十歳の婚約

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「……化け物!」 そして夏子はそう吐き捨てて、逃げるように部屋を出た。確かにあの攻撃は突発的なもので、どれだけ動体視力や運動神経が優れていても避けるか払いのけるのがやっとのはずだ。 受け止めるとしたら行動を予測していなければできない。 「千秋さん、大丈夫っ?」 「彼方君。動かないで。私なら大丈夫です。お茶もぬるかったので」 彼方の心配する声がしても千秋は冷静に止めた。勝手な事はしない。それが見学の条件だ。 「夏子さんはこういう人なんです。占いで都合の悪い事を言われればああして怒るのはいつもの事ですから。私のことを利用価値のある、けど怒りをぶつけてもいい化物と思っているのでしょう」 つまり夏子には以前から怒鳴ったり暴力を振るう傾向があった。千秋に利用価値があるから機嫌を損ねないよう優しい年上として振る舞っている。しかし都合の悪い事を言われれば千秋に当たる。相手は化物だから何を言ってもいいししてもいいと思っているようだ。 それを防ごうと茜は普段からついていたのだろう。腕力のありそうな男が近くに控えていれば、暴れる気にはなれない。 「だから茜さんは僕に任せたんだ……」 「第三者がいれば暴力はないと考えたのでしょう。けれど彼女に恋人を疑わせるという事は、抑えられない程の怒りを覚える事でした」 彼方は自分の無力さを思い知った。彼方が子供だから夏子は暴れたのだろう。ここにいたのが大人で強そうな茜ならこうはならない。 しかし年齢などという今は手に入らないがいつか手に入るものをほしがったって仕方ない。彼方は考えを切り替えた。 「千秋さんはあのキラキラの石で夏子さんの恋人や茶碗を投げる事に気付いたの?」 「水晶の欠片は相手の視線や表情を見るための道具にすぎません。恋人がいる事は夏子さんの化粧や服装などの変化で気付く事です」 占いといっても彼女の場合必要なのは霊力ではなく、洞察力や思考力だ。例えば口紅がより赤くなっていただとか、香水が変わっただとか、そんなところから判断したのかもしれない。 それでも普通の人間にはなかなかできない事だが。 「彼方君、タオルか何かを持ってきてくれますか? 私が行けば床を汚してしまいますし、孝子さんを心配させてしまいますから」 「うん、わかった」 許可を得れば彼方は素早く立ち上がる。千秋の上等な白い着物は茶により染みを作っていた。 そして彼女の言葉の特徴に気付く。 千秋は彼方に命令をする事が多い。それはお嬢様と使用人という立場から仕方のない事だし、別に構わない。 しかし言い訳が多すぎる。手が油だらけだからだとか、着替え中だからだとか、お茶がかかったからだとか。 洞察力や思考力に優れた千秋がわざわざ先を読んで誤魔化す理由。 それこそが秘密ではないか。彼方の頭の中で急に考えがまとまった。 「千秋さん。僕、秘密がわかったかもしれない」 「そうですか。では答え合わせは茜さんにお願いします」 人生を決める事であるはずなのに、千秋はあっさりとしていた。 「私もそうなるのではないかと見えました。さっき、湯呑みを投げつけられ受け止めた瞬間でしょうか」 湯呑を受け止めた時にこうなることはわかっていたので驚くことはないようだ。 この落ち着いた反応は正解なのか不正解なのか、まったくわからない。 「あぁ、それでも私の秘密は知られてしまったのですね。やはり彼方君には知られたくない秘密でした」 寂しげに伏せられた千秋の瞳に彼方は胸を痛めた。 目的のためとはいえ、千秋を探り暴くような事をしてしまった。 その事には後悔する。 しかしそんな後悔が吹き飛ぶような笑みを千秋は見せた。 年相応な、無邪気な笑顔だ。 「でもこれで、私は彼方君とずっと一緒にいられます。本当に答えがあっていれば、ですが」 無邪気な笑顔のまま千秋は最後まで仮定の話をしていた。 まるで彼方が肝心なところで間違う可能性を持っているかのように。
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