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占い用の部屋とは加々美家の最も奥にある。
彼方は今まで一度も足を踏み入れた事はない。勿論彼の好奇心は疼いたが、鍵がかかっていたのだった。そしてこの家を知ってからは、なんだか恐ろしい場所であるように思えて興味はうしなった。
「いいですか? お嬢様がお許しになったとしても見学だけですからね。お客様が嫌がるようならすぐに退室なさい」
孝子はいつもの眉間のシワを深くして、彼方を部屋へと導いた。中にはすでに千秋が座っている。
今だけはいつもより上等な白い着物を着ていて、そうなると現実離れした千秋の美しさのせいか異空間に入り込んだような錯覚へ陥った。
部屋はそう広くない和室。畳と座布団しかないような空間だった。
「彼方君はそちらの座布団に。昨日言った通り、余計な事はしないように私の指示に従って下さいね」
「はいっ!」
壁際、扉の近くに彼方の席は用意してあった。彼方は大人しくそこに正座する。普段より背筋が伸びたのは指示を出す千秋の神々しさのせいだ。
確かにこんな環境にいれば占い師である彼女の言う事はなんでも信じてしまいそうになる。
「あぁ、いらっしゃいました」
扉が開く直前に千秋が言って、すぐに扉が開く。
新たに入って来たのは派手な雰囲気のスーツ姿の女性だった。
「夏子さん。お久しぶりです」
「えぇ、久しぶり。千秋ちゃんも元気そうで何よりだわ」
てっきり政治家や社長のおじさんが来ると思っていた彼方は驚いた。
女性の年齢は彼方にはわからない。しかし千秋の倍以上の年齢だとはわかる。
「そちらの男の子は? いつもの男前の方はいらっしゃらないの?」
「彼は少し外しています。代わりにこの子、彼方君がお手伝いに来ていますが、構いませんか?」
「えぇ、構わないわ。こんなに可愛い子だもの」
夏子は赤い唇でにっこりと微笑む。
美人の部類だ。『茜が勝手に付き添う』というのは彼女とお近づきになりたいという茜の下心のためなのかもしれないと彼方は勝手に想像した。
まずは夏子と千秋は世間話から入る。
その途中、孝子が茶を持って来てすぐに去った。それをきっかけにするようにして、二人は本題に入る。
「二ヶ月前に見てもらった占い、本当にその通りだったわ。おかげで業績がいいの」
「はい。では今日、何を見ましょう?」
「全体的に、何か不穏な要素がないか見てちょうだい。調子がいい時だもの、少しだって崩したくはないわ」
どうやら夏子とは女社長らしい。それだけの事は彼方も察する事ができたが、経営の専門的な話はさっぱりだ。
それに応じる千秋はすごいとただただ感心する。
そして占いに入るのか、千秋は自分の前に布を広げ、その上にガラスの欠片のようなキラキラしたものを並べた。
水晶か何かだろう。夏子ももう何も言わず、その石の動きを見ていた。
「……人間関係に問題があるようです」
「あら。そうなの。どういう人達?」
「夏子さんに近い方です。男性で、若い……最近親しくなった方ですね」
夏子はその言葉を聞いてぴたりと表情が止まった。薄く微笑んでいた唇が引き締められる。心当たりがあるようだ。
「近々、彼に裏切られます。ですから彼からは一歩距離を置く方が……」
「彼が裏切るわけないじゃない! 恋人なのよ!」
夏子は甲高い声で反論した。彼方は反射的に体を縮ませる。
しかし千秋は姿勢を変える事はない。まるでこんな反応をされるのがわかっていたかのように。
「不自然な事はありませんでしたか? 彼と出会ったきっかけ、言動。何かひっかかる事があるからこそ、その反応では?」
さらに追い詰めるような問い。千秋は『近くて若い男』と言っているのにすぐ『恋人』を思い浮かべるのなら、夏子も内心疑っていたのかもしれない。
しかし疑いたくはない相手なため、ここまで激昂した。
「あんたみたいな子供にっ、何が分かるっていうのよ!」
そう叫んだ時、彼方はまずいと感じた。
夏子の手が湯飲みに伸びる。それを掴み、中身ごと千秋の顔面に向けて投げつけたのだった。
薄いつくりの湯飲みでも顔面に投げつければ無傷では済まない。しかも中には茶も入っている。
彼方は思わず立ち上がった。しかし間に合うはずがない。
「……確かに私は子供です」
器が割れる音も千秋の悲鳴もしなかった。ばしゃんという水音と、いつもの落ち着いた千秋の声が代わりにしただけだ。
千秋は姿勢を崩す事なく、左手だけで湯飲みを受け止めていたのだった。
「ですが未来は見えます。こうして、貴方の攻撃を読めるくらいには」
頭に血が登っていたはずの夏子は寒気を覚えたらしい。震えて後ずさる。
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