過去(一)

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過去(一)

それは遡ること十四年前のこと。速水菜穂と初めて出会ったのは小学校三年生の時だった。夏休みが終わった新学期に彼女は転校生として僕のクラスに転入してきた。 「初めまして。速水菜穂です。宜しくお願いします」  教壇の横で菜穂は深々とお辞儀をした。  特に特徴があるわけでもなく普通の女の子だった。  偶然にも菜穂は僕の隣の席に座った。だが、僕は彼女のことが最初から好きだった訳ではない。むしろ彼女の第一印象は嫌いだった。  菜穂は無口で誰とも喋ろうともしない。最初は新しい環境に慣れないだけかと思ったが違っていた。転校してから数週間が経っても休み時間は一人で本を読んで自分だけの世界に入り浸っているような奴だった。他の生徒が喋りかけても反応が薄い。「あ、うん」や「そうだね」と流した後、本という自分の世界に戻る。僕も興味本位で喋りかけてみたが質問した内容と違う答えが返ってきたので第一印象は『変な奴』だった。まるで今の僕みたいに。そんな彼女が嫌いで僕はよくちょっかいを出すようになった。読んでいた本のしおりを抜いたり、消しゴムのカスを横からぶつけたりといった嫌がらせをしていた。小学生が思いつきそうな底辺なことだ。今、思い返せばなんてくだらないことをしていたのだろうかと当時の自分に喝を入れてやりたい。  しかし、菜穂はそんな嫌がらせに対して文句の一言もなく一切何も言わなかった。無言で何事もなかったように振る舞うのだ。誰にも助けを求めようとしなかった。まるでスカしているような様子だ。当時の僕はそれがまた嫌いの要素だった。強がりで気取っているという感じだった。  当初はいじめられっ子といじめっ子という関係性であったが、ある日を栄に幼馴染という関係に築き上げた。  それがある日の帰り道、僕は速水菜穂の弱みを握ろうと一人で下校していたところを尾行した。探偵みたいな感覚に知らずに楽しくなってきた頃だった。菜穂は人目を気にしながらとある公園に入っていった。その後を僕は追う。すると草むらの裏側にしゃがみ込み何かを呟いている。何をしているのだろうとギリギリまで近付く。  すると、そこにはダンボールに入れられた子猫がニャーニャー鳴いていた。  菜穂は嬉しそうに子猫に向かって喋っている。何を言っているのか僕の距離では聞き取れないが今まで学校では見せたことがない笑顔だった。給食で残したパンを千切って子猫に食べさせる。なんとも優しい一面を見てしまった。弱みを握るどころか良い一面を見てしまった。とんだ誤算だった。  木の陰から伺っていると、小枝を踏んづけてしまい音がパキッと鳴ってしまった。 「誰?」と菜穂は僕の隠れている周辺に視線を向けた。 「ミャー」と僕は猫のモノマネをしてみる。 「いや、バレてますけど」と菜穂は哀れな表情で僕を見ていた。 「どうも」  下手に隠れる素振りを見せず、僕は菜穂の前に身を出した。 「岡嶋君? こんなところで何をやっているの?」 「悪い。後を付けていた。お前の弱みを握ろうとしたけど、大きな誤算だったよ」 「それは残念だったね。用がないなら早く帰りなよ」 「その猫は?」 「捨て猫みたいなの。私の家、お母さんが猫アレルギーだから飼うに飼えなくて。それにほっとけないから」  菜穂は子猫の顎を優しく撫でる。 「そっか。意外と良いとこあるじゃん。猫好きなの?」 「うん。好き。でもあなたは嫌い。私を虐めるから」 「あ、そうだな」  僕は気まずくなり、視線を空に向けた。 「まぁ、私のことが気に入らないならお好きにどうぞ。誰にも言わないし、仕返しもしないから安心して大丈夫だから。そんなくだらないことをして何が楽しいのか分からないけど、今後そういうことをするのは辞めといた方が良いよ。今は私だから良いかもしれないけど、他の人だった復讐したり自殺したりするから誰も喜ばないし、ただお互いが傷つくだけだから。あくまでもこれはあなたの為に言っているのであって忠告だから。どう受け取るかあなた次第だからお好きにどうぞ」  淡々と言葉を並べる菜穂に僕は後ずさりをした。普段、全く喋らないにも関わらず二人になった時にこうも口数が多くなったことに対して驚きだった。耐えられなくなり僕は無理やり話題を変える。 「そういえば、その猫はどうするの? ずっと隠れて飼うにも限界があると思うけど」 「確かにそれもそうね。一週間くらいここで私が匿っているけど、それも限界はある。飼い主、探さないといけないと思っていたところ。でも、私には引っ越してきたばかりで知り合いも友達もいないからどうしたものかな」と、菜穂は腕を組んで考える素振りをした。 「じゃ、僕が飼い主を探すの手伝ってあげる。一緒に見つけよう」 「本当に?」 「これを見て見ぬフリはできないからな」 「……ありがとう」  菜穂は警戒しながらもお礼を言った。僕のことが信用できない半信半疑の返事でもある。この猫の飼い主を探すことをきっかけに僕と菜穂は幼馴染の関係を築いた。そして僕は彼女から人を傷つけることはいけないということを学んだ。彼女の存在が僕を変えたんだ。
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