02 プロローグ

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02 プロローグ

「――いやあの……、俺、オメガじゃない……んだけど」  うちは両親親戚見渡す限りベータだし、俺だって中二の時の診断でばっちり『ベータ』だって書かれてた。ていうか、農家しかない昔からのド田舎なのだ。あそこじゃベータなのが当たり前で、実際俺はアルファやオメガを、テレビや映画やネットニュースなどでしか見た事がなかった。  ――へえ。このひとアルファなのか。  実物初めて見たなあ、なんて思いながら、俺は彼の誤解を解こうとシャツの喉元を開く。元々ひとつめのボタンは留めてなかったから、見えないはずないんだけどね? 「ほら、プロテクターだってしてないし」  俺が開いた喉元を、彼はまじまじと凝視した。 「……いや、してないのは気付いてたけど……ホントに? ホントにオメガじゃないの? 隠してるとかじゃなく?」 「――なんでそんなに疑うんだろう。そもそも、プロテクターしてないオメガなんているの?」 「……いない。あれは義務だし」  ですよねー。俺でさえ知ってるような事を、アルファの彼が知らないはずないよな? それなのになんで誤解すんだよ。俺がオメガと見間違えるような容姿だってんならまだ分かるけど、そんな事はない。背はベータとしては低めだけどオメガなら高めの部類だろうし、顔は『かわいい』『きれい』と評されるオメガ達に見合わない平凡さだ。ごく普通の一般的なベータ大学生だと思う。  ――なんかこのひと、思い込みが激しいのかな……?  ちょっと不安を感じつつ彼を見つめていると、彼は恥じ入るように頭を下げた。 「ごめん……間違った上に失礼な言い方した」  おっと。予想外に素直だった。意固地になったりしないんだね。 「まあ……、えっと、俺がオメガなら言われて当たり前の事なのかな~? 確かに、留守番させるとか不用心だよね」 「本当にごめん。ぶしつけだったし間違って本当にごめん」  すっかりしょげてしまって何度もぺこぺこと頭を下げてくる彼。顔つきもとてもしょんぼりしていて、まるで飼い主に怒られてうなだれる犬みたいだ――なんて失礼な事を思ってしまった。いやでも彼、アルファなんだよね? アルファってさ、もっと尊大とか威厳とかオーラとか? なんかそんな感じじゃなかったの? 「いいよもう」  ともかくそんなアルファらしからぬ可哀想な姿を見ると、許さない訳にはいかなかった。 「じゃあさ、一緒にコインランドリー行こう?」  留守番出来ない以上、一緒に行くしかないのだし。  コインランドリーへの道すがら――濡れた服を入れたカゴは彼が持ってくれた――、俺たちは自己紹介をした。  彼は仁科巧(にしなたくみ)といって、隣県からの通学者であるらしい。しかも意外ながら、同じ学年、同じ学部だった。 「で、そっちは?」 「ああ、ごめん。俺は野上伸(のがみしん)。地方から進学してきて、工学部の情報科なんだ」 「あの食堂、工学部の最寄りだもんな」 「そうだね」 「しん、ってどんな字書くの?」 「えっと、〝のびる〟。身長が伸びる、とかの伸」 「へえ」  俺の説明にうなずいた仁科は、ちらりと俺の頭の天辺を見た。その視線の意味を悟った俺は、むっとする。 「伸びなかったけど! 他に説明思いつかないんだから仕方ないだろ~!」 「ごめんごめん。でも十分だろ」 「一応一七○ある。本当はあと三センチくらい欲しかったんだけど」 「まあ、まだ伸びるかもしんないし。で、なんて呼べば良い? 野上君? 伸君?」 「野上でいいよ」 「じゃ、俺も仁科で」  彼がてらいなくそう伝えて来たので、俺は内心驚いていた。  ――アルファを呼び捨てとか、いいのかなあ……?  でも本人がそう言ってるんだし。「アルファを呼び捨てとか無理だよ」なんて言い訳するのもなんかいやらしいし。そもそもアルファ様として偉そうぶりたいような人柄なら、俺は彼にうどんをぶっかけたあの食堂ですぐさま報復を受けただろうし。 「じゃあ、お互いさまでよろしくね」  気を取り直して俺が笑うと、仁科も同じように笑ってうなずいてくれたのだった。  コインランドリーに着いた俺は――というか、俺たちはおのぼりさんさながらだった。  何故俺たちは、なのかというと、 「へー。これがコインランドリーかぁ。初めて入った」  と一歩入るなり仁科が言ったからだ。  壁面びっしりに洗濯機と乾燥機が並んだ狭い室内には、俺たち以外誰もいない。最近晴天続きのお陰かなあ。 「へ。マジで? 都会の人には必須な店なんじゃないの?」 「へー。そうなのかな」  適当な相槌を打った仁科は、好奇心むき出しで店内をぐるりと練り歩いている。なんとなくその後をついて回って、俺も店内を観察した。 「でっかいカゴ」 「この洗濯機もデカい。野上入れそう」 「入れないで。汚れてないから、俺」 「うむ。きれいだな。――で、これがお目当ての乾燥機……?」 「円い窓いっぱいで……なんかSF映画の宇宙船みたい」 「カプセルホテルかもよ」  その円い窓を引き開け、洗濯物を放り込む仁科。 「……うん? 一回分でいけるかな?」  説明を読んでから、コインを一枚投入する仁科。 「あ。お金俺が払うんだったのに」 「まあ気にすんなよ。で、これほっといたら止まんのかな?」 「……勝手に回り続けて追加料金とかならない?」  コインロッカーみたいにさあ。 「自分で止まるっぽいぞ」  仁科は壁の説明書きを読んでいる。俺も目を通したが、確かにそう書かれていた。 「じゃあ隣のファミレスで何か食わねえ?」 「え、でもそれには時間足りなくない?」 「どうせ誰も来ないだろうから、止まってても問題ないって」  そうは言われても、もしも盗まれたりしたら……と戸惑っていたら、仁科が更に二枚、コインを追加した――なので残り時間が増えて、食事をするには十分になってしまった。 「強引だなあ。暖まりすぎて服が縮んだらどーすんの」 「ぱっつんぱっつんになってたら指さして笑ってやって。そしたら服も成仏出来んだろ」 「服が可哀想だろ⁉」  仁科が変な事を言うもんで、思わずつっこんでしまう。俺そんなにつっこみとかする方じゃないはずなんだけど。  なんか、つっこんでも許されるような磊落な雰囲気が仁科にはあって、居心地がいい感じがするんだ。  ファミレスで俺はうどん。仁科はカレーを食べた。  うどんを食べ損ねていたから何気なくうどんを選んだのだが、ひとくち食べて見ると、実は未練たっぷりだった事に気付いた。 「おー、実は腹減ってたんじゃん」  俺の食べっぷりに感心する仁科だが、 「そっちだって食べたとは思えない食べっぷりじゃん」  なにせ大盛りだ。 「燃費の悪い身体なもんで」  食事をしながらそんな軽口を叩き、大学の事もちょっとずつ話し始めた。  お互い入学したばかりでまだ知り合いが少ない事――少ないどころか俺なんてほぼゼロだ。人見知りのつもりはないけど、のんびりはしすぎているのかもしれない――、入るかどうか迷っているサークル、過密しちゃった講義のスケジュールとか。  ファミレスを出て服を回収し、俺の家で着替える。縮むことなく元通りだったので、二人で大学に戻った。勿論大学は昼休みはとうに過ぎ講義が始まっていたが、それについてはお互いに黙秘した。  俺がうどんをぶちまけた食堂に戻ってみると、すっかりきれいになっていた。昼の混雑を抜けて長閑な雰囲気を漂わせている厨房に、 「すみませんでした」  と事情を話して謝っておく。横から仁科が『こいつもぶつかられただけなんで』と庇ってくれて少し気が楽になった。 「この時期はすごく混むからよくある事なのよ。気にしないでね」  と言ってもらえて、この件は終了。  時間も程よく次の講義になったので、食堂を後にする。  俺としてはこのままお別れかなあと思っていたのだが、去り際に仁科が、 「じゃ、またな。見かけたら声掛けてよ。飯一緒に食お?」  と言ってくれた。 「分かった。そっちからも声掛けてくれると嬉しい」 「あ、じゃあ。待って待って。メッセ交換しよ?」 「うん」  仁科が携帯を取り出したので、二人で携帯を付き合わせて連絡先を登録する。  こうして、俺と仁科は友達になった。  俺にとっては大学に入って出来た初めての友人、人生で初めてのアルファの友人だった。  それからも実際に仁科は俺に声を掛けてくれて、俺も思わず仁科を探して食堂を彷徨ったりして、つかず離れずな感じで付き合いが続いた。  サークルは仁科はトレッキングサークル、俺はプログラミングのサークルに入った。活動範囲と知り合いが増えたせいで連絡が途絶える事もあったけれど、顔を合わせてしまえば不思議と緊張感なく元通りになれる相手だった。  しかしそうは言っても同じ工学部だが科が違う仁科とは、接点はさほどなく。俺たちの交流といえば、食堂で一緒に飯を食うくらいのものだ。  そもそも話を聞いてみれば、趣味だって全然違うしさ。俺は情報科ってくらいだから、バリバリのインドア派。休みでもカーテンを引いた部屋でパソコン相手にコードを打ち込んでいる。対する仁科は、カメラと山歩きとバイクが趣味っていう、完全なアウトドア派。ていうかなにその金と暇と体力が必要な趣味。  で、そんな仁科は時々我が家に泊まりにくる。  別に俺と夜通し遊びたいとか話をしたいとかじゃなく、手軽なホテル代わりなんだと思う。  「終電なくなったから泊めてくんない?」とか「今日飲み会でさ~、帰るの怠いから行っていい?」とかそんな扱い。  一番最初にそれをやられた時は「家知られてんの失敗したなあ」って思ったんだけど。  でも仁科は手土産に過剰なほどの食料を持参してくれたし、俺に朝飯をたかることもなかった。むしろ食料分おつりが来るって感じで、それ以降は快く泊めるようになった。  図体がデカくてかさばるのに手間は掛からないところが、なんか和む。なんていうかここら辺の感覚は、友人というよりは従兄弟的なノリだなあと思う。ほら、従兄弟って趣味とか合わんくてもなあなあで領土侵犯許すじゃん? でも深入りはしないラインみたいなのも分かってるじゃん? 仁科はそんな感じ。俺に過剰な干渉も要求もしてこないので、楽だ。  ――そして俺たちの関係が変わる事になったあの日も、そんな日だった。  大学一年生を終えて春休み。実家に戻って羽根を伸ばし、また大学に戻って、新たにはじまった二年生初期を慌ただしく過ごす。サークル員にも入れ替わりがあり、その歓迎会で忙しかったりもして。  それはきっと仁科も一緒で、俺たちは二ヶ月近く連絡を取っていなかった。 『今日飲み会。泊めてくんない? お土産何が良い?』  仁科からそんな風な連絡が来て。俺はコンビニの肉まんを請求したが、仁科の事だからそれ以外も色々買い込んで来るんだろう。  ノートパソコンと向き合っているうちに部屋の呼び鈴が鳴って、ちょうど腹の空いていた俺は、夜食の肉まんを迎えに行く気分で玄関を開けた。 「仁科、久しぶりだ――」  仁科と目が合って、そして――……?  俺はそれからのことを、覚えていない。
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