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「なんで泣いてるのさ。」 目を開けると、そこはラブホテルの一室だった。高橋の上でカレンはがに股になりながら鎮座している。いつの間にか彼のペニスは彼女の膣内に収まっていた。 「ゴム着けなかったけど、いいっしょ?生の方が断然気持ち良いし。」 にっこりと微笑んで、彼女は上下運動を始めた。ぬるま湯がペニスの先端を包むような感覚が快感をもたらしてくれる。意外にも激しい喘ぎ声をあげるカレンをぼんやりと眺めながら、高橋は脳内で美嘉を浮かべていた。 あれは彼女の本音なのだろうか。しかしあの時に見た美嘉の目に、もう自分は映っていなかった。彼女が家から出て行って1週間、何の連絡もない。もう彼女との繋がりは断絶されたはずだった。 「すごい、めっちゃ硬い…あっ。」 高橋の腹に手を置いて尻の先を上に飛ばすように腰を振るカレンははちきれそうな乳房を揺らして喘いでいる。もちろんペニスに刺激は加わっているものの、先ほど見た美嘉が消えてくれない。何故最後のセックスを意気込んで挿入する前に美嘉を思い出してしまったのだろう。自分が情けなく思えて、どのような感情か分からない涙がこぼれてしまった。 「ねぇ。なんで泣いてるの。」 ぴったりと肌を合わせてカレンは言った。動きを止めて高橋を見下ろす彼女は、不服そうな表情でも、不思議そうな表情でもない。笑顔すらない無の表情だった。 「うちは気持ち良いんだけど。康介は気持ちよくないの。」 怒らせてしまったのだろう。無理もない、雰囲気を壊してしまったのは自分である。高橋は彼女の問いかけに、素直に答えることにした。 「ごめん。実は俺、死のうと思っているんだ。」 高橋は天井を眺めていた。点に似た照明が散りばめられており、都会の夜空のようだった。 「7年間付き合った彼女と別れて、俺は生き甲斐を失ったんだ。別に他の人と付き合えばいい、失恋して自殺を選ぶなんてバカバカしいと思っていたよ。でも、いざ失ってみると、本当に苦しいんだ。大切なものは失ってから気付くなんて言うけど、俺はこの1週間でよく知ったよ。彼女は俺にとって全てだったんだ。」 出会って数時間しか経っていない女性に、7年間交際していた彼女と別れて死を選んだことを告白し、涙を流している、きっと自分は今恐ろしいほど滑稽な姿なのだろう。だからこそ余計なプライドが働いて、高橋はカレンを見ることができなかった。 「埼玉から上京して東京に来て、あいつが俺に全てを教えてくれた。だからこそ気が付いたんだ、今の俺にとってあいつだけが全てで、それ以外何もない。だからもう死のうと思った。カレンが俺の最後の相手ってことだな。」 無理に笑って見せたが、いくら抵抗しようとしても顔中の筋肉が中央に集まってしまう。高橋は美嘉と別れて、初めて声をあげて泣いた。まるで子どものように泣き噦る。体から液体を流す行為はひどく苦しいものだった。射精する際はペニスを無理に突き破るような感覚で、涙を流す時は喉の奥がぎゅっと狭まる。小刻みに息を吐いて、高橋は未練を全て吐き捨てた。 「愛しているんだ。どうしようもないくらいに、おかしいくらいに。1週間前彼女は家から出て行ったんじゃない、俺の心の中から出て行ったんだ。離れたくなかった、ずっと一緒にいたかった。ただ隣で笑ってくれるだけでよかった。今なら飽きさせないように笑わせてあげるのに、もうそれもできない。彼女としたいことは、彼女がいないとできないんだよ…。」 まるで溺れてしまったかのように高橋は呼吸を荒げていた。言葉にすれば意外にも簡単に未練は形となり、気持ちが楽になる。しかし今の気持ちを言葉にしても、その感情は消えないのだ。 「裏切られたのに、美嘉さんのことを愛しているの?」 「うん。」 「幻滅したのに?」 「うん。」 高橋は淡々と答えていった。失恋はここまで人の感情を引き摺るものなのか、高橋はただ後悔した。 「どうしてそれほどまでに美嘉さんを愛しているの?」 その疑問を、高橋は7年間抱くことはなかった。しかし失ってしまった今だからこそ言える。自分でも驚いたのは、途切れることなく言葉が漏れていったということだ。 「自分の隣にいてくれた、それだけなのかもしれない。いくら料理が上手くても、どれだけ体の相性が良くても、自分の好みのタイプだったとしても、美嘉じゃなかったら意味がないんだ。もしかしたら彼女よりも綺麗で、セックスが気持ち良い相手だっているかもしれない。でも美嘉なんだ、俺の7年間を作って俺自身を彩ってくれるのは美嘉だけなんだ。」 「あなたは美嘉さんを許すことができるの?」 「できる。いくらでも許すよ、だから隣に居て欲しいんだ。また美味しいイタリアンに行って、好きなものを頼んで、美味しいねって。俺に愛情をくれるのは先でいい、ゆっくりでいいから戻ってきて欲しい。恋人に戻るまで時間はかかるかもしれない、だからゆっくりでいいんだ…。」 散々みっともなく声を漏らして、高橋はようやく気が付いた。恐る恐るカレンを見る。彼女は変わらず無に近い表情を浮かべていた。 「なぁ、俺、カレンに名前を教えたか?」 無言のまま首を傾げる。雪国で見るような狐の色に似た毛先が垂れた。 「どういうこと?」 「いや。別れた彼女の名前、美嘉だって…俺言ってないよな?」 冷静になれば妙だった。先ほどカフェで彼女がいるかどうかを聞かれ、7年間付き合ったものの別れたとは言ったが、美嘉の名前は出していない。それは今もそうだった。美嘉のことをあいつ、彼女、としか言っていない。一体どういうことだろうか。 「もしかして、美嘉と知り合いなのか?」 「ううん。全然知らない。」 ようやく無から笑顔に戻ったものの、ぎこちない微笑みだった。まるで機械のように口端を吊り上げている。 「でも、左の乳首に小さな黒子があるのは知ってるよ。」 思わず声を漏らしてしまった。呆気にとられた表情をしているのだろう、カレンは鼻から息を抜くように笑った。 「それに、康介がその黒子をよく舐めていたことも。」 カレンの笑顔が恐ろしく見えた。一体彼女は何を知っているのだろうか。 「まさか泣いちゃうとはなー、ちょっとやりすぎちゃったかな。でも温度与えたらもっと泣いちゃってたかもね。」 何を言っているのか、高橋は理解できずにいた。先ほど瞼の裏にいた美嘉の手に温度がなかった、何故それを知っているのか。何を聞いたらいいのか分からずに困惑していると、カレンは眩い笑顔を浮かべて言った。 「実はうち、死んでいるの。」
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