ONEコロ★入りました

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 市田はほろ酔いで天神橋筋商店街を歩いていた。お泊まりを期待したが、いつものように追い出された。中洲は「明日は朝から死に神、じゃなかった小早川さんを捜索するんだから夜更かししないでね」と言ってハグしたかと思うと、ぐいぐいと市田を玄関の外に押し出し、にこにこしながらバイバイと言って鍵を閉めた。市田のマンションは歩いて10分ちょっとだが、中洲に追い出された後だと妙に遠く感じる。縮まりそうで縮まらない中洲とは距離感と似ているな、と思った。  中洲とは大阪支社の営業部に異動して以来、3年半の付き合いになる。化粧っ気はなく、まじめでいつも一生懸命。会社でいつも雑用を押しつけられているが、どこかのんびりしていて、いっしょにいるとほっとする人だと気づき、好きになってしまった。それからというもの、なんとか二人になる時間をつくっては遠回しにアプローチしたが、中洲はいつも「後輩くん」呼ばわりして、気付かないふりをした。  いい人がいるのかなと勘ぐったこともあるが、休日はいつもごろごろしている様子で、デートしている様子もない。「もっとはっきり言ったほうがいいのかな」とも思ったが、ほどよい距離感が壊れるのが怖くて、上司と部下の関係から抜け出せなかった。  そんな雰囲気を一変させたのは新型ウイルスだった。感染者対策でばたばたとしているうちに、中洲と高杉が急接近し、あれよあれよと出世街道を上り始めたのだ。薬品会社の買収や治療薬の発見が評価されての躍進だった。企画を立てたのは全て中洲だが、欲のない中洲は、市田を引き続き自分の部下に置くことを唯一の条件として高杉に手柄を差し出したと同僚に聞き、市田は呆然とした。そんな途方もない企画を中洲が立てていたことなど、つゆほども知らなかったからだ。いつもいっしょに働いていたのに何も相談されなかったことへの失望感は大きかった。「同情で引き立ててもらってもうれしくないよ。僕の存在意義がないじゃないか」。市田は会社を辞めようかと思った矢先、中洲が関所を超える手形を忘れて大津市の日青病院に向かったことに気付き、追いかけた。そこで会ったのは別人の中洲だった。いや、自分が好きになった本当の中洲だった。  考えてみれば、新型ウイルスの感染者が急拡大し始めた頃から、中洲は何かに取りつかれたようだった。会話をしていてもどこか遠くにいるようで、手応えのない感じがした。中洲が何か言いたそうなそぶりを見せることもあったが、すぐに困ったような表情で話を飲み込んだ。親水公園で中洲と高杉がビールを飲みながら仲良く話しているのを目撃していたので、高杉と交際していると自分に伝えようとしているのだなと勘違いして落ち込んだりもした。  いまは違う。新型ウイルスは怖いが、市田は何よりも中洲といっしょに世界を救おうと働いているのがうれしかった。中洲は神に選ばれた人なのかもしれない。それはとてつもないプレッシャーだと思う。自分が中洲の立場ならば責任と重圧に押しつぶされてしまうだろう。いまできることは中洲に寄り添い、全力で助けることだけだ。  中洲は時間を超えてウイルスと戦う無限のループにいる。過去2回は失敗。3度目の正直も失敗に終われば、中洲は過去の自分と入れ替わり、新たな戦いに挑むことになるのだろう。市田はふと思った。そのとき自分はどうなるのか。世が滅びるとき隣にいるのは過去から戻った中洲になる。「あんたがついていながらまた失敗したわけ」と言って叱られるのだろうか。中洲が笑って暮らせる世界を守りたい。市田はそう思った。
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