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過去(四)
「菜穂、聞いてくれ。大事な話があるんだ」
中学の卒業式、僕は意を決して菜穂を校内の渡り廊下に呼び出していた。
「どうしたの? 急に改まっちゃって」
菜穂の髪は風でバサバサと揺れていた。それがまた色気を感じた。部活を引退後、菜穂は髪を伸ばしていた。肩くらいまであるだろうか。より一層女の子に見える。
「いや、そのなんて言うか……」
言え。言うんだ、僕。何をビビっている。
「何?」
菜穂は待っている。僕の言葉を。
当の僕は緊張で胸が張ち切れそうだった。言うんだ。気持ちを伝えるんだと自分に言い聞かせる。ここでチャンスを逃したら二度と菜穂と接点がないかもしれない。
と、いうのも中学を卒業したら高校はお互い別々の学校になる為、関わりがなくなる。家は近所であるが、偶然見かけるのは至難である。ここで白黒付けなくてはならない。しかし、最悪の場合に黒として断られたらと考えるだけで怖い。そうなれば今日、この日で関わりが一切なくなる。気持ちを伝えて断られるのが凄く怖い。
「なぁに? まさか卒業式に告白だったりして」と、菜穂は冗談っぽく言った。
僕は後戻りが出来ず心を決めた。そして言ったのだ。
「菜穂、ずっと前から好きでした。僕と付き合って下さい」
僕は思いを伝えて手を差し出した。長年の思いを遂にこの日に曝け出したのだ。約六年の僕の思いよ、届け。祈るしか出来なかった。
数秒の沈黙。やっぱりダメだったかと諦めかけていた時だった。
「……はい。私で良ければ」
「本当に?」
聞き間違いかと思った。妄想が聞こえてしまったのかと自分を疑ってしまう。
「うん。こんなドラマみたいなことってあるんだね。ビックリした。こんな私だけど、今日からよろしくね」
「よっしゃー!」
次の瞬間、周囲に隠れていた友人たちに囲まれて僕は胴上げされた。生まれて初めての胴上げだった。僕にもこのような青春をしていた時代もあったものだった。
当時、周りからは付き合っているのかと噂が絶えなかった。しかし、幼馴染の関係にギクシャクしていた。当然、周りからしたら焦れったくて見ていられないくらいに。例えるなら薬で身体が小さくなった主人公とその幼馴染くらい交際に踏み込めていないくらい焦れったい。両想いが分かるまで何年待たせるのだというくらいに。
後から聞いた話であったが、菜穂も以前から僕のことが好きだった様子である。それは幼馴染という関係を大きく超えたものだった。
幼馴染から恋人に発展した僕たちはお互い初めての恋人ということもあり、どのように接していけばいいのか分からずにいた。今までも普通に遊んでいたし一緒に行動していたし今とさほど変わらないようでならない。付き合うというのは何をしたら良いのだろうか。当時の僕は検討も付かなかった。
中学を卒業して高校の入学式までの春休みだった。特に宿題もなく入学式を待つだけの休日に僕と菜穂は朝から会う約束をしていた。つまり、これが僕たちにとって最初のデートになる。
朝の十時十五分前。一足先に僕は待ち合わせ場所である駅に来ていた。
ジーパンにパーカーという味気ないファッションで来てしまったが大丈夫だろうかと感じていた。この日は初デートということもあり、財布には多めに一万円を入れて来た。中学生、もう時期高校生となる身としては大金であろう。
「真斗、お待たせ。待った?」
僕が着いてから五分後に菜穂は現れた。無地の紫のシャツに白のジャケット。下はカーキ色のロングスカートのファッションである。私服姿は久しぶりに見るので新鮮味があった。
「いや、今来たところ。行こっか」
「うん」
この日は平日であり、人は空いていて電車の座席に腰掛けられた。
「私たち、付き合っているんだね」
菜穂は呟くように言った。
「う、うん」
変な空気に僕は戸惑う。
「初対面の時は真斗のこと大っ嫌いだった」
心に刺さる言葉だった。あの時の僕も同じように菜穂が嫌いだった。最初、お互い嫌い同士だったのに今は付き合っているのが不思議だった。
「でも、今は違う。ずっと一緒に居たいと思っているよ」
菜穂は笑顔で言った。
付き合いたてというのはどうしてこうも幸せなのだろうか。この幸せが永遠に続けば良いのにと思ってしまう。
初デートに選んだ場所は動物園だった。
草原の幻想的な世界を菜穂と一日かけて楽しんだ。驚いたり、笑ったり、感動したりと共有しながら寄り添った。
「楽しかったね」
帰り道、菜穂は背伸びをしながら言った。僕は「そうだね」と答える。
「ねぇ、これからもこうしてデートできるかな?」
菜穂は嬉しそうに聞いた。
「勿論。次はどこに行きたい?」
「うーん。遊園地かな。ジェットコースターに乗りたい」
「お、おう。良いね」
「絶叫系乗れるの?」
「よ、余裕だし」
僕は感情を読まれまいと強がって見せた。本当はあまり好きではない。しかし菜穂と一緒に過ごせるのであればどこでも構わない。こんな日がまたくれば良いのにと強く思う。
しかし、これまでとは違って僕は公立の工業高校に。菜穂は私立の女子校へと別々の学校に通うことになる。それが僕としては不安であり、寂しい気持ちであった。
「ねぇ、菜穂。高校でもソフトボール続けるの?」
「ソフトボールは中学で引退。高校ではやりたいことがあるの」
「やりたいこと? 何?」
「弓道。中学ではなかったけど、私がこれから通う学校にはなんと弓道部があったの」
「へー前からやりたかったの?」
「うん。見た目もかっこいいし、的に綺麗に入ったら更にかっこいいでしょ。憧れだよ」
「そっか。頑張ってね」
「ありがとう。それでね、その先には教員免許が取れる学校に通うつもり。入ってすぐ辞めないように体力だけはつけておかなくちゃね」
菜穂は自分のやりたいことがたくさんあった。将来に向けて頑張っているような気がした。将来、自分がどうありたいかビジョンが見えている。その道筋に沿って歩んでいく。僕は陰ながら応援しよう。菜穂の将来の為に僕はサポートしてあげたかった。辛いことや苦しいこともある。少しでも僕はそれを癒せたらそれでいい。
「真斗。今日はありがとう。最高の一日だった。またデートしてね」
「勿論だよ。また行こう」
「毎日は難しいけど、電話とメールするから。それじゃまた」
菜穂は笑顔で手を振ってくれた。僕は手を振り返した。
恋人になってから一年の年月が経過した。家は近いので遠距離とは言えないが、学校が違っている分、以前のように一緒に行動をすることが減っていたが、僕たちの仲は大きくなっていた。逆に毎日が一緒であると息苦しいのかもしれない。会う頻度は月に二回程。連絡のやりとりはするがすぐに返事を返さないといけないという束縛は特になかったので良い感じに関係は続けることは出来た。
菜穂は部活動や勉強で忙しいことは分かっていたので僕はなるべく邪魔をしないように連絡は控えていた。彼女が連絡して来た時は飛び跳ねるように連絡をしていた。
僕自身、友達と遊んでいたり課題で忙しかったりすることはあるので菜穂のメールに返信するのが疎かになることはしばしばある。初めて菜穂と一週間以上メールのやりとりをしなかったそんなある日、菜穂から真面目な話があると僕は夕暮れの時間帯に公園に呼び出された。最近構ってあげられていなかったので別れ話ではないだろうかと内心、不安になりながら待ち合わせ場所に向かうと菜穂は一人、ブランコに座っていた。
「お待たせ」
菜穂は僕を見つけるとブランコから飛び降りて歩み寄った。
この日は一ヶ月ぶりに会うことになるが変わったことといえば見た目としては少し髪が伸びただろうか。一ヶ月ではそんな変わらないが、会っていなかった分、反動が大きい。しかし菜穂には笑顔がなかった。少し俯いており、後ろめたさが感じられた。僕の悪い予感が的中してしまったのだろうか。
「菜穂。ごめん。最近忙しくてさ。でも安心してよ。これからはちゃんと向き合うからさ」
「真斗。何の話?」
「え? いや、だって別れ話でしょ?」
「はぁ? 何を言っているの? そんな訳ないでしょ? 私が真斗と別れる訳ないじゃない」
菜穂の発言に僕はホッと安堵する。
「そっか。良かった」
「勘違いしないでよ」
「うん。じゃ、話っていうのは何?」
「あぁ、それなんだけどさ」
と、菜穂は難しい顔になりスマホを弄りだした。そしてある写真を僕に見せた。
場所は学校の教室であり、そこには菜穂を含めた四人の女の子の姿が写っていた。菜穂は無邪気な笑顔が可愛いと思ってしまった。
「菜穂、可愛い」
「ありがとう。私じゃなくてこっち」
菜穂は軽くお礼を言った後、一番右の女の子を指した。その子は前髪で顔を隠し、メガネをかけており地味なイメージであった。
「この子は?」
「私の友達。友達といってもクラスでよく話す程度の仲だけど、ただ最近様子が変だったの。笑顔が消えたというか。彼女、三日前から突然学校に来なくなっちゃったの。特に虐められていた訳でもないし、悩みとかもなさそうだったし不思議だなって思って。だから私、気になってその子の家に行っても家族から面会を断られたし、おかしいと思ったんだ。そしたら今日、本人からこの画像を送られてきたの」
菜穂が次に見せた写真はその女の子が目隠しをされて手足を縛られて椅子に座っている姿だった。
「真面目な人って意外とそういうプレイが好きなのかな?」と、僕は正直な感想を述べる。
「好きにしてもこんなの自分じゃ縛れないでしょ。絶対誰かにやられたに違いない」
「え? でも、その画像は本人から送られてきた訳でしょ?」
「私も変だと思って何度も電話をしたけど、出なかった。けどね、問題はこの後。非通知から私宛に電話がかかってきたの。その内容が『保坂真由を預かった。助けたいなら一人で来い。警察に言ったら彼女は助からない』って言われた。そして場所と時間は彼女の連絡先から送られてきた」
「ドッキリにしては壮大だな」
「あの子は冗談が嫌いなの。だからそんなことをするとは思えない。間違いなく第三者の仕業に決まっている」
「なるほど。事情はよく分かった。でもなんで菜穂に送られてきたんだろう」
「そこがミソね。おそらく私になんらかの恨みがあるか。はたまた、最初から彼女に恨みがあり、よく連絡を取り合っている私を呼び出して間接的に苦しい思いをさせたいのか。おそらくこのパターンが考えられるわね。面識がない人の仕業とは考えにくい。ただ、彼女は誰かから恨みを買うような人じゃない。まぁ、学年で一番頭が良いからそれを妬む人は中にはいるけどここまでする人は多分いないと思う。と、考えると私に対して恨みがある人物の仕業と考えられるのが普通じゃない?」
「菜穂。誰かに恨まれるようなしたのか?」
「いや、そんな覚えがないから怖いのよね」
と、二人で考え込む。そこで僕はあることを聞いた。
「自分ではそうではなくても相手からしたら嫌に感じることもあるから一丸にないとは言い切れないだろ?」
「確かにそうよね」
「それでどうするの? 行くのか?」
「行かない訳にはいかないわよね」
「なら僕も一緒に行く。何かあったら大変だ」
「ありがとう。真斗。頼りにしているから」
十九時。指定された場所は菜穂の学校の体育館だった。僕は物陰に隠れて菜穂の様子を伺う。果たして犯人は現れるのだろうか。
「誰かいるんでしょ。速水菜穂が来たわよ」
体育館の鍵は開いており菜穂は名乗りながら中に入って行く。
「来たわね。速水菜穂」
館内放送で誰かが言った。声は変換されており、男か女か分からない。しかし、口調からして女であることは察しがついた。
「誰よ。隠れていないで出て来なさいよ。私は逃げも隠れもせず一人で来たわ。私に恨みがあるんでしょ。正体を現しなさい」
「断る」
「真由はどこ? あの子を人質にするなんて卑怯じゃない」
「卑怯で結構。今から言うことを聞け。さもないと彼女がどうなっても知らないぞ」
「っく。何を聞けって言うのよ」
「その場で服を脱げ。十秒以内だ」
「なんでよ」
「いいのか? 断るなら保坂真由がどうなっても知らないよ?」
「辞めなさい。あの子に手出ししないで」
「なら服を脱げ。十、九、八……」
菜穂は犯人の言う通りにするしかなかった。上着を脱ぎ始める。
「五、四、三……きゃ、何よ、あんた放して」
「え?」
「菜穂! 犯人を捕まえたぞ」
僕は犯人を捕まえて引っ張り出した。
「真斗? なんで?」
「裏から回り込んで隙を見て捕まえた。犯人は全て自作自演をしていた訳だ」
そう、犯人は保坂真由本人だった。
「真由? なんで?」
僕は逃げないように脇に腕を回した。観念したのか、保坂真由は口を開いた。
「全て、あんたが悪いんだから。速水菜穂!」
「わ、私?」
「そうよ。私はみんなが遊んでいる時もコツコツ勉強して真面目な優等生を演じていた。学年では目立つ存在になって学級委員にもなって生徒会長の座も狙っていた。それなのにあんたはクラスの人気者でチヤホヤされる。私が狙っていた生徒会長にも抜擢されて私の存在価値が落ちたわ。誰も私を見向きもしない。周囲の視線は全てあなたに向けられた。耐えられなかった。悔しかった。許せなかった。絶対に」
保坂真由は跪いて泣き崩れるように言う。それ以前に僕は一つ突っ込みたい。
「え? 菜穂、生徒会長だったの?」
衝撃の事実に僕の肩の力が抜け、保坂真由はずり落ちた。
「あぁ、そうなの。ついこの間なったんだけど、これがまた忙しくて」
それで最近連絡がなかったのかと、僕は納得した。
「それが鬱陶しいのよ。私のポジションを奪ったあんたが許せない。だから痛い目に合わせてやろうと呼び出して生徒会長の座を下ろそうとしたのに。それなのに」
保坂真由は泣き出してしまった。
つまり、自分をダシにして菜穂の恥ずかしい一面を弱みとして握りそれを盾に生徒会長を辞退させようとした訳だ。菜穂の気持ちを踏みにじって自分が上にのし上がろうとそんな企みが保坂真由にはあった。
「なんで言ってくれなかったのよ。こんな形じゃなくてちゃんと言ってくれれば分かり合えたかもしれないのに。ねぇ、真由どうして?」
「そういうところもうざい。軽々しく下の名前で呼ぶなよ。自分が正しいと思うなよ。このドブスが! あんたなんか大っ嫌い。勝手に友達ズラすんな。迷惑なのよ。あんたの存在そのものが」
「初めて真由の本心が聞けたよ。普段は何も言ってくれないから。そんな風に思っていたんだ」
「菜穂。この子は学校に報告しよう。脅迫罪で停学……或いは退学だって考えられる。この子は危険だ」
保坂真由は探偵に犯行が暴かれたように放心状態だった。菜穂に危害を与えるような子は例え女子だろうと僕は許さない。犯した重大さに向き合ってもらいたい。
「そんなことしないで」
「菜穂。自分が何を言っているのか分かっているのか」
「分かっているよ。でもそんなことをして真由はどう思う? 反省はすると思うけど、多分生涯私を恨み続けると思う。それってなんか嫌だな」
「嫌って菜穂は何も悪くない」
「そうかもしれないけど、私にも落ち度はあるよ。ずっと辛い思いをしてきたのに傍にいた私は全く気付かなかった。思えば小さなSOSがあったのに結局、このような形で爆発させてしまった。だから私も悪いところはある」
「いや、でも」
「真斗は何も知らないから黙っていて。これは私と真由の問題。真斗が間に入るのは筋違いでしょ?」
「うん。そうだね。でも、どうするの? このまま終わりっていうのも……」
菜穂は保坂真由に近づき腰を降ろし目線を合わせた。
「ごめんね。辛い思いをさせちゃって。私、真由の気持ちに気づいてあげられなかった。これからはちゃんと向き合うからなんでも言ってよ。私は真由とは友達でありたいから」
菜穂はそっとハグをした。その瞬間、保坂真由の涙腺は崩壊した。滴る雫が床一面に広がった。僕は瞼を閉じて頷いていた。
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