過去(六)

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過去(六)

「きゃ!」 「菜穂!」  スタンガンは菜穂に直撃してそのまま倒れてしまった。 「しっかりしろ! 菜穂」  菜穂の身体を揺するが意識はなかった。猫の着ぐるみは逃走した。 「待て」  僕は犯人を追った。周りは人が混雑しており、行く手はうまく進まなかった。角を死角に猫の着ぐるみは振り切りを試みる。絶対に逃してたまるか。 「うわ」  急に人が出てきて僕とその人はぶつかる。 「ちょっと、どこ見ているのよ」 「ごめん。急いでいて。保坂?」 「菜穂の彼氏さん」  ぶつかった相手は保坂真由だ。 「ねぇ、さっきここに猫の着ぐるみの人、通らなかった?」 「猫? あぁ、うん。見たよ。部室に行ったと思う」 「ありがとう」  お礼だけ言って僕は部室に走って行く。ここから先、一本道だ。逃げも隠れもする場所もない。追い詰めた。  僕は一部屋ずつ順番に扉を開けて行く。誰もいない。そして最後の部屋に差し掛かった。一呼吸置いて僕は勢いよく扉を開けた。 「…………」  猫の着ぐるみはいた。しかし、中身はいなかった。犯人はここで脱いで逃走したのか。いや、まだこの部屋のどこかにいるのか。  人が隠れられるような場所はロッカーしかない。僕は全てのロッカーを開けた。 「お前は」  そこにいたのは僕の知っている人物だった。佐々木翔太だ。 「佐々木君。どうして君がここに」 「残念。見つかったか」  佐々木君は悪びれる様子はなかった。むしろ開き直った態度だ。 「君が菜穂に攻撃したのか」  僕は胸ぐらを掴んで問い正した。 「だったらなんだ」 「この野郎」  僕の拳は佐々木君の頬を殴っていた。 「さすがに痛いよ」 「なんでだ。どうしてこんなことをする? 答えろ、佐々木!」 「理由はないさ。ただ、命令されただけさ」 「命令されただと? 誰に?」 「いいのかい? こんなところにいて。彼女はもう連れ去られている頃だと思うけど」 「なんだって?」 「僕は所詮、捨て駒さ。速水菜穂は今頃、あの人の仲間に連れ去られているよ。君のよく知る人物さ」 「それってもしかして」  僕はある人物の顔が脳内に浮かんだ。 「僕も本当はこんなことはしたくなかった。けど、龍虎さんの命令には逆らえない。逆らえば僕の命が危ないからね。悪く思わないでくれよ。恨むなら龍虎さんを恨むことだ」  佐々木君は最後にそう言っていた。彼は僕を退く為の囮に過ぎなかった。まんまとやられてしまった。  以前、暗黙恐喝の事件の主犯格だった龍虎がなぜ再び僕たちの前に現れたのだろうか。 後から聞いた話だけど、罪になって今は書類送検されて少年院に入っているって聞いた覚えがある。あれから四年の月日が経ってまた動き出したとでも言うのだろうか。だとしたら菜穂に恨みを持っていたとしてもおかしくない。 菜穂が倒れた現場に辿り着くと案の定、菜穂の姿はなかった。 「菜穂、どこに行ったんだ」  その時だった。僕のスマホに着信が入った。菜穂からだ。 「もしもし、菜穂か?」 「久しぶりだね。岡嶋君」 「お前は龍虎」 「光栄だね。君に名前を覚えてくれているなんて」 「菜穂はどこだ」 「いいよ。変わってあげるよ」  数秒後、電話の相手が変わる。 「もしもし。真斗?」 「菜穂。無事か?」 「無事とは言えないかな。目隠しされて手足を縛られて動けない」 「そこはどこだ」 「分からない。車に乗っているようだからどこかに運ばれている」 「僕が必ず助けるから待っていてくれ」 「来ないで。私は自力でなんとかするから」 「なんとかって。そんな無茶な」 「岡嶋君。時間切れだ」  電話は龍虎に変わった。 「貴様。菜穂に何かしたらただじゃおかないぞ」 「おー怖。でも彼女は僕の遊び相手になってもらう。今までの恨みを晴らさせてもらうよ。それじゃ」  電話は切れてしまった。  これじゃ菜穂の居場所が分からない。もう一度電話をしたが電源を切られてしまった。どうすればいいんだ。  龍虎の憎しみが増す。もし、菜穂に何かあれば僕は耐えられない。何か手がかりはないか。考えた末、僕はあることを思い出す。そういえば以前、恋人アプリを一緒にダウンロードした覚えがあった。そのアプリにはお互いの個人情報を入力して交換日記のようにやりとりができる。それとお互いの位置情報を把握できる機能もあったはず。菜穂のスマホが手元にあるのであれば場所を割り出すことはできるかもしれない。僕は位置情報の検索をした。位置は大きく移動している。やはり車で移動しているようだ。どこに行くつもりだ。  しばらく見守っていると位置が止まった。ここは確か、以前龍虎が溜まり場にしていた廃ビルだ。位置は掴めた。僕はその場所に向かって自転車を走らせた。  少年院にいる間、ずっと僕と菜穂を恨んでいた。そして少年院から出てきた龍虎は真っ先に菜穂を狙った。四年前の一見で全てが終わったと思っていたがそれは大きな間違いだった。その一見がこの日の余興になってしまったのだ。  一刻も早く廃ビルに向かった。相変わらず取り壊す予定もなくそのままの形でビルはあった。ここは不良の溜まり場になり誰も近づこうとしない。来たのはいいものの丸腰で乗り込むのは部が悪い。僕は佐々木君から奪い取ったスタンガンをズボンの中に忍ばせていた。佐々木君は後で懲らしめよう。一番懲らしめなきゃいけないのはこの中にいる。僕はたった一人で乗り込んだ。  中に進むと人の話し声がした。龍虎の声だ。中の様子を伺うと雑談をしている。仲間も何人かいる。 「龍虎!」  僕は姿を現す。 「やぁ、岡嶋君じゃないか。よくこの場所が分かったね」 「馬鹿正直にこの場所にいる方がどうかと思うよ。菜穂はどこだ」 「彼女なら隣の部屋で寝ているよ」 「何もしていないだろうな」 「さぁ、どうだか」 「テメェ、許さないぞ」 「許さないのは僕の方だ。君たちのせいで僕たちはずっと辛い目にあった。来る日も来る日も君と速水菜穂が許せない」 「それは自業自得だろう。勝手に恨んでいろ」 「そうさせてもらうよ。君には僕たちの四年間の苦しみを思い知らさないとね」  龍虎の仲間五人に僕は囲まれた。普通に考えて不利だ。幸いにも相手は武器を持っていない。あくまで拳で語り合おうとしている。 「ボコボコにしてやれ」  龍虎の合図で一斉に襲いかかる。僕は一瞬の隙をついて一人にスタンガンを脇腹に浴びせた。すると、男は感電し、その場に倒れこんだ。仲間が倒れこんだことで周囲は後ずさりになる。 「随分、卑怯なことをするんだね。岡嶋君」  龍虎は余裕のある顔で言った。 「卑怯なのはどっちだ。一人に対し五人掛かりは卑怯と言わないのか?」 「それもそうだ。しかし、それで勝ったつもりかい?」  龍虎が指パッチンをすると仲間たちは懐からナイフやバットを手に持った。力の差は見たままだった。勝てない。僕は膝を付いた。そのまま土下座の姿勢を作る。 「頼む。僕はどうなっても構わない。だが、菜穂だけは見逃してくれ」 「自分を犠牲に彼女を守るという訳か。泣かせるね。分かった。それで手を打とう。だが、君には本当の地獄を体感してもらう」  僕はこれから行われる拷問に耐えることになる。
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