現在(二)

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現在(二)

土曜日。連休の一日目。休日の過ごし方と言えば一日目に家事と身体を休めることに徹し、二日目に自分の趣味として一日を使うというのが僕の基本の主な過ごし方になる。この日の僕は朝から家事に覆われていた。朝起きてすぐに洗濯機を回し、その間に部屋中のゴミを一つにかき集める。やっていることは完全に主夫一貫だ。 「あ、洗剤切らしていたんだ。後、シャンプーとボディーソープ」  昨日の帰り道で食材はある程度買い込んだが、日用品を買うのを忘れてしまった。  昼食を買うついでに買い出しに行くかと外に出る支度をした。またすぐに部屋着に着直す為にトレーナーとジーパンだけで着替えを済まし、財布と鍵とスマホだけをポケットに詰めて部屋を飛び出した。  寮から徒歩三十歩程のところにある公園を通り掛かった時、一人でブランコをしている女の子がいた。小学生低学年といったところだろうか。俯きながらつまらなそうな様子である。誰かと待ち合わせだろうか。  一瞬、当時の菜穂の姿と重なった。昔の菜穂もあんな風に一人でいたっけ。あんな頃もあったのが懐かしいと感じてしまう。その時は特に気に留めなかったのでそのまま通り過ぎた。  近所のスーパーに来るとすぐに帰るつもりだったが、現地で買い物を楽しんでしまい、気付けば自宅を出てから二時間が経過していたことに自分で驚いてしまった。この後、身体を休めるという大事な予定があるので僕は急いで寮に帰る。だが、帰る途中に僕は立ち止まった。  先程の公園を通り掛かった時に行き道で見かけた女の子が全く同じようにブランコに乗りながらつまらなさそうにしている姿があった。まさか、二時間近くずっとここにいたのだろうか。少し不安を感じる。ジッと見ていると女の子と目が合ってしまった。  すると、女の子はブランコから飛び降りてこちらに近づいてきた。不審者に見られてしまったのかと内心焦る。周囲を確認するが僕以外誰も見当たらない。案の定、女の子は僕の前に立ち止まった。 「ど、どうしたのかな?」  僕はしどろもどろになりながら聞いた。 「ねぇ、何か食べ物持ってない?」と突如、女の子は言う。 「えっと」  僕は困った。誰かに助けを求めようと周囲を確認するがやはり誰もいない。 「あなたに言っているんだけど」と僕に指を差しながら女の子は言った。 「えっと、お腹が空いたのかな? ならお家に帰ってママにご飯を作ってもらうと良いよ」 「お腹、凄く減っているの。今すぐ食べないと死んじゃう」 「そう言われても。お家はどこかな? 送ってあげようか?」 「嫌。ママいないから食べさせてくれる人がいないの」 「ママがいないってどういうことかな? それならパパは? ここでずっと誰かを待っていたんだよね?」  その問いかけに対して女の子は何も答えなかった。 「保護者の人は近くにいないようだから交番まで連れていってあげようか?」  女の子は首を横に振った。  困ったなと僕は頭の後ろを掻く。周囲には誰もおらず、人通りがない。かといって困っている女の子をほっておくのも気が引ける。  思わぬところで面倒なことに関わってしまったと後悔した。 「誰かここに迎えに来るんだよね? いつ来るの?」という問いかけに一言、分かんないとだけ返された。  可哀想であるが僕にしてやれることは何もない。そのうち誰かが通りかかって助けてくれるだろうと思い、僕はその場を離れる。 「ごめん。僕、忙しいから他の人に頼んでくれるかな。それじゃ」  自分で薄情な奴と思ったが、こればかりはどうすることも出来ない。それに僕には関係ないのだから。女の子はそれ以上何も言わず、寂しそうに背中を向けるだけだった。悪いと思いながら僕はそれを見届けると寮に帰った。面倒なことは目を逸らしたかった。  帰宅後、買った物を袋から出して収納した。ついでに買ってきた弁当をレンジで温め直して昼食の準備をしていた時だった。インターフォンが鳴った。カメラ付きのモニターではないので相手の姿が分からない。「はい」と答えるが、向こうからの返事は無かった。誰だろうか。そういえばネットショッピングしたのでそれの宅配便だろうかと思い、玄関まで足を運んだ。覗き穴から外の様子を伺うが外には誰もいなかった。不信感を抱いた僕は扉を開けて周囲を確認した。廊下の端から端までくまなく探したが、誰もいなかった。 「悪戯か」  呆れて僕は部屋に戻って行く。ピンポンダッシュは現代でも流行っている遊びなのだろうか。だとしたらかなりタチの悪い。弁当でも食べるかと、リビングに向かうと僕は衝撃な光景を目の当たりにする。  なんと、先程公園にいた女の子がリビングにいたのだ。しかも僕が食べるはずの弁当を物凄い勢いで食べていた。状況を理解するのに十秒の時間が経った。 「え? え?」と、なんとか口にするが言葉になっていなかった。呼吸を整えて生唾を飲み込む。 「おい! 何をやっているんだ」と、僕はようやく声を荒げた。  なんでここにいるのかという意味となんで僕が食べるはずの弁当をどうして食べているという意味の二重の意味が重なり合った言葉だった。 「あ、どうも。ご馳走になっています」  女の子は悪びれる様子はなく、たまたまおばあちゃんの家に遊びにきたような感覚だった。その当たり前感はなんなのだろうか。子供は常識がないことを目の当たりにした瞬間でもある。非常識な行動に怒りが込み上げて来る。冷静さを失われつつある自分がそこにいた。  しかし、成人した大人として落ち着けと自分に言い聞かせて深呼吸をした。冷静になり、慎重に言葉を選んで聞いた。 「えっと君、名前は?」 「しおり」  女の子は素直に答えた。まずは答えやすい質問をして女の子が何者なのかを探る必要があった。変に感情的になればまともな答えは聞き出せない。最悪、泣かれでもしたら話すら出来なくなる。 「どんな字を書くの?」 「紫色に織り物で紫織」 「苗字は?」 「…………」  紫織ちゃんはその質問には答えなかった。質問を間違えたのだろうか。 「紫織ちゃん。聞いても良いかな?」 「はい。答えられる範囲であれば」と、紫織ちゃんは至って冷静である。頬には米粒が付いているがそこは後で良いだろう。 「まずはどうして勝手に人の家の中に入っているのかな? 大人だったら住居不法侵入罪という犯罪になるんだよ?」  子供でも犯罪は犯罪にはなるのだが。 「私、子供だよ。あんな状況で置き去りにする方がどうかと思うけど。可哀想だな、私」  溜息を吐きながら紫織ちゃんは言った。まるで僕が悪いみたいな言い草である。確かにあの状況で置き去りにしたことは悪いと思っている。だからと言って追いかけてきたのか。僕は何か言い返そうと思ったが、面倒になり返さなかった。僕は質問を続ける。 「なんで僕の弁当を食べているのかな?」 「お腹空いていたから。公園で見かけた時から袋に入っているものから弁当の匂いがしたからそれを狙っていたので我慢が出来ず頂きました」  紫織ちゃんは全く悪びれる素振りはなかった。むしろ堂々としている。  そもそも袋に入っていた僕の弁当に気づくとはどれほどの嗅覚で狙っていたのだろうか。犬か。紫織ちゃんは犬並みの嗅覚でもあるのか。彼女は何が目的だろうか。いくらお腹が空いたからといって人の家に押しかけてまで食べにくるだろうか。子供の発想は無限大である。僕は紫織ちゃんとはただの初対面だ。今、この場面だけを赤の他人が見たらどのように写るだろうか。冷静に考えて間違いなく僕が少女を誘拐して自宅に監禁しているように見える。実際は少女の不法侵入だが、そんなことは誰も信じないだろう。早いうちに出て行ってもらおう。 「ご馳走様でした」  紫織ちゃんは手を合わせた。いつの間にか僕の弁当は完食されていた。成人男性が食べきれるような大盛りサイズを小学生の女の子が米粒一つ残さず食べきれるなんてどれだけお腹が空いていたのだろうか。  さて、僕の昼食は取られてしまった訳だが、どうしたものか。僕は基本的に自炊しない。冷蔵庫の中身は調味料と飲み物くらいで食品は一切ない。平日の夕食用に買ってあるカップ麺でも食べるか。やきそば、ラーメン、うどんどれにしようか。棚の中を探していた時だった。  テーブルにあったティッシュで口周りを拭きながら紫織ちゃんは言う。 「あ、すみません。お茶を貰っても良いですか?」 「あーはいはい」  僕はコップに緑茶を入れて紫織ちゃんに渡す。 「ありがとうございます。緑茶ですか。私、麦茶派ですので次回から麦茶をお願いします」 「そうなんだ。ごめんね、今度から気をつけるよ……じゃないよ! おかしくない? 僕、この家の住人であってなんで不法侵入者の君に僕がお茶を入れてあげなきゃいけないの?」 「良いじゃないですか。そんな細かいこと。だから女の子にモテないんですよ」 「細かくない。大体女の子にモテないなんて君に何が分かる」 「分かりますよ。だってほら」  紫織ちゃんは部屋中に指を差した。僕はその指先に視線を向ける。 「掃除はある程度マメにしているようですけど、かなり雑な掃除の仕方です。目に見えるものだけ片付けている印象ですね。それに家具や家電も必要最低限の物しかないし、趣味と言える物は一切なし。まるでただ生きる為だけに生活しているような部屋です。孤独の部屋であり、異性を近づけさせないのが伺えます。合っていますか?」  なんなんだ。この子は。ただの子供ではない。まるで大人が薬で子供になったような名探偵のようである。そんなの現実であるはずがない。段々と僕は恐ろしくなり冷静さが失いつつあった。 「なんなんだよ、君は! なんで僕に付き纏う。早く出て行ってよ」  ついに僕は相手が子供だろうと怒鳴り散らした。大泣きして出て行ってくれたらこっちにとって都合が良かった。  紫織ちゃんは今にも泣きそうになり膠着していた。 「分かりました。出て行きます」と、ゆっくりと立ち上がり、玄関の方に向かう。その背中はとても寂しそうだった。言い過ぎたと思ったがこれも自分の為であり、紫織ちゃんの為であると心を鬼にした。さぁ、そのまま黙って出て行ってくれと祈った。 「速水菜穂」  紫織ちゃんは突如、呟いた。僕は聞き間違いなのかと耳を疑う。 「今、なんて?」 「岡嶋真斗さん。私と会うのは初めてだけど、私はずっとあなたのことを知っていました」  紫織ちゃんのその言葉に僕は戸惑う。何故、彼女の名前をこの女の子の口から出たのだろうか。僕は混乱した。また、あの日のことを思い出してしまいそうだ。僕は頭痛が酷くなり立っていられなくなった。そしていつの間にか意識がなくなっていた。
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