十歳の婚約

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それは人が一人火事によって亡くなリ焦げ臭くなった空気の中、不謹慎極まりない発言だった。 「千秋さん、婚約者を亡くしたんだよね。だったら僕と結婚してよ」 発言者が十歳の少年であるとしても、あまりにも空気が読めていない求婚だ。 さらに空気を読めない点は、少年の求婚相手は雇い主で、少年の母はその使用人という事である。 下手すれば職を失いかねない。そのため少年の母は真っ青になって駆けつけ非礼を詫びた。 「も、申し訳ありませんっ。何もわかっていない子供の言う事ですので、どうかお許しを……!」 着物の袖も裾も気にせず、母親は畳に頭をこすりつける勢いで頭を下げた。そしてすぐに少年の頭に手をやり頭を下げさせる。 『何もわかっていない子供』じゃないしわかっていて言った、と少年は口を挟みたい。しかしさすがに言えば母はショックのあまり倒れてしまう事もわかっているため言わない。 「彼方(かなた)!あんたも謝りなさい!」 「やめて下さい、千葉さん。貴方は頭を上げて。それから息子さんから手を離して」 「しかし……」 こんな時であろうと雇い主の少女、千秋は冷静に使用人を諌める。 千秋は華奢な体を浴衣で包み、狭い部屋の中央で正座をしている。人形のようにうっすらとしか表情を出さない。そして冷静に使用人達を仕切るその姿は、現代の十四の少女には見えない。 その雰囲気に圧倒され、母は息子の頭を畳に押し付けるのはやめた。 「まずはお話しましょう、彼方君。私は十四で貴方が十。お互い結婚のできない年齢です」  今さら年齢の話をするのか、と周囲の者達は呆れた。火事で人が死んだ後だ。もっと指摘する事はある。 しかし少年、彼方は丸い目を瞬かせてから答える。 「結婚じゃなかった、婚約して欲しいんだ」 「私の婚約者である敦也さんが亡くなったから、次は彼方君と、ですか?」 「うん。前から狙ってた席があいたんだよ。他の誰かにとられないよう、すぐに予約しなくちゃ。……婚約って、予約みたいな事だよね?」 彼方は丸い目で少女を正面から見つめて言った。 周囲の目などまったく気にしていない。素直な質問である。 「そうですね。彼方君の感覚では婚約とは予約のようと言うのがわかりやすいでしょう」 四つ年上の千秋は彼方を馬鹿にすることもなく丁寧にわかりやすく答える。彼方は少女のこういったところが好きだった。 相手が子供であっても対等に話し、納得するまで説明してくれる。 だからこんな女性他にいないと好意を持って、婚約者がいなくなった今求婚した。 「ですが婚約とは家族の許可あってのものです。現に私と敦也さんは十年前から互いの親が決めて婚約していました」 「知ってるよ。でもこの家で一番えらいのは千秋さんでしょ。千秋さんが決めたら、千秋さんのお父さんも反対できないでしょ」 この浮世離れした豪邸に住む千秋には権力があった。彼女が決めた事には親も年長者も逆らえない。だから彼方は千秋さえ説得できれば結婚できる。 「私が決めるのなら私の好みを優先します。というわけで彼方君は可愛いけれど年齢的に私の好みではありませんのでお断りします」 彼方はきっぱりと振られた。しかし彼は諦めない。 「先なんてわからないよ。婚約なんだから結婚する年頃には僕、千秋さんの好みになれるかもしれないし」 少女はすこしだけ首をかしげるようにして考えた。彼方が諦めるとは思えない。彼は子供の元気さで納得できるまでやる。しかしそんな彼方を納得させた上で諦めさせる方法を、千秋は思いついたのだった。 「では、勝負でもしましょうか」 「勝負?」 「貴方が私の秘密を知る事が出来れば結婚しましょう」 あっさりと千秋は勝負を提案した。 相手が子供だからといい加減な約束を、と周囲の使用人達は内心笑った。 しかし彼方にはわかる。これは本気の勝負であると。 秘密。それを知ればこの屋敷の主と言える少女、千秋は婚約してくれるという。
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