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翌朝は大雨だった。
どうやら本格的な梅雨の時期に入ったらしく、桶を引っくり返したような雨が連日休むことなく続くらしい。1人で寂しく死ぬにはいい季節だ。
おそらく東京の人間は槍が降ろうが毒を浴びようが外に出たがる民族なのだろう。思い思いの傘をさして人とぶつかり合う渋谷は、上から見ればまるで宇宙人の侵攻を迎えているようだった。
鼠を踏み潰して強引に引きずったような空からは、1週間前に高橋が流した涙のような粒が降り注いでいる。いつどこで購入したのかも分からないビニール傘を手に、ハチ公前に立つ。濡れている都会を見るのもあと何回だろう。
すれ違う人々は、高橋が自殺を決意しているということは知らない。いくら現代の技術が発達しても腹の奥底までは見えないのだ。それを高橋は、彼女との別れで痛いほど知っている。人と人との繋がりなどくだらないものだ。
学生時代からそれなりにモテていた高橋は、よく地元の駅前で見知らぬ女性に声をかけては一緒に遊ぶということをよくやっていた。妙に緊張してセックスまで行き着けないケースばかりだったが、どうやら自分には見知らぬ人とすぐに打ち解ける力が備わっているらしい。だからこそ高橋は死ぬ前に知らぬ女性とセックスをしようと心に決めていた。わざわざ渋谷に降り立ったのはそのためである。
死を決意した人間に不安という付属品はない。ぐるぐると渋谷の街を歩き回りながら、視線ですれ違う女性を品定めしていく。どうせなら自分の好みのタイプが良い、なんだかんだ最後までわがままな生き物だなと、心の中で呟いた。
スクランブル交差点を抜けてセンター街の入り口に立った。どの店も爆音で流行りの音楽を流していた。上からは涙の雨、横からは音の雨。ただ歩くだけで忙しい街だ。
渋谷に到着してから1時間、高橋は誰にも声をかけていなかった。緊張しているわけではない、何故かどの女性も決定打に欠けるのだ。豊満な体だがやたらと目が小さかったり、顔こそ整っているものの乳房が控えめだったりと、いまいちだなと感じる女性ばかりだった。だが渋るのは仕方がない、人生最後のセックスになるのだ。無い物ねだりで構わない。むしろそうでないと自分に失礼だと思っていた。
少し歩き疲れてファーストフード店に入る。無難なハンバーガーセットを購入して2階に上がると、大雨から避難したカップルで溢れていた。もう夕方だ、制服姿の男女も多い。窓側の席に座り、窓に反射する店内をぼんやりと眺めた。チープな肉とソースの味が口の中で一瞬主張しては消える。仲睦まじそうに会話する男女を見て、高橋は嫉妬を覚えなかった。不思議なものだ、どうせここにいる数人もいずれ相手を裏切るのだろう、そう思うと気が楽だった。
揚がった塩味の芋を口の中に放り込み、ふやかして咀嚼する。そういえばこのポテトを美嘉はよく好んでいたな、また美嘉を思い出すものに遭遇してしまった。7年も刻まれた思い出は1週間で消えてくれない。残りを作業のように流し込み、高橋は店を出た。
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