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28 【挿話3 巧】2/2
俺自身は運命に苦しめられながら育った訳でもないし、親の話を聞いてもないからさほどこだわりはないんだけどな。
対して汐見は馬鹿な親戚に苦しめられて来たせいで、ガッチガチの運命のつがい否定論者に成長した訳よ。『運命となんか出会いたくないし、出会っても愛せないし選ばない』ってのが奴の口癖で――俺は『確率的にそうそう出会える相手じゃねーし』ってへーへーと聞いてた。
――それがまさか、俺が出会うとはね。
で、俺自身が汐見に『運命と出会った』って報告すんのは構わない。俺と汐見の間に温度差があるのは当然奴も気付いているだろうし、そこまで同調出来ないのは別個の人間として当たり前だからだ。
ただ俺は、俺と野上が運命のつがいであることを、野上自身に知って欲しくなかった。だから漏らす可能性のある――プロテクターの件で分かる通り、コイツ独断専行のお節介野郎なんだよ――汐見にも言えなかったのだ。
「ともかくさあ、野上は俺と運命だなんて気付いてもないんだから、お前、勝手に余計なこと言うなよ」
話を戻すと、汐見は俺に冷たい眼差しを向けた。
「どうして野上君に知らせないんだい?」
誤魔化した所でこいつは引き下がらないので、大人しく説明する。
「俺と出会わなかったら野上は多分ベータのままだったから。……俺のせいでオメガになったって恨まれたらつらい」
「ボーダーだった野上君がオメガに変じる切っ掛けになったのが、運命である君との出会いだった、って事か」
「そういうこと」
「つまり君は野上君が『ベータのままでいられるなら、仁科とは出会わなくても良かった』って思うと信じてるんだ?」
「いや……そこまで確信があるわけじゃないけど。野上は自分のこと平凡だって言って自信も薄いタイプだから、オメガ化して注目浴びるのとかつらいっぽいし。そういう苦労やベータとして生きるはずだった人生と引き換えるほど好かれてるかは分かんない」
「――君らしくないじゃないか。何が出来なくとも自信満々でめげないのが君なのに」
「馬鹿にしてんのか」
「褒めてるんだよ。高い自己肯定感は愛されて育った証拠だろ?」
「野上だって滅茶苦茶愛されてたぞ。だけど肯定感低いから、俺のはきっと厚かましいだけだ」
「ここでその厚かましさを発揮して、『俺とつがいになれて野上は嬉しいはず』ってならないのが……愛してるってことなのかな? 愛は人を臆病にさせる、ってやつなのかい?」
「こっぱずかしい言い方してくんな。そうだとしてもお前の言い方なんかキモいわ」
「随分だよねぇ君。――でも、野上君に対してその程度の自信しか持てないなら、運命ってたいしたことないんだね? 所詮運命は、人間の意志も好みも関係なく遺伝子のみが結び合わせた不自然な繋がりってこと? 運命がなければ仁科は野上君を、野上君は仁科を選ばなかった――その程度の希薄な関係ってことなんだね?」
同調を得ようとしてか、おもねった柔らかな口調で汐見は語りかけてくるが、俺は首を振った。
「いや、違う」
「何が違うの」
「俺が野上に目を留めるきっかけが、運命のつがいだったからなのは否定しない。でも今もしも野上がベータに戻ったとしても、俺は野上を好きで居続けるよ」
きっぱりと言い切ると、汐見は呆れたように溜め息をついた。
「君さぁ、それを野上君に言えばいいじゃないか」
「……だって野上は自分に自信がないタイプだから、『仁科が俺を好きなのは運命だからなんだね?』ってなるだろー? ふりだしに戻るの俺やだよ。運命だから知り合えたんだから、分けて考えてもしゃーないじゃん?」
「だからそれを野上君に言えと」
「だーかーらー! ふりだしに戻るのがやなんだっつーの。この録音! 野上がやっとここまで俺の事信じて自信持つようになってんのに、運命だって分かったらガラガラ崩れちゃうだろ?」
「…………それでも、お互いについて正しい認識を持つ必要はあるんじゃないかと思うけど?」
思わない。
野上が俺たちを運命のつがいだと認識するメリットなんてなにひとつ思い当たらない。困惑と不信のあまり距離を置かれるのが目に見えるようだ。
俺が粘り強く愛を囁けば、その距離はいずれゼロに出来るのかも知れないが。
「――頼むから、分かれよ。俺はちゃんと両想い出来てる今がすごく幸せだから、これがまた片想いに戻るのは耐えられないんだよ……」
頑固に持論を貫こうとする汐見に、懇願のように言い募る。ここまで言わせんなボケ。
そしたらやっと汐見にも響いたのか、頷いた。
「君がそんなにしおらしいと不気味だよね。わかった。そこまで言うなら、野上君に余計な事は言わないよ。約束する」
「おう。頼んだぞ」
「……一瞬で元に戻った」
汐見の頼もしい返事ににやっと笑えば、汐見は呆れたようにぼやいた。
その後は、後始末的な話題だった。
「北原さんをどうしたい?」
汐見がそう聞いた端から、奴の携帯が着信する。どうやら井川からのメッセだったらしい。
汐見はそれを読み込む間、憤懣やるかたない様子で眉間に皺を寄せていた。
なんだなんだ。北原が全部野上のせいにして暴れでもしてんのか?
「――北原さん、一年生の女の子に野上君を襲わせる計画を立てていたらしいよ。元ベータだから、男に襲わせるより女を襲うように仕向けた方がダメージが大きいだろうって……アルファ側――つまり君から見て、野上君の価値が下がるって事なのかな……? でもほら、四人部屋にしたり二人部屋にしたりで、彼をひとりにしなかったろう? 君どこに行くのも野上君にべったりつきまとってたし」
いや、予想の斜め上を言ったわ。
本当にろくでもないな北原。
「だから隙がなくて計画は頓挫。でも収まりが付かなくて、あんな風に襲撃しちゃったって事らしいね――で、以上を踏まえて、北原さんをどうするべきかな?」
「……北原を怒鳴って殴って野上が感じた以上のみじめさを味合わせて、その上で北原が計画していた卑劣な事を北原自身の身に起こしてやりたい」
思わず汐見の問いに素直に答えてしまったが、もちろんそれは許されることじゃない。
だが汐見は、ぞっとするほど冷徹な口調でこう言い切ったのである。
「君が本当にそうしたいなら、そうしよう」
俺はまじまじと汐見を見返した。
「冗談」
汐見はにこりともしないまま首を傾げ、決意を促すように俺の目を覗き込んでくる。
「君が望むのなら、なんだってやってあげるよ」
こいつ――汐見は普段は育ちがいいだけの坊ちゃんだが、一旦キレるとこちらが引くほどの酷薄さを見せてくる。
しかもこの酷薄さが発揮されるのは、大体俺がらみらしい――というのを井川から聞かされていた。
こいつは兄弟も居ないからか、不思議な縁のある俺を兄弟のように思っているふしがあるのだ。兄弟というなら井川とだろと思うのだが、『運命が成就していたら生まれなかった者同士』という連帯感はコイツの中では絶大らしかった。
「……ここで『じゃあ頼むわ』って言えるほど、俺は倫理観がすっ飛んでる訳じゃねーよ」
「おや、残念。サークルで醜聞を起こそうとした北原さんには僕も怒っているのに」
「だったらそれは俺と関係なくやってくれ。俺は北原がもう二度と、俺と野上の前に顔を出さなきゃそれでいい」
あざとい返事をしたが、汐見は指摘もせずに頷いた。
「OK。じゃあそうしよう」
頷く汐見を真っ直ぐに見つめ、俺も頷き返した。
北原の話題に今度こそケリが付き、切り替えるように汐見はにこりと笑った。温かみは戻り切っていないが、まともな笑みになっていた。
「それで、野上君はどうしてるの?」
「熱が出たから寝かせてる」
「熱? 風邪をひいちゃったのかい? 医者を呼んだほうがいいかな?」
「いや、多分そこまでは。うなされてる様子もなかったしな。解熱剤も飲ませてるし」
「ならいいけど。つらそうなら車を手配するよ。このコテージ、延泊できるか交渉してもいい」
「――延泊はともかく、車はいいな。病人がいたら周りも気を遣うだろうし、野上も落ち着けない。頼んでいいか?」
「いいよ」
「色々ありがとな」
頷いてから、あ、と気付いた。
「これ、イヤホンも野上の?」
手の中に握りしめていたプレイヤー。そこに装着されたままのコードを示す。
「それは頼のだ」
「返す。ありがとさん」
「うん」
コードをくるくると巻いて汐見の掌に受け渡す。
汐見は何気ない感じで俺のその動作に目をやっていたが、何を思ったのかふふっと笑い出した。
「なんだよ」
「君たちが運命なら、確実に子どもが出来るんだよね。そしたら僕は、その子に沢山の贈り物をするよ。『スミおじちゃん』ってなついてくれるといいなあ」
汐見は未だ見ぬその子を思い浮かべてか、穏やかに微笑んでいる。
だがその子の父親であるはずの俺はといえば、ぎょっとして動きを止めていた。
「どうしたの仁科。僕が先走ったことを言うものだから驚いたのかい?」
「――いや、ていうか……そんな子出来ないから」
「え、なんで⁉」
「……野上さ、身体がかなり弱いんだよ。どうせ北原なんか風邪も引かずにピンピンしてんだろうけど、野上はあっという間に体調崩す。無理の利かない身体なんだよなあ。だから、十ヶ月の妊娠期間に耐えられるとは思えないし、無事に生めたとしてもその後が……ってなるだろうし――野上になんかあったら……そんなの俺が死んじまう」
「……えーとじゃあ、君的には生ませない方向で考えてるって事なのか……」
「うん。……別に野上と話し合った訳じゃないけど、野上だってオメガ化した時のネックは生む事への抵抗感だったんだから、多分……」
汐見の言う通り、『運命のつがい』の受胎率は半端なく高い。それもあって発情期に野上を抱いたことはないし、大学を出て一緒に暮らしはじめれば抱く機会はあるに違いないけれど、避妊は欠かさないつもりだ。
――野上を失うような危険な事、絶対にさせられるかよ。
ところが汐見は。
「……君が何を画策しようと、すでに結ばれてしまった『運命』だ。結実しないなんてこと、それこそあり得ないと思うけどね」
まるで予言のように不吉なことを言い切ってくる。
「やめろよ」
「だってそれこそが『運命』の目的な訳だし」
「やめろって! 野上を失うくらいなら、俺は子どもなんかいらない!」
噛みつくような勢いで吠えれば、汐見は呆れたように笑う。
「君ホント、野上君が好きなんだねえ」
「当たり前だろ。つがいだぞつがい」
「――『運命』にもかかわらず、ね」
まだ含みのありそうな汐見へ、俺はしっしっと手を振った。
「悪りぃが、そこにこだわるのはもう辞めだ。親たちと違って、俺は『運命だけど幸せ』なんだよ」
(挿話3/おわり)
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