ONEコロ★入りました

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 翌朝、中洲は約束の時間より早く市田のマンションの呼び鈴を鳴らした。市田は慌てて顔を洗い、髭をそって着替えると、昨夜、帰宅途中に買った大量の菓子をリュックに押し込み、外へ飛び出した。 「こら遅いぞ」。これからウォーキングにでも行くかのようにスポーツウェアで全身を固めた中洲がじろりとにらんだ。市田はポロシャツにチノパンだ。  「どうも、すみません。しかし、先輩、気合い入ってますね。僕も着替えてきましょうか、スポーツウェアに」。市田はからかうように尋ねる。中洲はすこし赤くなって「いいよ、それで。もう行くよ」とさっさと歩きだした。  淀川沿いは市田のマンションの方が近い。二人は商店街を抜けて河川敷を目指した。新型ウイルスの影響で景気が落ち込み、全国で失業者が急増していた。訪日外国人に依存してきた大阪も飲食やホテル、娯楽関連で職を失う人が相次ぎ、河川敷にはホームレスがブルーシートでこしらえたテントがあふれていた。大阪市はかつて大きな国際会議を控え、外聞が悪いからとブルーシートを一斉排除したことがある。ホームレスを一時的に保護する施設もあるが、数が多すぎてもはやお手上げということなのだろう。  「けっこうあるねえ。片っ端から見て回るしかないかな」。中洲はすこしひるんだ。  「ホームレス同士って結構、情報交換するらしいです。炊き出しの時間とか場所とか。こんな人を探していると聞き込みするのが早いかもしれませんよ」。市田がテレビ番組で蓄えた知識を披露した。  「よし、では聞き込み開始」。中洲は至近距離のブルーシート目指して歩き始めた。市田は慌てて追いかける。  「すみません。お邪魔します。人を探しているんですが」。中洲がおそるおそる中をのぞき込むと、小太りの男が寝そべっていた。  「なんだ、ねえちゃんは」  「すみません、お休みのところ。実は人を探していまして」  中洲が尋ねると、男は「ふーん。そうかいな」と面倒くさそうに寝返りを打ってそっぽを向いた。  「先輩、これどうぞ」。市田が袋詰めの菓子を中洲に差し出す。「何よ、これ」。中洲にけげんそうな顔を向けられ、市田は「お礼しないと協力してくれませんよ」と声を潜めた。中洲は「あっ、そうか。君は用意がいいねえ」と言って菓子を受け取り、「甘いものでもいかがですか」と差し出すと、男はむくっと起き上がって「おお、すまんな。わし甘党だからうれしいわ」と言って菓子を奪い、むしゃむしゃと食べ始めた。  「それで、あの探している人なんですけど」。中洲が男に食い下がると、男は「おお、そうやった、そうやった」と姿勢を正した。中洲の説明をひととおり聞き終えると、男はしばし考え込み、答えた。  「わしの知り合いにはおらんなあ。髭じいなら知っとるかもしれん。医者だったと言ってたから。この先の大きなテントにおるじいさんや」。  「髭じいですね。ありがとう。聞いてみます」。中洲と市田はお礼を言って大きなテントを探した。髭じいのテントはあっさり見つかった。しかし収穫はなく、別のホームレスを紹介された。そんなことを繰り返しているうちに、わりとこぎれいな格好をした若いホームレスから耳寄りな情報がもたらされた。  「その人、板さんに似てるな。いつも包丁を研いでいるから、みんなで板さんて呼んでるの。すこしぼけちゃっている感じのおじさんと暮らしています」  若いホームレスの話を聞いているうちに、板さんは小早川に間違いないと確信した。身体的な特徴や経歴がそっくりだった。いっしょに暮らしているおじさんは、たぶん丸投げ君だろう。名前は確か吉川だった。河川敷に最近住み着いたという若いホームレスは、会社が倒産して家賃が支払えなくなり、アパートを追い出され、手形がないので実家にも帰れず、気がついたらここで暮らしていたと説明した。  「仕事を探すのに疲れてしまっていまはこのざまです。お恥ずかしい。新型ウイルスのワクチンができて仕事が増えれば、ここから脱出できると信じてはいるんですが、そんな希望も日に日に薄れてしまってね」。男は苦笑いして洋服の破れたところをしきりに触った。  「すみません、余計な話ばかりして。板さんはあの橋のたもとあたりのテントですよ」。中洲と市田はお菓子を渡してお礼を言い、男に教えてもらったテントを目指して無言で歩いた。そのテントはすぐに見つかった。近所のホームレスが集まり、何やらひそひそと話していたからだ。中洲と市田は「どうかしましたか。板さんに会いに来たのですが」と話しかけた。  「あんたら板さんの知り合いかいな」。ホームレスの一人に問われ、市田は「そうなんです。行方不明になっていたかつての上司で、やっと見つけました」と答えた。  「残念やったな、そりゃ。板さん、おらんようになってしまった。行方不明や」  「えっ、行方不明?」。中洲と市田が思わず聞き返した。  「ぼけたおっさんもいっしょにおらんようになった。なんや、昨日の夜、若い男が尋ねてきて長いこと話し込んでおったんや。今朝、起きてみたらおらんかった。子どもさんが迎えに来たんかなあ、運がええなあいうて、みんなで話とったんや」  中洲と市田は顔を見合わせた。小早川は失業してすぐ、奥さんと子どもに逃げられたと聞いている。ホームレスになった小早川を迎えに来るなんて不自然だ。  「若い男ってどんな人でしたか」。市田が尋ねると、ホームレスは「フードかぶってて顔はようわからんかった。背丈はあんたくらいやったかな。メガネしとったし、なんや消毒液の臭いがしたわ」と答えた。近隣のホームレスを訪ね歩いたが、手がかりはなかった。大阪藩主の回し者だろうか。祇園祭まで一カ月を切った。焦りは募るが、どうしようもない。野口教授に相談してみよう。中洲と市田はいったん探索を打ち切り、帰宅することにした。河川敷は既に薄暗くなり、川面に街灯の明かりが揺らめいていた。
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