30話 最後の夜会

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30話 最後の夜会

 その日、王城からの舞踏会の知らせが来た。名目はヘーリア帝国の使節団のお別れ会である。ルーカスはそれに参加の返事を返した。 「ルーカス、本当に大丈夫?」 「ああ、顔を出さないと……王太子も心配されるしな」 「無理はしないで。具合が良くなかったらすぐに言ってね」 「ああ」  ルーカスは心配のあまり、何度も念を押すアンジェの頬にキスをした。この舞踏会が終わったら、アンジェに正式に結婚を申し込もう。そう考えると、ルーカスは自然と笑みがこぼれてくる。 「楽しそうね。毎日退屈だったものね」 「いや……君がいたからそんなことはなかったさ」  アンジェとのあの一夜ほど素晴らしいものは、今のルーカスにはなかった。たとえそれが王宮晩餐会だとしても。そう、王宮の大広間で彼女に求婚をしよう。あのきらびやかな場所で最高の思い出に……。 「さあ行こう」 「ええ」  アンジェはルーカスが差し出した手を握り、馬車へと乗り込んだ。浮かれ気味のルーカスとは逆に、今日がルーカスと過ごす最後の夜だ。そう心に決めながら。 ***  豪華な晩餐が終わり、人々は宮廷の大広間に移動する。キラキラとシャンデリアの光の落ちるエレトリア建築美術の粋を極めた美しい広間。  そこに久々に現われた噂のカップル、ルーカスとアンジェに人々の目は引きつけられる。そんな二人に真っ先に近づいたのはクリフォード王太子だった。 「やぁ、『鉄の伯爵』。さすがじゃないか」 「クリフォード王太子……まだ万全とはいきませんが、ダンスくらいなら踊れますよ」 「そうか、安心した」  王太子殿下はそう言って微笑んで取り巻きに囲まれながら去っていった。 「いいの、あんなこと言って」 「ああ。早速踊ろう。みんなに俺は万全だと見せつけないとな」  そう言ってルーカスはアンジェの手を取る。音楽が始まり、ステップを踏むルーカスの姿は確かに以前のままのように見えた。だけど、一緒に踊っているアンジェは時折庇うような仕草をするルーカスが気が気ではなかった。 「ふう……少し喉が渇いたわ。ほら、あそこでグレンダも待っているわ」  アンジェは一曲終えたところでルーカスをそっと踊りの輪から離した。 「こんばんは、ルーカス」 「グレンダ」 「達者なようでなによりね」 「ええ、もうこの通り」  そんなグレンダの前でもルーカスはくるりと回ってみせる。 「ほらほら、アンジェが心配そうな顔をしていますよ。座って」 「ええ……」 「そんなに気張らなくたって、あなたが元気なことはわかりましたよ」 「そうですか」  それでいい、とルーカスは思った。アンジェに暴漢をけしかけた犯人……正確にはあのごろつきを雇った誰かがこの夜会にいるかもしれない。彼女に手出しをさせないために、ルーカスは以前通りだと主張する必要があった。 『こんばんは、みなさん』 『あらユーリ』  『ごきげんよう』  そこにやって来たのはユーリである。ルーカスとアンジェとグレンダの元にやって来たユーリは深々と頭を下げた。 「この夜会がお目にかかる最後になりそうです」 「ええ。また来てヘーリアのことを聞かせてくださいな」 『はい、よろこんで』  ユーリはグレンダにそう答えると、視線をアンジェに移した。 「アンジェ、踊らないか?」 「あ……そうね」  アンジェはチラリとルーカスを見た。 「……行っておいで」  ルーカスがそう答えたので、アンジェはユーリの手を取り再び踊りの輪に加わっていった。 「あらあら……なにか余裕が出たようね」 「そうですか?」  その様子をグレンダは興味深そうに見ていた。ルーカスは本当にこの人の前で己を偽るのは一苦労だと思いながら小さな声でグレンダに言った。 「彼女と結婚しようと思います。俺はアンジェと一生を共にしたい」 「まあ……」 「そこで、幼馴染みとのダンス一つでカリカリしていては……駄目でしょう」 「確かにそうね」  グレンダは扇で口元を隠しながらくっくっと楽しそうに笑った。 「こういうことになると思ったわ。収まるところに収まるのね」 「……そういうものでしょうか」 「そうよ。運命ってあるのよ。ぴたっと引き寄せられるように……不思議な力に吸い寄せられるの」  グレンダは少し遠い目をした。きっと亡き夫のことを思い出しているのだろう。 「……飲み物を取ってきましょう」 「ええ、お願い」  ルーカスは席を立った。そして従僕から飲み物を受け取りながら、グレンダの言う運命という言葉が頭から離れない自分に苦笑した。 『ねえ、アンジェ……明日にはカッセルを離れて港街に移動するよ。準備は大丈夫かい?』 『ええ……』  アンジェはこっそりと三人分の荷物……元々の荷物に少し衣服を足したくらいだが――を用意していた。双子達にはまた突然の別れになってしまうがしかたがない。 『そうか。では明日、ホテルの前まで来てくれ』 『わかったわ』  そうアンジェが頷いた時、曲が終わった。ダンスを終えたアンジェはまたルーカスの元に戻った。 「ルーカス、少し汗をかいているわ。傷が痛むんじゃなくて」 「……会場が熱いんだ」 「そう……?」 「少しバルコニーで涼んでくる。グレンダのお喋りにつきあってくれ」 「ええ、いいけど」  ルーカスはそう言って外に出て行ってしまった。アンジェは言われた通りにグレンダと少しお喋りをしていた。 「アンジェ、落ち着かないようね」 「あ、ええ……ごめんなさい。ルーカスがなかなか戻らないなと」 「ふふ、一時も離れたくないのかしら」 「そ、そんなんじゃ……」  アンジェは俯いた。グレンダの言うことは半分正解で半分不正解だ。この夜会でお別れだからこそ、アンジェは残された時間をできるだけ一緒に居たかったのだ。せめて、最後のワルツは一緒に踊りたい。――お別れのワルツを。 「……ルーカスを探してきます」 「ええ、気をつけて」  アンジェはちょっとバルコニーを覗いてみることにした。
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