ツキノハナ

3/3

43人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
 蝶々はまるで天にも昇るような気持ちであった。先刻口にした蜜にはよほどの栄養価が含まれていたのだろうか、羽ばたきはいつにも増して調子が良く、そのくせ疲れもこない。いつもなら諦めていたあの針葉樹の頂点まで飛んでみたい、そのような願望に駆られたのだろうか、蝶々はいつにも増して羽ばたきを続けるのだった。  まるで夢の世界を舞う蝶々。外敵に狙われる恐れなど今ならば無心の境地、と言わんばかりに高みを目指す。とうとう針葉樹の頂に到達した蝶々は、肢を伸ばして頂に立とうとした。だが、その肢は頂をかすめただけであった。激しくはためかせていた羽はとどまることなくはためき続け、あっという間に蝶々の体を頂のはるか上空まで運んでいた。なおも動き続ける羽は、その体を空へ、さらにその上へと送り届けるようであった。  しかし、触覚、六肢、弓形に折り曲げた腹は、全て空とは正反対の方向に向けられていた。それは蝶々の必死の抵抗のように見えた。蝶々の意識は地上を目指しているのだが、羽は止まらずに、そしてついぞ観念したのか、はたまた更に高みを目指すことに考えを変えたのか、羽ばたきはさらに勢いを増していった。  山を越え、雲を越えた。大気圏に突入する直前に体が硬く炭化してしまっても、羽はなおも動き続け、ついにはその体を宇宙へと運んだ。そして暗闇の中で静かに動きを止めた。  何日かの間、蝶々は宇宙を漂い続け、そしてとうとう月の重力に引かれた。その時であった。羽は、突如として動き出した。それは最後の灯火を意味するかのように、速度を増し、熱量を上げ、羽は炭化した体もろとも砕けて鳴いた。月に舞い降りた蝶々の黒き塵は、月のクレーターの陰にひそりと咲いた、白く、小さな花に降り注いで、その花を静かに受粉させた。 ◆◆◆ 完結 ◆◆◆
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加