母は父を崖に突き落とす勇気を持っている

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母は父を崖に突き落とす勇気を持っている

 家に辿り着くなり、僕は制服から着替え――夕食の準備をはじめた。  時間も結構遅くなっていたので、母さんが帰ってくるまであまり時間が無い。  まあ、準備といっても僕は料理ができないので、お惣菜や冷凍食品オンリーになる。  米を炊き食材を温めるという作業を全て済ませ、一息つけるといったタイミング。  僕の脳内に、思いもよらないモノが発現した。 「……な、なんてこったっ!」  中学校の時、瞳ちゃんに告白してから――今まで。僕はずっと瞳ちゃん一筋だった。  瞳ちゃんをさしおいて、他の女性の事なんて考えた事なかった。あったとしても、母さん程度のものだ。  なのに、なのに今……。 「群咲さんの、唇が、胸が……頭から、離れないっ!」  つい先ほどまでぐいぐい押しつけらていた胸と、しつこい程にやらかされたキスの感触を、僕の身体はハッキリと覚えてしまっている。  瞳ちゃんはなんというか、色々ぺったんこなので、女性的な丸みに縁が無い。  だから、僕はおっぱいの耐性をあまり培えていなかった。  キスだって、瞳ちゃんはいつも恥ずかしがるからあんまりできてなかった。  なのに、群咲さんはどうだ!?  彼女でもないのに、好き好き言いながら熱烈にキスしてくれたり胸おしつけてくれたり……。  逆に彼女の瞳ちゃんは、僕を罵りながら軽くキスしてくれて……。  なんだかギャップが激しすぎて本当もう頭が駄目。イカれそうだ。 「あ゛ー……、瞳ちゃん、ごめん。本当ごめんなさい」  群咲さんのむっちりキスのせいだろう、瞳ちゃんの別れ際のあのキスが、印象が薄くなってしまっている! 「なんか、不倫してる気分……」  ちゃんと拒否できてれば、こんな気持ちにはならなかったんだろけど……。  ――がちゃり。  脳内をピンク色にしている途中、玄関から鍵の音がしたので玄関まで迎えにいく。 「ただいま~」  扉の奥から現れたのは、僕の母だ。  身長は僕より低く、百六十センチにギリ届かない程度。最近白髪が混じってきた黒髪を、ポニーテールにしてまとめている。  最近げっそりやせ細り、なんだか体調が悪そうだ。頬がこけ過ぎに見える。  そんな母さんが最近気になっているのは、ほうれい線だ。 「おかえり。お風呂とご飯用意できてるよ」 「じゃあ先にご飯頂こうかな」  母さんがそう言ったので、居間のテーブルに素早く食事をセットし――いざ実食。  僕は母さんの対面に座って食事をする。 「てか、アンタも食べんの? いつも言ってるでしょ? 先に食べてなさいって」 「そうだけどさ……」  一人の食事は、なんだか味気ないじゃないか。 「いいの? こんな夜遅く食べたら太るわよ? しかも揚げ物多いし」 「……母さんと一緒に食べられるなら、別にいいよ」  僕の言葉を聞いた母さんは、ほんのり笑顔になった。 「アンタは本当、優しいっていうか、可愛いっていうか…………いや、ただ頑固なだけか」 「頑固とは失礼な」  ただ、やりたい事をやっているだけだ。  親と食事したい子供でいて何が悪い。 「頑固は頑固よ……うん?」  何に気が付いたのか、怪訝な表情をして僕の顔をじっとみてくる母さん。 「え、なに? どうしたの?」 「……食事どころか、お風呂もまだ入ってないのねアンタ」  確かにまだ入ってないけど……。 「正解だけど、どうしてわかったの?」 「…………ぷっ」  堪えきれないといった具合で、母さんは再度笑った。 「アンタ、顔中キスマークだらけよ? 口紅でべったり。ほら、ごらんなさい?」 「えっ!?」  母さんは、先程隣の椅子に置いたバッグからコンパクトミラーを取り出し、こっちに向けてくれた。 「うっわ、本当だ!」  絶対これはアレだ、群咲さんの仕業だ!  唇だけじゃなくて顔面いっぱいキスされたからだ!  とりあえず台所で濡れタオルを作り、顔を拭く。 「しかも、なんか香水の香りがするし……ねえ太陽。アンタ、女でもできた?」  嬉しそうな表情で聞いてくる母さん。 「できてないできてない!」  否定しつつ、テーブルに戻る。 「ならなんでそんな顔赤いのよ」 「本当だ顔あっつ!」  言われて己の頬を両手で触ってみると、高い熱を感じた。  キスマークを見られた恥ずかしさからなのか、それとも群咲さんの唇と胸を思い出してしまったせいからなのか、二つに一つ。 「で、誰? アンタにそんなぶっちゅっちゅとかました子は?」  かましたって……。  まあ、ここで変にごまかすより、正直に言った方がいいかな? 「えっとね、群咲さんに告白されて、……それで」 「群咲って……え!? 瞳ちゃんの友達の子でしょ!? やだもう!」  何が嫌なんだろうか。 「うん、そうだよ?」 「あらあらまあまあ! 今度、家つれてきなさいよ! 母さん、今週日曜なら空いてるから!」  めちゃくちゃ良い笑顔を披露してくれる母さん。  何がそんなに嬉しいのやら。 「だから、別に彼女でもなんでもないから!」 「へえー? そうなんだー?」  母さんは、全然信じて無さそうな顔をしている。  まあ、あんな顔中キスだらけになってたら、信じないよね。気持は分からないでもないよ。  ……はあ、仕方ない。ここは僕の意思をはっきりと表明しておこう。 「そもそも、僕には瞳ちゃんがいるんだから、他に彼女なんて作らないよ」 「はあ、アンタも大概ねえ……」  呆れ顔の母さん。  きっと、死人に恋しつづけてどうするんだと思っているのだろう。  母さんは瞳ちゃんが生きてる事を知らないから、そういうリアクションになるのはしょうがないけどね。  ――ふと、思い出す。  お義父さんの「瞳の為に――死んで頂けませんか?」という言葉。  僕は、実際どうしたらいいんだろう。  勝手に判断をする前に、他の人の意見を聞いておいたほうがいいだろう。 「……ねえ、母さん。たとえ話なんだけどさ?」 「話題無理矢理変えて来たわね。で、なに?」  僕と瞳ちゃん。その立場を母さんと父さんに入れ替えて聞いてみよう。 「もしだよ? もし、母さんが死んで、かわりに父さんが生き返るんだとしたら、どうする?」 「その場合、私は死ねないわね」  ノータイムで解答が出て来た。迷いは一切なかった。 「なんで?」 「だって、考えてもみなさいよ。死んで借金どうにかしようなんていう捨て身精神強い人に、アンタを任せられる訳ないじゃな――あ」  母さんは少しショックを受けた様な顔で、逆に僕に聞いてきた。 「……え!? も、もしかして太陽、母さんじゃ不満!? 父さんの方が良かった!?」 「そうじゃなくて、あくまでたとえ話だよ。母さんはどう考えるかなって」  他意はない、というのは違うかもだけど、別に僕は母さんがいてくれて良かったって思ってるよ。 「本当? 母さんの事、嫌いになったんじゃなくて? 放って置き過ぎてるのは分かってるの……」 「放ってって、仕事があるんだからしかたないよ」 「だから、本当の事いって? 母さんの事、嫌い?」 「違うよ」 「本当? 本当に嫌いじゃないの?」 「嫌いじゃないってば」  しつこいくらい聞き返してくる母さん。 「嫌いじゃない? じゃあ何なの? 太陽は母さんの事、どう思ってるの?」  これは、言えって事なんだろうな。  まったくもう、仕方ないなあ……。 「……すきだよ」 「あらやだっ! まったくもう、マザコンなんだから!」  勢いよく額を平手で叩かれた。言わせておいて何するんだよ。  いやそりゃ、本当に好きだけどさ。勿論、母親という存在としてね? 「それで、どうしたの? 急にそんな事聞いて」 「や、ちょっと思う所あってさ」 「そう?」  不思議そうな顔をしている母さんに、追加で質問してみる事にした。 「もいっこ聞きたいんだけど、いい?」 「いいわよ、なあに?」 「父さんが生きている前提で。母さんが死ぬかわりに僕が生き返るとしたら、どうする?」 「またそれ系? そうねえ……」  母さんは少し考えてから、答えてくれた。 「その場合も、私は死ねないわね」 「そりゃまたどうして?」 「だから、父さんだけにアンタまかせられないって絶対」  父さんの信用の無さったらない。  まあ、母さんからしたら、勝手に死んで一体どういうつもりだって感じなんだろうな。多分だけど。 「逆に、父さんが死んでアンタ生き返るってんなら、父さんを崖の上から突き落とすわよ?」 「それは流石に酷くない!?」  父さん自ら死ぬんじゃなくて、母さんが殺すとか、どうなってんのそれ! 「全然? 私たち残していなくなった父さんに比べたら、全然酷くないわよ?」  比べた所で、酷さは大差ない気がする。  むしろ殺しにかかる方がかなり罪深いと思うんだけど。 「そ、そうかなあ?」 「そうそう」  あっけらかんとした顔で、飯をかっこむ母さん。 「っはー! ごちそうさまでした! 今日もおいしかったわよ!」 「おそまつさまでした」  食事を終え、幸せそうな顔をする母さん。  美味しかったなら良かった良かった。 「そうだ、これ、借金返済に全額まわしてね?」  僕はあらかじめ近場に置いておいた封筒を手に取り、母さんに渡した。 「お疲れ様です。いつも助かってます」  ふかぶかとお辞儀をしてくる母さん。 「いえいえ。むしろ瞳ちゃんのお義父さんの助けっていうか……」 「何言ってんのよ。アンタだから任せられた仕事でしょ? 何やってるかは知らないけど」  まさか、瞳ちゃんが生きてて、その家庭教師兼餌やってますなんて言えない。 「守秘義務あるから、ごめんね?」 「別にいいわよそれは。……それより、何かヤバイ事やらされてる訳じゃないわよね?」  金額を数えながら、訝しげにそうに聞いてくる母さん。 「全然そんな事はないよ?」  死んでくれないかと頼まれてるのは、ヤヴァイ事に入るかな?  別に死ななくてもいいらしいから、入らないか。 「ならいいんだけど。……あー、もう風呂入って寝ちゃおっかな」 「それがいいよ」  母さんは立ち上がり、両手をあげて伸びをしてから、頭だけ振り返った。 「ねえ、太陽。さっきの話だけどさ?」 「うん?」 「死んだアンタが生き返ったら、どうして生き返ったかの理由、知りたくなるでしょ?」 「まあねえ」  何で生き返ったんだって、意味が分からないままにはきっとしておかないだろう。 「誰かを犠牲にして生き返ったなんて、そんな重荷をアンタに背負わせるわけにはいかないから、やっぱ父さん突き落とすのナシね?」
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