ONEコロ★入りました

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 小早川は2カ月ぶりの風呂で疲れを癒やしながら、自分の身に起こった奇妙な出来事を反芻していた。突然、河川敷に現れた若い男。日課になった包丁研ぎをしていると、いきなり「中洲さんと市田さんはご存じですよね。あなたを探しています。どうしますか」と切り出した。中洲の名前を聞いて小早川がぴくりと反応するのを、男は見逃さなかった。  「やはり、小早川さんですね。探すのに半日かかりましたよ。朝一で来たのにすっかり暗くなってしまった。さて、どうしますか小早川さん。このままでは二人に連行されるかもしれませんよ」と男は穏やかに話した。  「おまえ、誰だ」。小早川がたまらず声を出すと、男は「あなたの味方です。たぶん」と意味ありげに答えた。吉川は寝ている。相変わらず役に立たない。会社にいたときと同じだ。全て他人任せの馬鹿上司。祇園祭まで面倒をみてやるつもりだが、時折、川に突き落としそうになる。  「味方ってどういう意味だ。だいたい、君は誰なんだ」。小早川は苛立って尋ねた。  「落ち着いてください。僕の正体はおいおい明かします。連行されたくなかったら、僕がお二人をかくまいますが、いかがですか。風呂もエアコンもある部屋で自由に暮らしてもらえますよ。冷蔵庫の中身も自由に使ってもらって構いません」。  男の提案を聞いて、小早川は驚き、警戒した。ホームレスの面倒を見るだと。何のために。臓器売買の組織の一員か何かか。男は小早川の考えを見透かしたように付け加えた。  「やだなあ、小早川さんを殺して臓器を売買するとか考えてませんか。そんなことはしません。安全は保証します。あなたの計画を手助けしたいだけですよ、僕は」  小早川はまた驚いた。なぜ自分の計画を知っているのか。小早川が口を開こうとすると、男はまた先回りして「中洲さんに聞いたのですよ。あの人、不思議な能力があって未来がわかるみたいなんです。あなたの計画を阻止するために探し回っているのですよ」と打ち明けた。  小早川は、大阪藩主になった高杉が日輪商事時代に中洲を予言者とか言って猫かわいがりしてたのを思い出した。あれは本当だったのか。見事なM&Aに治療薬の発見。全部、中洲の予言で実現したっていうのか。自分たちは予言で出世して、俺と支社長はリストラか。許せん。小早川は怒りで手が震えるのが分かった。  「あすにはここにたどり着きますよ、あの二人。もう時間がありません。決断してください。向こうにレンタカーがあります。ほら凶器なんて持ってません。僕は丸腰です」。男は促した。  中洲は大阪藩主の手先だ。連行されれば消されるかもしれない。この男も怪しいが、いざとなれば吉川と二人がかりでぶちのめし、逃げることもできるだろう。  「わかった。連れを起こしてくるから待っててくれ」。小早川は男に言った。  「よかった。向こうに白いセダンが見えますか。中で待っていますから、準備が整ったらお二人でいらしてください」。男はそう言ってレンタカーに向かい去って行った。  「起きてください」。小早川は吉川の体を揺すって起こすと、寝ぼけ眼の吉川の手を引いて後を追った。吉川が中洲につかまれば何をしゃべるかわからない。ここは行動を共にした方が得策と考えた。懐には包丁を忍ばせた。  「おいおい、どこへ行くんだよ」。吉川は狼狽している。小早川は「炊き出しですよ」と言ってごまかした。  レンタカーにたどり着くと、男はすぐにエンジンをかけて「京都に向かいます」と言った。しばらく無言で国道1号線を走っていたが、吉川がいびきをかき始めると、男は「お連れさんは寝てしまいましたね。時間が惜しいので計画を詳しく教えてくださいませんか。力になります」と話しかけてきた。小早川は助手席で計画を丁寧に説明した。男は時折、うなずきながら静かに聞いていた。話を聞き終えると、男は言葉を慎重に選びながら計画の弱点を指摘した。小早川が改善策を考えて話すと、男がさらによい方法を提案する。小早川はうれしくなり、夢中で計画をブラッシュアップしているうちに目的地に到着した。  小早川と吉川を部屋に案内すると、自分は職場に寝泊まりするから全て自由に使ってくれと言って、男は鍵を置いて出て行った。吉川はさっそく風呂に入って鼻歌を歌っている。小早川は冷蔵庫からビールを取り出し呑んだ。全身がしびれるほどうまかった。一日一杯のビールを飲むささやかな楽しみまで奪った高杉と中洲。「思い知らせてやる」。小早川は空き缶をぐしゃりとつぶし、台所に投げつけた。
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