くまさん

8/15

2人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
 男は重たいぬいぐるみを、右手で持ったり左手で持ったり、両手で抱えるようにしたりしながら漸く出口間近のところまでやって来た。十メートル程先に見える『◯◯商店街』と書かれたゲートを抜けて大通りへ出れば、この混雑を脱して、タクシーを拾う事もできるだろう。  そう思って気が緩めてしまったのかもしれない。ズルッと手を滑らせ、くまのぬいぐるみを地面に落としてしまったこの男の名は黒川という。  賢い男だ。少なくとも自分でもそう思い、自分以外の人間を見下して生きるようになる程の才を生まれ持っていた。  彼が裏の稼業に手を染めるようになった理由は、極めて単純なものである。必要となる時間や労力を得られる対価と照らし合わせ、それが最も効率よく稼げると判断したため。  黒川は、たとえ自分の行動によって他人が被害を被ろうと罪悪感を覚える事はない。何故なら相手が被害を受けるのは馬鹿だからだ。彼は多くの者の行動を抑止しているリスクを恐れる事はない。何故なら自分は失敗をしないからだ。  彼と仕事を共にした同業者達は、口を揃えてこう言った。「まるで未来を見ているかのようだ」と。  しかし彼からすればそれは当然の事だった。未来とは、現在の選択によって決定される事象であり、つまり現況さえ把握し損なわなければ予測する事は可能なのである。その中で全ての予測を細分化する必要はない。不確定な要素は不確定なままに、起こり得る事象への対処だけを明確にしておけばいい。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加