現在(八)

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現在(八)

「おはようございます。時間通りに来てくれて感謝します」  待ち合わせのコンビニで紫織ちゃんは笑顔だった。一層、ドタキャンも考えたが紫織ちゃんの素性が気になり来てしまった訳だ。 「うん。ところでどこに行くんだい?」 「動物園だよ」 「動物園?」 「はい。出発!」  紫織ちゃんはヘルメットを被り荷台に乗る。向かった先は僕のよく知る動物園だった。そう、忘れもしない。ここは菜穂と付き合って最初に訪れた場所だ。当時の記憶と重なり合った。 「まさにぃ。早く行こうよ」  紫織ちゃんは嬉しそうに入り口に向かう。前から行きたかったようで目の前にして嬉しさを隠しきれない様子である。いつの間にか僕に懐いているようでまるで兄妹のようであった。 「紫織ちゃん、一つ確認してもいいかな?」 「はい。なんでしょう」 「今日はお父さんとお母さんにはなんて言って家を出てきたの?」 「あーそれなら心配しなくても大丈夫だよ。友達の家族に同行するって言ってある。快く送り出してくれたよ」 「そっか。僕、不審者に見えない?」 「見えるけどなんで?」と、紫織ちゃんの正直さが眼につく。 「僕は他人の目が気になるだけだ。通報されたら一発でアウト。僕は間違いなく幼児誘拐として捕まってしまう」 「大丈夫だよ。私のお兄ちゃんっていう設定にしておくから。それに今更、捕まる想定をするなんて人殺す気あるんですか?」  僕は紫織ちゃんの口を塞ぐ。 「紫織ちゃん。人前で物騒なことを言ってはいけません。それに目的の前に捕まったら意味がないでしょ」 「それもそうですね。反省します。ごめんなさい」  紫織ちゃんは素直に謝った。 「よろしい。お兄ちゃんの言うことはしっかり聞くように」 「早速、入園しましょう。あー楽しみです」  紫織ちゃんは僕より先にさっさと入って行く。全然言うことを聞かないのはどうしたものだろうか。チケットも買っていないので入るには入れないことは理解しているのだろうか。 「それよりさ。なんで動物園に来たかったの?」 「ある動物が見たかったの。思い出の場所だからあまり来たくなかった?」 「いや、そういう訳じゃないけど」  菜穂の記憶がある紫織ちゃんは当然そのことも知っていたようだ。あえてここに来たのには大きな意味があるに違いなかった。  入園料を払い、中に入ると多くの人が賑わっていた。その雰囲気は当時のままであり、通路の順番で動物たちを見て行く。 「紫織ちゃんのお目当ての動物は何?」 「ジャイアントパンダ」 「そうなんだ。ジャイアントパンダ可愛いよね」 「嘘。それは菜穂さんのお気に入りでしたね。私はレッサーパンダだよ」 「一応、パンダ系列なんだね」 「うん。小さい方が可愛いし」 「そっか。レッサーパンダは確か」 「こっちだよ」  僕より早く、紫織ちゃんはパンフレットで見つけていた。  燥ぐ姿は菜穂と重なって見えた。 「可愛い」  レッサーパンダを見てうっとりとする紫織ちゃん。 「ねぇ、写真撮ってよ。私とレッサーパンダをバックにして」 「撮ってと言ってもスマホしかないけど」 「それで良いから撮って! 早く。どっか行っちゃう」  僕は言われた通りに写真を撮る。ちょうどレッサーパンダが正面を向いた姿で撮影できた。 「ありがとう。後で送ってね」 「スマホ持っているの?」 「うん。ほら」と紫織ちゃんは鞄からスマホを取り出し見せびらかした。  今の小学生はスマホを持っているのか。僕は時代を感じた。僕がスマホを持ったのは高校に入ってからだというのに羨ましかった。 「ねぇ、次はジャイアントパンダ行こう」  紫織ちゃんの無邪気さは止まらない。  そういえば菜穂とこんなことがあった。  菜穂と二人でジャイアントパンダを見ていた時だ。 「ねぇ、知っている? パンダって貴重な動物なんだよ」 「うん。絶滅危惧種だよね」 「そう。世界に千二百頭しかいないって言われているの。こうして見ていると一匹の重みって凄いよね。必死に生きてほしいなって思う」  菜穂はパンダのコーナーに長い時間いた。まるで二度と見ることがないものを噛みしめるようにその眼に焼き付けていた。  そんなに見て何が楽しいのかと思ったが、今思えば菜穂の気持ちが分かるような気がした。 「菜穂」  僕は自分の手のひらを見ながら呟いていた。 「菜穂さんはもういません」  釘を刺すように紫織ちゃんは言った。 「そんなこと言われなくても分かっている」 「現実は受け入れているようですね。じゃ、見せたいものがあるので来て下さい」  紫織ちゃんはそう言うと僕の手を引いてある場所に向かう。  連れてこられたのはライオンの檻だった。他の動物とは違い、二重の檻で厳重に収められている。その凶暴さは檻の外からも伝わってくるほどだ。まさに百獣の王と呼ぶに相応しい動物である。だが、檻の中のライオンは元気が無くぐったりしていた。 「このライオンを見てどう思いますか?」 「どうって言われてもお腹空いているかとしか思わないけど」 「これが将来のあなたの姿です」 「は?」 「考えて見て下さい。ライオンは草原の大地では敵なしで動物界では最強と言われています。しかし、それは自然の中だけの話。捕まって檻に入ればその最強は何も出来ない。シマウマが外にいても触れることすらできない。しかもずっと檻に入れば狩りをすることも忘れ何もできずに死んでいく。それが運命です。この意味が分かりますか?」 「言いたいことは分かる。犯罪を犯せばライオンみたいに見世物になるとでも言いたいんだろ?」 「はい。その通りです。自由は無くなります」  紫織ちゃんはさっきまでの浮かれた表情とはかけ離れた冷たい表情でそう言った。ライオンを見る目は哀れみであり、見てはいけないものを見ているかのようであった。 「真斗さんはあのライオンのようになりたくないですよね?」 「僕は怖くない。目的を果たせるのであれば受け入れる覚悟だ。もしかしてこれを見せたくてここに誘導したの?」 「それはどうでしょう。私はただレッサーパンダが見たかっただけですよ」  紫織ちゃんはニヤついた。  恐ろしい小学生だ。僕は一刻もこの子と離れたかった。 「では次はあっちにウサギの触れ合いができるエリアがあります。行きましょう。まさにぃ」  まるで二重人格だ。裏表がありすぎる。どちらが本当の顔なのだろうか。将来、まともな大人にはならないだろう。良い意味で。 「きゃー可愛い。ぴょんぴょん」  ウサギの体をスリスリしている姿は少し可愛かった。 「まさにぃも触って下さいよ。可愛いですよ」  紫織ちゃんは持っていたウサギを僕に差し出す。受け取るともふもふしていて思わずスリスリしたくなるフォルムをしていた。  いつの間にか僕は動物園を堪能していた。当時の思い出を上書きするように紫織ちゃんとのデートが楽しかった。 「楽しかった。そろそろ帰ろうよ」  紫織ちゃんは帰る提案をした。腕時計を見ると時刻は十六時を回ろうとしていた。 「そうだね。良い時間だし帰ろう」 「今日はありがとうございました。私のわがままに付き合って頂いて」 「どういたしまして」 「今日、一日まさにぃと過ごせてどういう人かって直で分かった気がします」 「どういう人って何が分かったんだよ?」 「悪い人には見えない。どちらかというと気遣いができる良い人だと思います。私のわがままに嫌な顔一つしませんし、歩く速度を合わせたり、喉が渇いていそうだとジュースを買ってくれたりしてくれました」 「普通だと思うけど」 「その普通がいいんです。もう一度、考え直してみなせんか? 殺さなくてもいい方法を」 「紫織ちゃん、それは言わない約束じゃ……」 「ごめんなさい。でも聞きたい。別の方法を二人で考えてみませんか? 今ならまだ間に合う」 「ごめん。それは出来ない。僕はもう後戻りはできないんだ。それに人殺しを依頼した君にそんなことを言う権利はあるの?」 「ありません。これはあくまで菜穂さんの思いです。私としてはあの人は死んでほしい。でも、今は菜穂さんの思いを尊重させてあげて下さい」 「君は菜穂の事を何も分かっていない。生まれ変わりだがなんだか知らないけど、これは僕と菜穂の問題だ。こんな事を言っては失礼かもしれないけどこれ以上、僕に関わらない方がいい」  僕は泣かせる覚悟で言い放つ。しかし、紫織ちゃんは泣くことはなかった。 「そういう訳にはいきませんって言いましたよね。分かりました。私はあなたを止めません。ただ、せめて計画だけでも教えてくれませんか。私もどうしてもあの人には死んで欲しい。殺しの協力はするから手伝わせて」 「本気なのか」 「うん。本気だよ」 「将来ロクな大人にならないぞ」 「覚悟の上です」 「分かった。話すより見た方が早い。今日は遅いからまた休日に見せてあげるよ」 「本当ですか。分かりました。楽しみに待っていますね」  その日、僕は今朝の待ち合わせのコンビニまで紫織ちゃんを送った。  着いたのは十七時を少し回ったくらいだ。 「それでは私はこれで。また連絡して下さい。楽しい時間をありがとうございました」  紫織ちゃんはお辞儀をして帰っていく。また僕はいつもの日常に戻ろうとしていた。僕はいつだって一人なのだ。
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