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現在(九)
「ゼロ災でいこう、ヨシ。ご安全に!」
「ご安全に!」
いつもの挨拶。いつもの日常が僕を動かしていた。仕事をしていると言っても身体は忙しく動いているが頭は暇である。この時間はいつも妄想が膨らむ。考え事が長い分、僕は紫織ちゃんのことについて考えていた。あの子は改めて思うが何者だろうか。大体、紫織ちゃんのことは分かっているようで何も分かっていない。
学校ではどんな子なのか。上の名前は何て言うのか。家族内ではどんな生活を送っているのか。僕と接触して何を企んでいるのか。分からないことが多過ぎる。知っているのは表面上でしか知り得ていないのだ。本心は僕の計画を邪魔したいのか協力したいのかまるで分からない。協力をすると言ってもそれが本心ではないことくらい分かる。
ダメだ。別のことを考えていてもどうしても紫織ちゃんのことを考えてしまう。
「岡嶋、おい! 聞いているのか」と、日置班長に呼ばれてハッとなった。
「え? あ、はい」
「さっきから呼んでいるのに聞こえなかったか」
「すみません」
考え事と周りの機械音で何も聞こえなかった。
「まぁ、いい。それよりどうだ? 工程の習得は順調か?」
「はい。おかげさまで」
毎日、各工程を習得するのに長い時間を費やしていた。どの工程も単純作業なのでやり方とコツさえ分かれば習得に時間はそれ程掛からなかった。このペースだともう少しで全工程の習得も予定通り上手くいきそうだった。
「そうか。それは何よりだ。リーダー後任の報告も上に申請したから今後も頼むよ」
「はい。ありがとうございます。頑張ります」
責任がのしかかろうとするプレッシャーに先が思いやられる。長年勤務していればこういうことも訪れるものだ。そこは腹を括ろう。
「それともう一つ。池田の送別会をすることになったんだが、岡嶋も参加しないか」
「送別会ですか」
当然、長年勤めた社員が退職するとなると出てくる話である。今の僕にとっては一番苦手の行事の一つである。他人と同じテーブルで飲み食いするなんて僕にとっては苦痛でしかなかった。しかし、断ると職場で居心地が悪くなる。
「お前、忘年会はいつも断っているだろう。こういう時くらいは出席したらどうだ。今回は送別会と忘年会を掛けているから皆出席するそうだ。な?」
「分かりました。出席します」
「そうか。じゃ、出席として報告しておくよ。それじゃ、引き続き頼むよ」
面倒なことになってしまった。長年、飲み会関係は避け続けてきたが、今回はそうもいかなくなった。コミュ障の僕が出席したところで定位置に座りひたすら時間が過ぎるのを祈るだけになる。それに呑めないことはないが酒は好んで呑むタイプではない。こういうのは年配だけで楽しくやってほしい。若者の身として言わせてもらえば仕事よりも嫌なイベントに過ぎないのだから。
週末の金曜日。この日、業務終わりの二時間後に送別会兼忘年会がとある居酒屋で開かれた。派遣社員や係長、部長といった普段顔を出すこのないメンバー総勢五十人規模が集まった。その中で僕は場違いのように席に隅っこの方に身を潜めた。
「全員、グラスを持ったかな?」
会社で一番権力のある部長が指揮をした。この会社の社長は普段、工場にはいない。都会にある本社にその身を置いている。ちなみに役職は下から平社員、リーダー、班長、係長、部長の順になる。その中でAラインからEラインまであり、それぞれにリーダー、班長が各一人ずつ配置されている仕組みだ。それだけ規模が大きいので集まる人数も多い。ちなみに僕はDラインを担当している。
「今年もお疲れ様でした。乾杯!」
「乾杯!」
グラスを重ねる音が響き渡る。僕も周囲の人と乾杯を交わす。久しぶりにビールを口にするが好きでもなければ嫌いでもない何とも言えない味わいである。
「岡嶋、お疲れ」
声を掛けてきたのは同じラインの池田さんだ。そう、今回の送別会を受ける人だ。僕より五歳年上で長年リーダーを勤めた人だ。
「お、お疲れ様です」と僕は引き気味ながら言う。
「聞いたよ。自分の後任をするんだって?」
「えぇ、まぁ」
「リーダーになると仕事内容も増えるから頑張れよ。お前はコツコツ努力タイプだから一つずつ確実に身に付けたら大丈夫だから心配するな」
と、ポンと背中を叩かれた。
「ありがとうございます」
「リーダーの次は班長だ。これから大変だな」
「はぁ、自分に務まるか分かりませんけど」
「そうだな。一つアドバイスをすると岡嶋はもう少しハキハキ喋った方がいい。工場勤務だからといってボソボソ喋っていたら誰も聞いてくれない。上に立つものしてはハキハキと伝えるのも仕事だ。それは分かってくれよ」
「はい。貴重なお言葉ありがとうございます」
「自分も後数週間で終わりか。長かったような短かったような」
「池田さんはどうして辞められるんですか」
僕の発言で池田さんは真っ直ぐと僕の目を見た。聞いてはいけない質問をしてしまったと後になって後悔した。
「転職だな。この歳になって遅いかもしれないが工場勤務より技術を磨きたいと思って技術者を目指すことにした。工場だと同じことの繰り返しだ。それよりも自分を成長する意味で技術を身に付けたいと思ったんだ。別に工場勤務を否定する訳じゃない。それも立派な仕事だ。でも、工場を出てしまえば世間では何の能力も持っていない。作業ができたところで役に立つことは知れている。そんな理由かな」
「良いと思います。凄く」と、僕は正直な感想を述べる。
工場勤務は正直誰でも出来る。その人を必要としているのではなく労働力を必要しているに過ぎない。いってしまえば会社を動かす歯車に当てはめるだけ。使えなくなれば新しいものに交換すれば良いだけの話だ。だが、僕はそれで良い。会社の歯車として働いて使えなければ捨ててもらっても構わない。僕に残された時間はそう長くないのだから。
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