現在(十三)

1/1
前へ
/35ページ
次へ

現在(十三)

季節は年が明け、新年を迎えていた。年が変わろうと僕の日常は変わらない。変わったとしたら会社で役職が上がったくらいだろうか。 「ゼロ災で行こうヨシ! ご安全に!」 「ご安全に!」  いつもは復唱する立場にいた僕は前に立って発言する立場に変わっていた。いつもの工程には向かわずリーダー職として工程を巡回しながら安全管理をするようになっていた。  しかし、この業務もいつまで続くか分からない。これは僕の仮の姿であって裏の顔は犯罪者予備軍なのだから。  職場では悟られないように真面目に忠実に業務を果たした。これまで通り、僕はどこにでもいる一般人のように。目立つようなことはせず、普通であり続けた。リーダーになると帰るに帰りづらくなる。平社員が帰るまでは仕事がなくても仕事をしているフリを続けなければならない。そんな雰囲気がうちの工場ではあった。残業時間が延び一・五倍増えていた。それでも僕は耐え続けた。  そんなある日のことであった。スマホに一件の着信が入った。 「はい。岡嶋です」 「お世話になります。桐谷探偵事務所の桐谷です。今、お時間大丈夫ですか」 「はい。大丈夫です」 「ありがとうございます。報告がありましてお電話させて頂きました」 「はい。なんでしょう」 「例の人物の行方が分かりました」 「本当ですか?」 「はい。現在は関西の住宅地が並ぶアパートに一人で住んでいます」 「そうですか」 「このまま一週間の情報収集に移ってもよろしいですか?」 「はい。引き続きお願いします。くれぐれもターゲットに気付かれないようにして下さい」 「かしこまりました。ご安心下さい。探偵の名に恥じない仕事をしてみせます」 「良い報告をお待ちしています」 「はい。では失礼致します」 「失礼します」  電話が切れたことを確認し、僕は拳を強く握った。ようやく奴の尻尾を掴んだ。後はじわじわとその実態を探るだけ。僕からは絶対に逃げられないぞ。探偵が捜査している間はいつものように生活をするだけ。全ての情報が分かった時、僕は動き出す。  一日の流れを把握した後、一人になる時間を狙う。方法は誘拐して例の場所に運ぶ。この作業は僕の単独で行うことになる。これが難解である。もし失敗したら僕のこれまでの努力は水の泡になる。計画の中で一番大変な工程である。如何に気付かれず、如何に安全に運べるかが重要だ。特に例の場所まで運ぶには抵抗され暴れられたら周囲に気付かれる危険性がある。突然拐われたら誰だって抵抗する。簡単な方法としては相手を気絶させること。しかし、相手を気絶するには簡単ではない。現実はアニメや漫画みたいに首の後ろを手刀で気絶する訳ではない。いや、現実でそんなことをしたら死ぬこともあると言われている。僕が考えている方法としてベタだが、スタンガンだ。背後に回り、隙を見てスタンガンを浴びせる。そしてその後だが、どうやって運ぶか。僕は自分の車を持っていない。バイクはあるが意識がない人を乗せて運ぶことなんて出来ない。  と、なればレンタカーだ。適当に積みやすい車を借りてそれに乗せればなんとかなる。車に関してはペーパードライバーである僕だが、事前にレンタカーで練習して慣れておこうと考えている。乗せた後は例の場所に運び込むだけ。その後は僕にとってお楽しみタイムだ。僕の計画に狂い無し。絶対に成功させてやる。  その日の業務が終わったのは二十時を過ぎていた。定時が十七時なので三時間の残業だ。前リーダーの池田さんも大体このくらいの残業は毎日当たり前にこなしていた。当然、現リーダーの僕も他の社員を差し置いて帰ることは出来ない。帰れるのは自分より下の社員、派遣社員が帰った後だ。 「お先に失礼します」  日置班長に挨拶をしてようやく帰宅だ。ちなみに日置班長はパソコンの前で頭を抱えていた。班長にもなれば更に残業をしているのはよくあることだ。朝は誰よりも早く夜は誰よりも最後まで残っている。一体いつ帰っているのか疑問だ。むしろ会社に住み付いていると言われれば納得してしまうくらいだ。それは流石にないだろうと思うがそれくらい仕事熱心な人が多い役職とも言える。  工場を出たら外はすっかり真っ暗だ。電球のライトを長時間浴びていると外の明かりや空気が新鮮に感じる。まさに刑務所から釈放された感覚そのものだ。半日ぶりの外の空気を吸うことで仕事が終わったことを実感させる。スマホの画面を見ると着信が十件以上来ているのに驚いた。仕事に集中していた為、全く気付かなかった。相手は例の探偵かと思ったがどうやら違う。再び着信が入り、僕は電話に出る。 「あ、やっと出てくれましたね。何やっていたんですか」  電話に出るや否や紫織ちゃんの甲高い声が僕の耳を刺激した。何をしているも何も平日にしていることは仕事以外にないだろう。それに今日は(毎日)この時間まで残業をしているので出るに出られない。そのことを紫織ちゃんに伝えるも「そんなこと知りません」と返されるだけだった。小学生には理解されないことなのかもしれない。小学生には稼ぐ苦労は知らない。まるで学校に行っている感覚と思われているに違いない。 「そんなことより聞いてください」  僕の都合はどうでもいいといった感じに紫織ちゃんは自分の都合を押し付けようとしている。疲れた身体に聞き耳を立てるのは拷問でしかない。そのまま通話を切ってもいいがそんなことをしたら紫織ちゃんの激怒する姿が浮かぶので出来なかった。これ程、鬼のように電話をするので緊急の用事に違いない。 「お母さんが入院することになったんです」  僕は悪い予感がした。  話を聞いてみるとどうやら紫織ちゃんの母親は横断歩道を自転車で渡っている際にバイクに轢かれたらしい。どちらも青信号だったが、バイクが左折する際に歩行者である母親を見落としてしまったとのことだ。幸い左折の為、それ程スピードは出ていなかったので死亡事故にはならなかったが左足の骨を折る重症になり病院に運ばれたとのことだ。医師によると全治二ヶ月との診断で最低でも一ヶ月の入院になるそうだ。母親の入院も不幸のニュースに該当するがそれだけではなかった。入院後の紫織ちゃんの生活にも影響する。当然、母親は家にいなくなる為に残された紫織ちゃんと父親の二人でしばらく生活することになる。それが紫織ちゃんにとって不幸を呼ぶ。家事の大半は母親がしてくれたがいないとなれば残された二人で家事を補うことになる。それに今まで間に母親がいることで二人の関係性を取り止めていたが、それがいなくなると再婚相手の父親は遠慮なんてしない。母親の入院中は紫織ちゃんへの虐待が毎日行われることになる。最悪の事態の最中、紫織ちゃんは僕に助けを求めたのだ。 「と、言うわけでまさにぃ。私、お母さんが退院する頃には殺されるかもしれない。助けてほしいの」 「助けてって言われても僕にしてあげられることなんてないぞ」 「例の計画を実行してほしい」 「待て、待て。僕は自分のターゲットの準備が整っていない。やるとしたら近い日付じゃないと困る」 「いつやるの?」 「未定だ。今、探偵に動いてもらっている。情報が集まり次第ってところだ」 「探偵なんて雇ったんですね。本格的じゃありませんか」 「そうだ。だからまだその時じゃない」 「あの部屋にターゲットを入れるんですよね。でしたら、私のターゲットで練習して下さいよ。本番で失敗したくないでしょ?」 「それは練習とは言えない。君のターゲットも本番だ」 「細かいですね。私が殺されてもいいんですか?」 「それはそれで困るが、それより今はどうしているんだ? 家に父親がいるんじゃないのか?」 「今は入浴中です。それに私は早寝のフリをして電話をかけています」 「なるほど。だが、今は動けない。どうしてもと言うなら警察に通報することだ」 「確かにそれで逮捕はできますけど、何も解決はしません。私はこの手で殺したい。日頃の恨みを直接晴らしたいんです」 「君も随分怖いことを言うね」 「私は本気なんです。どうか力を貸して下さい。まさにぃにしか頼れないんです」  僕は溜息を吐きながら頭を掻いた。やっていられない。でも、ほっておけない自分もそこにはあった。 「考えよう。ただし一週間我慢してくれ」 「一週間後に何かあるんですか?」 「まぁね。だからそれまで待っていてくれないか?」 「分かりました。信じて待ちます」 「ありがとう。また電話する」  僕は通話を切った。  一週間後、奴の素性が判明する。それが判明したからには僕は動き出す。八年の年月をかけたこの計画を実行するんだ。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加