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放課後の続きを知らせる音
料理している人の後姿を見るのは、当然はじめてじゃない。
今だって休日になれば母さんが作ってくれるし、昔だってかなり頻繁にエプロンを着た母さんの背中を見ていた。
けど、なんなんだろうこれは……。
「……ごくり」
同世代の女性が、我が家のキッチンで料理をしている背中というのはどうしてこう、クるのだろうか?
新鮮というものもあるけど、それ以上にどこか性的なモノを感じるんだよね。
ふと後ろから抱きしめてみたくなる欲望にかられるけど、当然我慢だ。
冗談でもそんな事をしたら、瞳ちゃんに顔向けできなくなる。それは嫌だ。
「よー君? 作ったついでに、食べさせてあげよっかー?」
「……いや、いいよ」
誘惑されたが、謹んでお断りさせてもらった。
陽花ちゃんが作ってくれた夕食は、お弁当より随分美味しく感じた。
その原因はきっと、目の前で作ってくれた事と、作り立てという事実からなるものだろう。
「なんでこんなに美味しいんだ……」
母さんのより旨く感じたせいか、ぽろっと本音をこぼしてしまった。
「やったっ!」
小さく喜んでくれている陽花ちゃんが可愛い。
……なんかな、可愛いなんて思うもの不倫な気がしてきた。
いや、家に呼んで料理ふるまってもらってる時点で今更か……。
「それなら、お母さんが退院しても、平日毎晩作りにこよっか?」
「え……」
実際、嬉しい申し出だ。
だって平日は、毎日惣菜か弁当だから。
でも、そこまで甘える訳にはいかない。
「いや、そう言ってくれるのは有り難いし嬉しいけど、遠慮しとくよ」
「そっかー、残念」
本当に残念そうに、苦笑いしている陽花ちゃん。
「でも、気が変わったらいつでも呼んでいいんだからね?」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
呼ぶつもりはないけど、社交辞令的に答えておく。
「ご飯食べたら、お風呂入っちゃってね、よー君?」
お互い食事が終わった所で、陽花ちゃんが風呂に入る順番を譲ってくれた。
だがまあここは、僕が気を使うべき所だろう。
「ううん。ご飯作ってくれたんだし、陽花ちゃん先入ってよ。その間に食器洗っておくから」
「いやいや、よー君先に入ってよ。家の人先に入ってくれないと――……ん?」
彼女は、何か閃いたという様な顔をした。
「やだ、よー君ったら! 私の残り湯に浸かりたいんだー!?」
「ちがっ!」
全然意識してなかった事を言われて、僕は一瞬で顔が真っ赤になってしまった。
なんだよ、陽花ちゃんのその変態的思考は!
「それならそうと言ってくれれば良かったのに! そいじゃ先はいるねー!」
「ごめん先に入る! 僕が先に入るから!」
「だめーっ! それは許しませーんっ!」
ダッシュで脱衣所に消えていった陽花ちゃん。
「お風呂、お先にいただきまーっす!」
僕に、脱衣所の中まで追っていく度胸はなかった。
「……はあ、なんか、主導権握られてるな…………」
ずっと陽花ちゃんにペースを握られている。これはマズイと思う。
けど、どうしたら良いかが分からない。
どうやって主導権を僕の方に寄せるか、そのやり方が分からない。
「まあ、いいか」
考えても仕方ないので――切り替えて、僕は食器を洗う事にした。
食器はテーブルの上に置いたままなので、台所に移動――させようとした所で、自然に発生したトラップが発動した。
「……くっ」
陽花ちゃんの使った食器が、酷く性的に見えて仕方がない。
箸も茶碗も、彼女がクチをつけたんだと思うと、なんか変態になってしまった様な気分になる。
「平常心平常心……」
ビークールと心で唱えつつ食器を洗う。
風呂場から聞こえてくる音にいちいち動揺しながらも、気合を入れて手を動かす。
それが終わってから、箪笥から予備の布団を取り出した。
「陽花ちゃん、どこで寝るっていうかな……」
主導権を握る方法が分からないにしても、とりあえず彼女は客なんだ。
客には気分良くしていてほしいし、気分が良いまま帰って欲しい。
だから僕は、陽花ちゃんが寝たそうな場所を考えて――秒で思いついた。
「……僕の、部屋か?」
流れ的には間違い無い筈だ。
確実にそう言うはずだ。
むしろそれ以外ないと思う。
もし、僕に襲われる危険性を考慮して行動する人だったら、瞳ちゃんの墓の前であんな事はしない。
僕に覆いかぶさって、むっちりむちむち執拗に優しくも暖かいキスをする筈がない。
あんなん、誘ってると同じだ。
だから、僕の部屋で寝ると言い出すに決まってる。
よし、布団をひこう。僕の部屋に。僕のベッドの隣に。ミリも離れてないすぐ隣に。
「ふわー、さっぱりしたー!」
布団を敷いてそこそこ時間がたってから、陽花ちゃんが風呂からあがってきた。
頭にバスタオルを巻いての登場だ。
上半身には、気持ち大きめの白黒ボーダーのTシャツ。下半身には、裾が少しゆったりした黒のショートパンツ。
シャツの黒いラインのせいで、胸のふくらみが一目見ただけで分かるのが大問題。
「食器、ありがとねー」
「お礼言われる様な事じゃないよ」
むしろこっちが礼をする立場なんだから。
「あー、そういえば私、どこで寝ればいい?」
「……布団は敷いておいた」
「そっか、ありがとー。で、どこに?」
「こっちだよ」
僕は己の部屋に向かって歩き出し、そして扉をあけた。
先に陽花ちゃんを中に通す。
「……えっと、ここって、……よー君の?」
「僕の部屋だよ」
どうだろう?
これでも僕なりに陽花ちゃんの事を考えて行動してみたんだけど、喜んでくれるだろうか?
「やっだ、よー君ってば積極的いっ! そんなに私と一緒に寝たかったのーっ!?」
「――っ!?」
完全に裏目に出た!
彼女の思考を読んだだけだったのに、自分で自分を攻撃したみたいな感じになってしまった!
おもてなしの心で投げたブーメランが、逆襲してきた!
「いや、そういう訳じゃないんだけど……」
せめてもの抵抗にそう言ってみる。
「……違うの?」
ご飯を食べさせてもらうのを断った時とはまるで違う。心から残念そうな、悲しそうな憂い顔をして僕を上目遣いで見てくる陽花ちゃん。
彼女は、今にも泣きだしそうだ。
「…………えっと」
違うよとは、言ってあげられない。
だから、別の言葉を渡す事にした。
「せっかくだから、夜寝る直前まで、陽花ちゃんとおしゃべりしたいなって思ってさ?」
「そっか、そっかあ……」
残念そうなのは相変わらずだけど、どこか嬉しそうにしてくれている。
「ベッドと布団、どっち寝る? ベッドは僕の髪の毛とかフケとかうじゃうじゃ存在してると思うけど……」
「とうっ!」
陽花ちゃんは躊躇なく――ベッドに向かって飛んだ!
当然、彼女はベッドの上でぼよんぼよん跳ねる事となる。
胸までぼよんぼよんだ。太腿も完全にモロ出しなので、目に毒過ぎる。
「ねえ、パソコン見ていい!? よー君の性癖確認しておきたいし!」
「……お風呂入ってくるね? 何触ってもいいけど、期待するような事は出ないと思うよ?」
だって、エロ系のファイルは全部クラウドにまとめて置いてあるから。
「えー? もしかしてよー君、そっちに疎い人なの? だからこないだ何もしてこなかったんだ?」
こないだってのは、多分墓地での事だろう。
「どうだろうね。……じゃ、楽にしててね? 冷蔵庫のものだって、自由に飲んでいいんだからね?」
「うん、わかったよー」
部屋に陽花ちゃんを残して、僕は風呂場へ向かった。
ドキドキしながら彼女の残り湯で身体をあらった。
湯船に入った時が、一番心臓が痛かった。
流石の陽花ちゃんも風呂場に突入してくる事もなく――麦茶だけ一杯飲んでから――再び自分の部屋に戻った。
「……あれ? ちょっと暑くない?」
「冷房の設定温度、結構あげちゃった」
性別の差というか、身体の作りの差だろう。
リモコンを見てみたら、冷房の設定が二十八度だった。
「温度戻すね? ごめんね?」
ベッドの上からリモコンに手を伸ばす陽花ちゃん。
「あー……いや」
どうしたもんか。
僕と彼女、どっちに合わせるべきだ――なんて思考は必要ないか。ここはお客さん優先だろう。
「別にいいよこの温度で。大丈夫」
「ほ、ほんと?」
「本当本当」
陽花ちゃんが風邪ひいたら駄目だしね。
これは流石に仕方ない仕方ない。
「よっこらせっと」
「よー君、おじいちゃんみたい」
クスクス笑われながら、布団に入る。
下半身だけ布団インで、上半身は起こしている状態だ。
なんとなく、スマホで時間を見てみると――夜十時に近かった。
バイトがなかったも同然なのに、結構遅くなったなあ。
「お隣、失礼しまーす」
「……どうぞ」
陽花ちゃんがベッドから降りてきて、僕の布団に侵入してきた。
抵抗してもどうせ無駄なので――仕方ない。素直に受け入れる。
「えっへへー」
顔をほころばせて、僕の肩に頭を預けてくる。
「こうしてると、恋人みたいだよねー?」
「……ど、どど、どうだろうね?」
さっくりイエスと答えられる立場にないので、あやふやな答えを出すしかなかった。
「お母さんが退院するまでは、毎日泊まりにきていいんだよね?」
――どうしよう。
母さんが入院してるからって今日泊まってもらうのに、明日は駄目だってのは通るか?
僕が彼女の立場だったとして考えると…………うん、通らないかな。
本当は強引にでも通らせる必要があるんだろうけど、まあ、いいだろう。
ちょくちょく僕には瞳ちゃんが居るからと宣言してるし、そのうち呆れて離れていくだろうし。
「……よー君、私ね? よー君の事、好きだよ? 大好きだよ? 愛してるよ?」
僕の反応を待つことなく、彼女は口火を切った。
「だから、よー君がどうしても嫌だったり、苦しい事は、させたくないんだ……」
想うからこそ、思いやる。それは当然の事なのかもしれない。
「……ねえ、よー君。私が君の近くにいる事で、君を苦しめているんだとしたら、それは、嫌だな」
「そっか……」
「この際だから、はっきり言って? 私とこうしてると、ひーちゃんに申し訳なくて――心苦しかったりする?」
苦しいよ。
瞳ちゃんが生きていると言えない事も、陽花ちゃんがそうやって僕の事を思いやって――自分の心を、押し殺そうとしている事も。
「そうだったら、私……」
――ぴりりりりりりっ。
唐突に、僕のスマホが着信音を響かせた。
僕は、先に陽花ちゃんに返事するのが先だと思って電話に出ようとしなかった、けど。
「電話、出た方がいいんじゃない?」
「……うん」
陽花ちゃんの頭が肩から離れる。
名残惜しいと思う事もなく、僕はスマホを手にした。
着信相手は――お義父さんだ。
「もしもし?」
『夜分遅くに申し訳ございません、赤汐です』
「いえいえ、かまいませんが、どうかしましたか?」
『……実は、こちらに来て頂きたく思いまして』
「えっと、今ですか?」
『そうです。心苦しいですが、瞳の為にもお願いできますか?』
僕はなんとなく、隣の陽花ちゃんの顔を見る。
……うん。
悪いけど、どんな約束よりも何よりも、瞳ちゃんが優先される。
「わかりました。今すぐ行きます」
『有難うございます。お待ちしております。……では、失礼します』
「失礼します」
ぷちり。
電話を切って、陽花ちゃんに話をする。
「ごめん陽花ちゃん。話の途中で悪いけど、職場いかなきゃいけなくなっちゃった」
「今!? もう夜遅いよ!?」
夜の十時だものね、そりゃそういう反応するよね。
「そうだけど、行かなきゃいけないんだ」
「明日じゃだめなの?」
「明日でいいなら今電話こないよ。……ごめんね?」
「……外暗いし、危なくない? ついてこっか?」
陽花ちゃんがついてきてくれるのは心強いけど、瞳ちゃんと出会う危険があるからな……。
「仕事してる所に来られるのは、流石に恥ずかしいよ」
「そんなもん? ……そっか、わかった。じゃ、気を付けてね?」
良かった。強引にでも着いてくるみたいな事言い出さないで。
ほっと一安心。
「ありがと。陽花ちゃんは先に寝てていいからね? 喉乾いたら何飲んでもいいから。もし自販機とかコンビニで買ったら金額言ってくれれば渡すから、自由にしててね?」
「はあーい!」
陽花ちゃんの良い返事を聞いた僕は急いで着替えを済ませ――予備の合鍵を渡す事を忘れず――瞳ちゃんの家に急いだ。
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