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彼女の名前はカレンと言った。 カレンは小さなラテ、高橋はアイスコーヒーを注文した。ここに来るまでは散々世間話を投げかけてきたのだが、店に入ると一気に静かになった。妙な女性だったが、ギャルはそういう別の生き物なのだろうと高橋は思った。それは店員の視線も同じである。どこか不審そうな目だったのだ。無理もない、孔雀の羽のような睫毛やチョコレートのような肌は1990年代に流行したものである。妙な服装を見かけることはあっても、流行が終わった前時代的な出で立ちは渋谷でも珍しいのだろう。店の一番奥の席に腰掛け、カレンはため息をついた。 「渋谷も変わったよねー、うちの頃なんかもっとうるさかったよ。」 何故か急に叔母さんのような言葉を言うものだから、高橋は思わず吹き出してしまった。 「何、何で笑ってんの。」 「だって、カレンいくつ?」 「18。」 疲れたように力無く笑った。意外と可愛らしいところもあるじゃないか。やはり人間見た目だけではないのだ。いくら整った顔立ちをしていても平気で裏切る女性だっている。 「そっか、ちょうど10個離れてるのか。」 「え、意外。康介若く見えるよ。」 敬語を使え、と言ってストローの先端を口に運んだ。雨のせいか足下が冷えている、よりひんやりとした苦味が口いっぱいに広がった。 「康介って彼女いるの。」 その言葉に7年間がフラッシュバックした。取り繕っていても仕方がない。高橋は素直に答えた。 「1週間前に別れたよ。7年付き合ったんだけど、浮気された。」 えー、とカレンはオーバーなリアクションを見せた。彼女だけ声量が大きいものの周りの客は見向きもしない。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだが、意外にも触れてみれば面白い点が見つかる。カレンは素直な性格なのだろう。 「ひどいねー、他の人好きになったんなら言えばよくない?他に好きな人ができた、別れようって。黙ったままどっちとも付き合い続けるとか幻滅するわー。」 カレンはただ自分の恋愛に対する価値観を話しているだけだが、今の高橋にとって慰めてもらっているのと同義だった。妙に胸のすく思いだ。 「そうだよな、幻滅したよ。7年間が無駄になったんだよ。」 なんだか人生相談をしているようだった。会ったばかりの女性にラテを買い、悩みを打ち明けている。おかしな話だ。するとカレンはテーブルに両肘をつけて体を前に出した。緩い襟の向こうで谷間が覗き、不覚にもペニスの先端が一度だけ反応してしまう。カレンは穴を覗き込むように言った。 「じゃあさ、私が塗り替えてあげるよ。」 それまでどこか疳高い声だったが、この時ばかりはひどく婀娜っぽい声色だった。言葉に吐息が混じる。高橋は聞こえないように唾を飲んで言った。 「俺でいいの。」 「うん。うちが慰めてあげるよ。」 2人は同時に笑った。さすがに笑い声が重なって周囲の客が怪訝そうな目でこちらを見ている。だからなんだというのだ。出会ったばかりの派手なメイクをした女性とはしゃぐように笑って、セックスをする。すれ違う人々がやっていることと何ら変わらないのだ。 容器の底で少なくなったアイスコーヒーと空気が混じる音を出して、2人は立ち上がった。
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