺された。 そこへ、狼が戻ってきた。牙をむき出し、凄まじい唸り声を上げる。熊の喉を狙って、飛び掛かる。熊が右の前足で叩き落とす。狼は再び、敵に襲い掛かる。むこうずねに食い付く。 骨が噛み砕かれて、熊は後ろに倒れる。喉元に噛みつく。熊は両前足の鋭い爪で、狼の背中を引き裂く。血が吹き出す。鋭い牙で、熊の食道の骨を噛み砕く。二匹ともそのまま、息絶えた。 男の子は洞窟の中で、泣き叫んでいる。カマラ部族の隣にあるスンガラ部族の老夫婦が、通り掛かった。 山菜を取りにきていた帰りだった。不吉な場所から大急ぎで、男の子を家に連れ帰った。山中の洞窟に、外道の女とその子供が住んでいるという噂を聞いていた。 老夫婦には、子供がいなかった。マタルと名付けた。部族の者には、別の部族の知り合いから、事情があって頼まれ、育てることになったと話した。 五歳になった頃から、満月の夜、月の出に変身すると、山中に向かった。何かを捜しているようだ。 月の入りに帰ってくるときは、寂しそうな鳴き声を出した。最初は驚いていた老夫婦は、生みの母親を捜していると気付くと憐れに思った。 そのうち、帰ってくるときは、野ウサギなどの小動物を口に銜えてきた。老夫婦の貴重なたんぱく源になった。 マタルが十五歳になったとき、育ての父親が死んだ。翌年に、母親が死んだ。両日とも、満月の夜だった。 狼に変身したマタルは、山頂で遠吠えした。部族の長老から、南に下っていくと、果てしなく広がる大地に行けると聞いていた。部族から離れて、放浪の旅に出た。             .             一章   ケイが光一に初めて出会ったのは、小一の二学期だった。同じ歳である。光一は八重山のY島から、沖縄本島に引っ越してきた。石垣島以南の地域を八重山郡と呼ぶ。 Y島では、子供たちの教育が不足という父親の考えで、那覇に移り住んだのである。光一の借家は、那覇市の寄宮(よせみや)にあった。 そこには、母方の伯母さん家族が、住んでいた。伯母さんの家の向かいに、ケイの家があった。 光一の家は、一人で通うには、学校から距離があった。ケイの家まで行き、一緒に学校まで行くように、伯母さんが手配してくれた。 光一はY島訛りの尻上がりのアクセントがある話し方をした。ケイには、それが可笑しくて、つい、笑ってしまう。 ときどき、意味の分からないY島の方言も使った。Y島での暮らしのことを夢中になってケイに話した。 当時、Y島の暮らしは本島より、かなり遅れていた。一般家庭には、電気、ガス、水道など無かった。ラジオだけが唯一の楽しみである。 主食は芋で、おかずと汁ものは、漁師の父親が持ってくる魚と、家の前にある小さな畑で採れる野菜である。鰹の腹わたの塩辛が、一升瓶に漬けられている。おやつ用の芋が、吊るされたざるに入っていた。 米と肉類にありつけるのは、盆と正月ぐらいである。月に一度の、そうめんチャンプルーを楽しみにした。油で炒めた料理をチャンプルーと言う。 五歳の頃から、兄に代わり、夕食用の芋を採りに行くようになった。芋畑までは、往復、二時間程掛かる。日曜日は、兄弟三人で、山へ薪取りに行った。 本島に引っ越したとき、石垣から本島に向かう大型船で初めて、コーヒーを飲み、ハムと卵のサンドイッチを食べた。こういう美味いものが食えるのかと、本島での暮らしに胸を躍らせた。 幼い頃から、かなり、人見知りのところがあった。母親が新しい教室に連れて行ったとき、泣き喚いて入ろうとしない。 若い女性の担任がなだめすかして、ようやく席に着いた。本島の暮らしに馴染めずに、Y島に帰りたいと泣き出すこともあった。 「光(こう)ちゃん、大丈夫よ。わたしがお友達になってあげるから」 ケイは光一の頭を撫でながら、なぐさめた。 一人で学校に通えるようになってからも、帰宅しておやつを食べると、ケイの家に行った。近所の子供たちと、一緒に遊んだ。 やがて、光一は、ケイの初恋の人になった。女子は男子に比べて早熟である。 光一の瞳の中に時折浮かぶ、Y島の荒々しく砕け散る白い波、天空高く飛び抜ける紺碧の空、真っ赤に染まる水平線に沈んでいく夕日、けだるい午後の油絵のようなべたなぎの内海など、心の奥底に潜む原風景を見ていたのだろうか。 厳しくも豊かな自然の中で育った自由奔法な精神、周りでは見かけない異質な存在に幼き心を引かれた。 光一には、異性に対する意識は芽生えていなかった。小二になった頃には、近くの男の子たちと遊び始めた。 ケイのところには、行かなくなった。小三に上がったとき、夕刊の新聞配達を始めた。分家である父方の祖父が本家の立候補者と競って、Y島の村長選挙に落選していた。 その借金は、子供たちが家庭を持ったときでも残っていた。光一の父親もY島の実家に毎月、いくらか送金していた。母親は昼も夜も働いていた。光一はアルバイト代で文房具や運動靴などを買い、残りは、小遣いにした。  小学校卒業まで、夕刊配達を続けた。ケイのことなどすっかり忘れてしまっていた。小二以来、学校でも会った記憶がない。 二人とも、同じG中に進んだ。光一は柔道部、ケイはバレー部に入った。光一は一組で、ケイは三組だった。 光一はケイにあっても誰なのか思い出すことはなかった。時折、ケイの眼差しに気付いた。それが何を意味するのかは分からなかった。 本島に引っ越してきたときのカルチャー・ショックのせいなのか、不安感を心の奥底に封じ込めようとしたのかもしれない。神経過敏なところがあった。 Y島にいる頃から、よく寝小便をやった。小四になっても、たまに、ふとんを濡らした。母親が夜中に起こして、トイレに行かすようになった。 その内、自分で起きていくようになってから治まった。  中二になった。同じクラスではなかった。 女子の複雑な心理が理解できない。女が苦手である。腫れ物に触わるような態度で接する。 女生徒には、優しいと受け取られていた。父親譲りの甘いマスクで、勉強もそれなりに出来た。球技はあまり得意でない。 田舎育ちのせいか、足は速い。運動会の百メートル競走では、いつも、クラス代表に選ばれた。 優等生のタイプではない。目立つことは極端に嫌った。生徒会に入る生徒 達は、違う世界の人間だと思っていた。彼(女)らは、家庭教師をつけ、誕生日パーティをやってもらっている人種である。その頃、塾などはなかった。
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