ツキノハナ

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 凛と咲き誇る真っ赤な花に、一匹の蝶々が近づいた。 「あら、綺麗な蝶々さん。私の美しさに惹かれてやってきたのかしら。私の甘い蜜を沢山吸って、花粉をばら撒いて来て頂戴。ただし、私に触れることができたらね」  ふふふっと高貴に笑う薔薇が風に任せて体を揺らした。その鋭い棘が蝶々の羽をかすめて、蝶々は慌ててその場を立ち去った。  疲れた羽を癒すべく、まるで母のように両手で優しく受け止めてくれるかの如き大きく広げられた緑の葉に、蝶々は体を預けた。 「蝶々さん、こんにちは。どうやらお疲れのようですね。どうです、私の中に隠れて羽を休ませてはいかがでしょう」  ぽかりと空いた穴に誘導するウツボカズラがだらりと近づいてきた。一滴の粘度の高い雫が滴り落ちて地面の蟻がのたうち回ると、蝶々は疲れた羽に鞭打つようにしてその場を離れた。  甘く優美な芳香に誘われて、まるでクッションのような肉厚の花弁に包まれながら蝶々は羽を休ませていた。 「さぞ大変だったのでしょう。私の上でゆっくりなさって下さいな。もしよろしければ私の甘く芳醇な蜜を沢山吸って、一眠りなさっても構わないのですよ」  ラフレシアがふわりと腐敗臭を強めると、蝶々はくらりと意識を失いそうになった。その時、三匹の蠅がブラックホールのような中心に吸い込まれていき、蝶々は驚きに任せてバタバタと羽を動かした。  何度羽を動かしたのか、どれほどの距離を飛んだのか、まるで見当もつかないほど蝶々は一心不乱に飛び続け、残る力を振り絞るかのようにパタリ、ペタリと羽を畳んでは広げてを繰り返している頃だった。  悠然と立ち誇る木々、可憐なる花々のその足元、草陰にひそりと一輪の花が咲いていた。極力目立たぬように、白く、小さく、香りもさほど放たぬその花は、月に花が咲いていたならばきっとそんな花が咲いているのだろうと思わせるような、そんな神秘的な様相を呈していた。  誘われるように花弁に停まった蝶々は、考えることもなく口吻(こうふん)を伸ばして蜜腺に触れた。間もなく蝶々は、不思議な感覚に襲われることになった。鼻腔をくすぐるような芳醇な香りもない、体がとろけてしまうような甘美な味がする訳でもない、無味無臭のその蜜に一度口をつけると、何故だが飲むことを止められなくなってしまったのだ。  我武者羅になってその蜜を吸い続け、体中がその蜜で満たされると、蝶々は今まで生きてきた中で感じたことがないほど清々しい気分になっていた。危険な花々に与えられた恐怖や侮蔑などは既に頭の片隅にも残っていないようであった。体に力と気力が満ち溢れたといった様子で、悠然と大空へ飛び立っていった。
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