近づく距離と離れない現実

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近づく距離と離れない現実

 翌日。  学校に近づいていく度に、前夜の記憶が脳裏に鮮明に蘇っていく。  あの唇、胸。そして――彼女の吐息。  朝っぱらから脳味噌はピンク色に染め上がっており、頭が湯だって仕方がない。  今、空から僕らを照り続けている夏の太陽にも負けないんじゃないかと錯覚するくらい、僕の頭の熱はグングン上昇している。  この状態で群咲さんと出会ったら、どうなる事やらだ。 「瞳ちゃん瞳ちゃん瞳ちゃん瞳ちゃん……」  自意識を保つ為に、想い人の名をぼそぼそクチにしながら歩く。  だけど、群咲さんの肉体があまりに凄かったので、ちょっとでも集中力を切らすと――すぐ、脳味噌が群咲さん一色になる。  これってマズイんじゃないか、完全に浮気なんじゃなかろうかと考えているうちに、学校に辿り着いた。  昨日のように通学路で彼女と出会う事はなく、下駄箱までやってきた。 「……ん?」  上履きに替えると、背中をぽんぽん軽く叩かれた。  誰かと思って振り返ってみれば――そこには、群咲さんが居た。 「えへへ、おはよっ!」  上目遣いで、可愛らしく挨拶してくれる群咲さん。 「うん。おはよう」  自然と目線が唇にいき、自動で胸へと着陸。 「――あっ、よー君いけないんだっ!」 「え、ごめんなさい!」  指摘されるのはあたりまえだ!  他人の、しかも女性の胸をじっと見るなんて失礼だ! 「上履き、履き潰してる! だめだってそういうの!」  ……そっちか。そっちだったか。 「ほーら、ちゃんと履く! はい、足あげて!」 「あ、うん、はい……」  言われた通り足をあげると、群咲さんは潰れた上履きの踵を成型して、履き直させてくれた。  なんだか、介護されている気分だ。  ……群咲さんってば、しゃがんでるから、胸の谷間がまる見え――いや駄目だ! 見るな僕! 「ありがとう、群咲さん」 「……名前で呼んでくれないと、返事できないかなー?」  しれっととぼけた顔をして、そんな事を言う群咲さん。  彼女のフルネームは群咲陽花。陽花と呼べと言ってるのだろうか?  とりあえずお互い、周囲の邪魔にならないよう教室に向かいつつ喋る。  当然の様に僕の腕に抱き着いている群咲さん。 「名前って、どうして今更?」 「今更じゃないから! 名前って大切だから! 私は太陽君の事ずっとよー君って呼んでるよ!? 大切な名前だから!」  そういえば、僕は群咲さんの事をずっと苗字で呼んでいた。  なのに彼女は僕をあだ名で呼んでいる。瞳ちゃんだって呼ばないのに。 「そっか。じゃあ、群咲さんはなんて呼ばれたい?」 「陽花(ひのか)って呼び捨てでいいよ?」  駄目だろそれ。  瞳ちゃんにだって呼び捨てしてないんだから、駄目だって絶対。 「や、それはやめとこう」 「ええー……?」  ひどく不満そうな群咲さん。  そんなに僕に呼び捨てにされたいのだろうか。……されたいんだろう。  仕方ないなあ……。 「ええと、群咲さんに合わせると……僕は太陽で、最後の一音だけ取ってよー君呼び。なら……」 「陽花。ひのかのか、かーちゃん?」  まあ、そうなるよね。 「それだと、母親を呼ぶ時みたいになっちゃうね……」 「え? まるで結婚してるみたいだって?」  ふざけた事を言い出す群咲さん。  むしろ親子というべきか。  今さっきだってお世話されちゃったし。 「なんなら、将来結婚しちゃう?」 「しないしない」 「だよねー、まだ恋人でもないもんねー?」 「そうそう」  恋人でないと分かっているのに、僕の腕に抱きついてグイグイと柔らかな胸を押し付けてくる群咲さん。  彼女の好意は本当嬉しいけど、ここで一発ガツンと言っておいた方が良い気がする。 「……ねえ、群咲さ…………陽花ちゃん?」  仕方がないので、呼び方を変えてみた。  とりあえず、この呼称でいいだろう。 「なあに?」 「腕、離してくれない?」  陽花ちゃんは少し傷ついたというか、ふてくされた様な顔をして、唇を前に少し伸ばす。  まだ腕は離してくれていない。 「……私の事、キライなの?」 「嫌いじゃないよ、全然っ!」  ちょっと待て僕! 嫌いじゃないじゃないよ! もっとしっかりしろ! 「で、でもね? ちょっと、恥ずかしいかなって……」  見回すと、道行く人が結構な割合で僕らを見てきている。 「嫌なの? 私とこうしてるの……」 「嫌じゃないけど……」  僕も男だし、むしろ嬉しいんだけどね? でも、それとこれとは別問題な訳であって。 「嫌じゃないなら、こうさせててくれない? ……お願いっ」  憂いを帯びた瞳で、下から覗く様に言われたらもう、断るに断れない。 「…………うん」  うんじゃないからね、僕?  ……あーもう、こんなに好意マシマシだと、本当困る。  これじゃあ、ほとんど何も断れないじゃないか。  一線だけはちゃんと守るけどさ?  ……守れてるかな?  守れてるよね? 「……太陽が、ビッチに、喰われた、だと?」  教室に辿り着き、僕の席までついてきた陽花ちゃん。  僕らの状態を見た保月君が、酷い発言をした。 「まさか太陽、お前、童貞……卒業しちまったのか?」 「してないしてない!」  もししてたら、瞳ちゃんに合わす顔がないよ……。 「一緒に卒業しよーねー?」 「しないから!」  まったくもう、そんな良い笑顔で卑猥な事言わないでくれ。 「そうだぞ、どうせその女はビッチなんだ。食ったら捨てられるだけだぞ太陽。やめとけやめとけ」 「わ、私処女だから! ねえよー君!?」 「え、それ僕に聞くの?」  確認した事ないから、うんとは言えないよ!  言ってあげてもいいけど! 「貫通してねえのかよ。……なんだ、ファッションビッチだった訳だ?」 「ファッションビッチ!?」  どんなファッションだどんな。 「ってか元々、私はビッチじゃないから!」  なんて言いながら、己の胸を僕の腕で潰して遊んでいる陽花ちゃん。 「……へえ?」  保月君は失礼にも、その陽花ちゃんの胸をじーっとみつめた。 「なによその目。……あ、もしかしてアンタ、おっぱい押しつけられてるよー君が羨ましいんじゃないのー!?」 「ばっ……ちげえし!」 「あっそ?」  そうは言うものの、陽花ちゃんの胸を凝視する事をやめない保月君。 「だがまあ、良い胸してるのは間違いないな、うん」  乳輪の大きさはまだ見てないから分からないけど、柔軟性と弾力性については実に素晴らしいと思う。 「ああ、はいはい。大好きな妹さん、確かぺったんこだもんね。妹さん、巨乳だったらよかったのにね?」 「ぺった……妹の悪口は許さねえぞお前!?」 「へえ? ぺったんこが悪口っておもってるんだ? へえ? へえへえへえへえ? おっぱいに貴賤はないんじゃなかったっけ?」 「そういう事じゃねえから!」  おっぱいをきっかけに、ぎゃーすぎゃーす言い争う二人。まったくもう、仕方ないなあ……。  とりあえず僕は椅子に座る。すると陽花ちゃんは僕の背後にまわって、後頭部に胸をあててきた。  ……しっかし、昨晩から異様に積極的過ぎるでしょ陽花ちゃん。これじゃ、本当にビッチみたいだ。  でも、なんだかな、こうされていると、やっぱり瞳ちゃんの事を一時的にだけど忘れてしまう。  別に陽花ちゃんが嫌いな訳じゃないし、むしろ好きといってもいいくらいだ。  だから、こういう事されても、嫌な気分にならないどころか、幸せな気分になる。  いっそ、もっと押し付けて欲しいという欲望まで湧きあがってきてしまう。  そんな気持ちが湧きあがると同時に、罪悪感もどさどさと脳内で積み上げられていくのを感じる。 「――おい、太陽。だらしねえ顔してんじゃねえよ」  いつの間にか保月君の矛先が僕に向けられていた。 「え、どんな顔してんの僕?」  頬が緩んでる自覚はあるっちゃるけど。 「うん、すっごい可愛い顔してるよ、よー君?」  頭の上から逆さまになった顔を目の前に出してくる陽花ちゃん。  顔が近い顔が近い。 「……お前、その顔、今の状況を、赤汐さんとやらに見せられるのか?」  見せられる訳が無い。  今まで積りに積もった罪悪感が、保月君の言葉を聞いてドンと倍になった気分だ。 「む、無理かな……」 「だろ? だったら、その巨乳を振り払え」  そうだね、その通りだよ。 「…………陽花ちゃん。離れてくれない?」 「ん? いいわよ?」  予想外な事に、素直に言う事を聞いて離れてくれる陽花ちゃん。  ここは言っておくべきだろうから――仕方ない。  陽花ちゃんの為にもあまりこういう所では言いたくないけど、話をさせてもらおう。 「あのね、この際だからはっきり言っておくけど、僕は瞳ちゃんに一生を捧げるんだ。だから、陽花ちゃんが僕の事がいくら好きでいてくれて――もがっ!?」  陽花ちゃんは僕が話している途中だというのに! 僕の後頭部に手を当て抱き、自らのふくよかな胸の谷間に突っ込んだ! 「なんつう恐ろしい事をするんだ、このビッチは……」  保月君の戦々恐々とした声を聞いた後、僕は上を向いて胸の谷間から逃れる。  首が全然逃れられてないのはご愛敬。 「好きでいてくれても、なあに?」  陽花ちゃんはそっと僕を離してくれた。  聞く体制に入ってくれたって事でいいのかな? 「好きでいてくれても、僕は陽花ちゃんを彼女以上に想う事はないよ?」  寂しいと言っている彼女にこんな事を言うのは酷かもしれないけど……。 「……でも、よー君? ひーちゃんは、もうこの世にはいないんだよ?」  陽花ちゃんの目尻に涙が浮かんでいる。  やっぱり、陽花ちゃんも瞳ちゃんがいないのが、まだ悲しくてどうしようもないんだね……。 「だから、一緒に慰めあって生きてこ? ね? そんな悪い話じゃないと思うんだ?」 「まあ、確かに悪くはないんだろうけど……」  でも、いつも通り仕方ないと思って――そんな甘言に惑わされる訳にはいかない。  瞳ちゃんは生きているんだから、それを裏切る行為はできない。そもそもするつもりもないけど。 「よー君……なんで、そんな嫌そうな顔するの?」  言われて気が付いた。  気が付けば、眉間に皺が寄ってたみたいだ。 「そんなに私の事、嫌い?」 「嫌いじゃないよ……」  ここで、本当なら嘘でも嫌いだって言ってあげた方がよかったんだろうか。 「じゃあ、好き?」 「そりゃ好きだよ? 友達としてはね? 保月君と同じくらいには好きだよ?」  今度は保月君が嫌そうな顔をした。 「うげっ。太陽お前、何気色悪い事言ってんだよ……」  そんなに気色悪いかなあ? 「本当に友達レベル? もしひーちゃんが彼女じゃなかったとしても、私の告白、受けてなかった?」 「それは――」  ――ない。ここまで想われていて、悪い気はしない。いや、むしろ良い気分だ。  それに、陽花ちゃんは恋人レベルとは言わないまでも、それに近いくらい好ましい人間だ。  その仮定だったら、告白を受けない理由は無い。 「今、それとほとんど同じ状況だよ、よー君?」  違う! 瞳ちゃんは生きているんだから、仮定通りなんかじゃない! 「ね、よー君。お願いだからさ……今、生きている人を大切にして?」  してる! 生きている瞳ちゃんを大切にしているつもりだ! 「別に私じゃなくてもいい。他の人でもいいから、独りでいないで、ちゃんと誰かを好きになって、生きていってよ…………お願い」  でも、他の人にするくらいなら、出来れば私にしてほしいな? と、追加でお願いしてくる陽花ちゃんだった。
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