9人が本棚に入れています
本棚に追加
過去(十一)
「真斗、そういえばピザ屋でバイトをしているって言っていたよね。ここだったんだ」
菜穂は嬉しそうに言う。
「もしかして速水さんの例の彼氏さんですか」
「うん。そうだよ。真斗、紹介するね。同じ学校の後輩の琴葉ちゃん」
「初めまして。速水さんの後輩の久瀬琴葉です」
久瀬さんはわざとらしく挨拶を交わす。否定しても良い場面であるが、よりによって菜穂の目の前で知り合いだとは言いたくない。幸い、久瀬さんも初対面を装っている。ここは話を合わせた方が良さそうだ。
「初めまして。菜穂の彼氏の岡嶋真斗です」
「そうだ。速水さんの彼氏さんなら上がっていきませんか? 今、ちょうどDVDを見ていたところなんです」
と、久瀬さんは中へ誘導しようとする。
「いや、今仕事中だからごめん」
本当は中に入りたかったが自分の今の立場が邪魔をした。
「そうですか。残念ですね」
「真斗、また後で連絡するね」
「うん。バイト終わったら僕からも連絡するよ」
「二千百八十円でしたよね。ちょうどあります」
料金を受け取っていた時だった。お金と一緒に二つ折りの紙が添えられている。紙を広げると『私を侮辱したこと、後悔させてやる』と書かれていた。当の本人は満面の笑みである。色々話したいことはあったが、僕は泣く泣く玄関を出た。
ピザ屋の店員の立場が邪魔していた。扉を開けて問いただしてやりたかったが既にエレベーターの下降ボタンを押していた。
何故、あの二人が仲良くしているのだろうか。意図的に仕組まれたことなのか、以前からの知り合いなのか、二人にさせるのは何かと危ないのではないだろうか。その前に久瀬さんはわざと僕を二人でいることを見せたのではないだろうか。そう考えると目的はなんだ。頭が混乱する中、僕はバイクを走らせた。今は仕事に集中しろと自分に言い聞かせる。
バイト終わりに僕は早速、菜穂に電話を掛けた。結局、バイトの間はそのことしか考えられなかった。
「あ、真斗。バイト終わったの?」
「うん。今終わった。ところで菜穂、今どこだ?」
「今? 家にいるよ」
「家って自分の?」
「そうだけど。勉強しようかなって思っていたところ」
「そっか。邪魔してごめん」
「良いよ。ちょうど真斗の声が聞きたかったところ」
「菜穂。聞きたいことがあるんだけど、久瀬さんっていつから知り合いなの?」
「いつからだろう。弓道部の後輩として絡み出したから一年くらい? なんで?」
つい最近のことだと思っていたが二人は随分前からの知り合いだったのだ。じゃ、彼女の目的はなんだ。僕に振られたことの腹いせか、それとも菜穂に対しての嫌がらせか。全然、分からない。ただ、菜穂は僕と久瀬さんのことは知らない様子だった。あくまで僕に一方的な恨みでもあるのだろうか。だとしたら今後、何をするか分からない。二人が仲良くしているのは危険かもしれない。
「どうしたの。黙り込んだりして。もしかして久瀬ちゃんのこと気になっているとか言わないでしょうね」
「バ、バカだな。そんなことあるはずないだろう」
気になっているといえば違う意味で気になっていた。
「じゃ、私のこと愛しているって言ってみ」
「い! 急だな」
「何? 言えないの?」
「そんな訳ないだろう」
「じゃ、言ってみせてよ」
「あ、愛しているよ」
「本当?」
「あぁ」
「ありがとう。私も愛しているよ。ねぇ、今度さ。花火大会があるんだけど一緒に行かない?」
「花火大会?」
「うん。高校最後の夏だし、思い出にさ。最近まともにデートしてないし」
言われてみれば僕はバイトばかりで菜穂は勉強ばかりでデートらしいデートはできていなかった。
「わ、分かった。バイト空けておくよ」
「やった。約束だからね」
結局、久瀬さんの話に戻せなかった。僕は心の中でただ、何も起こらないことを祈るしか出来なかった。
高校最後の夏休み。僕はやることもなく一日をフルに使ってバイト生活に明け暮れていた。隙間時間に企業説明会に参加して就職の準備も同時に進めていた。この時は何がやりたいのか目的はなかったが有名企業を中心に説明会に出席をした。それが僕の主な夏休みの過ごし方だった。唯一の楽しみは菜穂と花火大会に行くこと。それまではお互い最後の追い込みを掛けて会うのをできるだけ控えた。メールや電話はすることがあるが花火大会まで我慢した。
そして約束の花火大会当日。十五時に僕は待ち合わせの駅に着いた。浴衣なんて都合よくないのでモロに私服である。
「お待たせ」
そこに現れた菜穂はバッチリメイクをして浴衣を着ていた。久しぶりに会えた嬉しさといつもと違う姿の菜穂に魅力を感じていた。
「どう? 似合っているかな」
「うん。凄く良い」
「ありがとう。じゃ、行こうか」
僕と菜穂は手を繋いで歩き出した。
電車を降りた最寄りの駅では観光客で賑わっていた。会場までの道のりは人で溢れかえり歩くのも困難だ。警察は交通整理の為、出動するくらいの騒ぎになっている。
「凄い人だね。行くのも大変そう」
「菜穂、手離さないで。迷子になるから」
「うん。ありがとう」
近くを適当に歩き、花火の時間になるまでその辺で暇を持て余していた。
「そういえば勉強はどう?」
「あ、うん。ボチボチかな。真斗は? バイト」
「普通だよ。最近はずっとデリバリーばかり行かされるかな」
「そうなんだ。大変だね」
「結構、稼げたよ。今日はなんでも奢ってあげるよ。何がいい?」
「え、悪いよ。私、唐揚げが食べたい」と否定しつつおねだりをする。
「おう。任せておけ」
辺りは薄暗くなり、花火の時間が近づきつつあった。
「ねぇ、ちょっとトイレ行ってくる。ここで待ってくれる?」
「分かった。気をつけて」
菜穂は僕の元を離れる。スマホを見ながら適当に待っていた時だった。
「岡嶋さん」
僕の名を呼ぶ声がして振り向くとそこには久瀬さんの姿があった。僕は顔を引きつった。嫌な予感がしたのだ。
「久瀬さん。来ていたんだ」と、僕はどこか余所余所しく言う。
「うん。花火、見に来たの」
さりげなく久瀬さんは僕の横に付いた。
「っていうのは建前で本当は岡嶋さんが一人になるのを待っていましたって言ったらどうしますか」
「何を企んでいる?」
「別に何も。いやだ。本気にしないで下さいよ。友達と来ていたら逸れちゃって偶然、岡嶋さんを見かけたから声をかけただけですよ」
その言葉が本当なのか嘘なのかその真意は僕には分からなかった。未だに脅迫とも取れるメモに僕は怯えていた。何事もなかったようにニコニコしている久瀬さんの笑顔が怖い。油断させて何かを企んでいるに違いない。
「僕は君と関わりたくない。どこか言ってくれないかな」
「あれ? 私、嫌われています?」
「見てわかるだろう」
僕は地面に視線を向けて目を合わせないようにした。すると久瀬さんは前屈みになって覗き込むように僕を見た。
「そんな嫌ですか。私のこと。私、何かしました?」
充分過ぎるほどされた。分かっていながら聞いてくるのが無神経だと思う。僕が黙っていると久瀬さんは勝手に喋り出した。
「速水さんって欠点ありませんよね。スタイル良くてスポーツ万能で勉強も出来ておまけに生徒会長に弓道部の主将も務める人です。魅力の塊だと思います。そんな彼女を持てて岡嶋さんも幸せ者ですね」
菜穂を褒められて悪い気はしなかった。しかし、この子に言われるとどうも嫌味のように聞こえてくるのは何故だろうか。
「何故あなたなんですか。私は疑問でしかありません」
「そんなこと僕が疑問だよ」
「私は速水さんが嫌いです。同時に速水さんと付き合っているあなたも嫌いです。だから私は嫌な女になろうと思います」
久瀬さんの言っている意味がまるで分からなかった。しかし、その答えはすぐに分かる。久瀬さんは僕の唇に自分の唇を重ねた。咄嗟のことに反応出来ず僕は受け入れてしまった。その瞬間、僕の前方にトイレから戻った菜穂の姿があった。一時停止をしたようにじっとこちらを見ていた。衝撃のあまり持っていた巾着袋を落としていた。違うんだ、菜穂。これは事故……いや、事件だった。
最初のコメントを投稿しよう!