孤高の達人

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 平泉源之助は悪夢らしい夢で目が覚めた。らしいというのは、すでにその詳細を覚えていなかったからである。だが、麻織りの甚平が背中にべたりと張りついていることから、決して吉夢ということではなかったのだろう。  源之助は怠惰と憂鬱を背負って重い腰を上げた。そして紫煙をくゆらせながらもそもそと足の指を動かすと、脳がくすぐられるように覚醒していく。編みこんだイグサのざらりとした感触が伝わる畳を源之助は愛していた。  静かに音を鳴らした襖がサラリと開いた。三つ指を立てた女中がゆっくりと顔を上げると、はっと口を開けて、 「たっ、大変失礼いたしました。いえ、おはようございます。もうお目覚めになられているとは思いもせずに……」 「なんとなく目が覚めてしまってな。なにも謝るようなことではあるまい」 「いえ、先生がそのような時は、我々の考えなど及ばない崇高なことをお考えになられていると聞いておりますので。すぐに朝の食事を準備させますので、どうぞ食堂まで……」  源之助はバタバタと遠ざかる女中の背中に向けて、そんなことはないのだ、と言いかけて、代わりに煙と一緒に溜め息を一つ漏らしてから煙草の火を消した。
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