十歳の婚約

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「けど残念だね。このレシートを赤い箱に入れるのは茜さんで、足の不自由な千秋さんはそれをまとめてしか見ない。そしてまとめる前に僕が持ち出したんだから」 「人のものを勝手に持ち出すなよ」 「それは反省してる。けどこれはもう返さない。千秋さんには絶対に見せたくないんだ」 千秋の反応はわからない。しかし犯人である茜を軽蔑ぐらいはするだろう。 彼方は彼女にそんなマイナスな気持ちを抱かせたくはなかったし、茜には居てもらわなくては困る。そんな彼方の都合で今、茜と取引をしている。 「今の僕には茜さんが必要なんだ。だからこのレシートは隠すし、千秋さんにも隠し通す」 「……彼方にはなつかれてるとは思ったが、共犯にまでなってもらえるとはな」 「別に茜さんのためじゃないよ。考えてみて。僕と千秋さんが婚約するにしたって、千秋さんのおやつは誰が買いに行くの?」 おやつというのは極端な例だ。 足の不自由な千秋が本当に欲しいものを得るには、自由に動き回れる人間が必要だ。 とくに茜は千秋を担ぎ上げられる力を持っているし、遠くまで車で行ける手段を持っている。 どちらも今の彼方には持てないものだ。 「茜さんが捕まったりしていなくなったりしたら千秋さんはきっと今のままじゃいられない。かといって僕が茜さんの代わりになる事はまだできない。だから証拠隠滅したんだよ」 彼方はくしゃりとレシートを握り潰した。 後はこれを千秋にだけ見られないように手元においておけばいい。 「それが僕の覚悟なんだ。千秋さんの事だけじゃなくて、茜さんとも関わって行く」 「自分にできない事を人にやらせて、殺人犯が罰せられる機会も無くして。それでもお嬢さんと結婚したいんだな?」 「うん」 茜の鋭い瞳に怯む事なく、彼方は答える。 足の不自由な千秋に一生付き合う覚悟。それを手っ取り早く証明する方法はそれだった。 殺人犯を利用する方法だ。誉められる事ではない。 けれどそれくらいのしたたかさがなければ千秋と一緒にいられないと、茜も考えていた。 「……わかった。お嬢さんに勝負の結果を伝えてやる。『彼方は秘密を見事言い当てた』ってな」 長いため息をついて、茜は答えた。 やはり彼にはまともに審判するつもりはなかった。彼方に覚悟がなければ、千秋に『彼方は間違えた』と伝えていただろう。 「はぁ。懺悔できなくなっちまったなぁ」 「懺悔するのは僕が成長してからにしてよ。だいたい懺悔するなら最初から殺さなければいいんだから」 「正論だ。お前とんでもない事してるくせにめちゃくちゃ正論言ってる……」 人の婚約者を殺した事を、茜は千秋に気づいてほしかった。そして千秋に罰してほしかった。仇討として殺されたとしても茜には文句は言えない。 しかし彼方はそれを自分の都合でやめさせようとしている。好奇心旺盛で千秋の知識をほぼ吸収しているすごい子供だとは思っていたが、ここまで末恐ろしい子供だと茜は思わなかった。 もしや千秋はとんでもない化け物に好かれたのではないかとも思う。 「……ねぇ、これはただの好奇心なんだけど、茜さんはどうして敦也さんを殺したの?」 答えられる事は期待せず、彼方はついでの感覚で尋ねた。 しかし茜の口は滑らかだった。 「仇討ちだよ」 「あだうち」 「奥様はあいつの入れ知恵のせいで死んだんだ。『離れで水を浴びれば霊力が戻る』ってな。霊力をなくして藁にもすがりたい奥様はそれを信じて、そしてやりすぎて死んだんだ」 それは必ずしも敦也が悪いと言える状況ではなかった。 しかし敦也の言葉がきっかけだとすれば、桜花に拾われた茜に許せる事ではない。 「この家じゃ、能力が何より大事なんだ。足が不自由だとかより、そういう事のが厄介かもしれねぇぞ。あのお嬢さんと結婚するんだから」 「つまり安心したり幸せになると能力を失っちゃうんだよね。なら能力を早く失うのはいい事なんじゃないかな」 「そうは行かないんだよ。こんな便利な能力はないし、人間は過去の栄光を未練がましく思い続けるもんだ」 「そんなの、能力がなくなっても満足なくらい幸せにしちゃえばいいんだよ」 子供らしいまっすぐな意見だった。このまっすぐさに茜も千秋も負けたのだ。
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