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幸輝先輩は俺の事務所の先輩だ。東京に上京してこの業界に入ってから右も左もわからない俺に住む場所と食べ物を与えてくれて、優しくも厳しく業界のイロハを教えてくれた人。先輩の存在がなければ今の自分は存在していなかった。
そして幸輝先輩が失踪して三ヶ月が過ぎようとしていた。葉賀は名無しの神社に来ていた。
親父がこの先の崖で事故死してから二年経つ。
親父は俺の芸能人になる事を酷く反対していた。それなのに影では芸能活動が上手くいくようにとこの神社に祈願しに来ていた事を母親から聞かされた。それを知ったのは親父が死んだ後だった。
家の家計は、決して恵まれたものではなかった。親父の経営していた会社が倒産し、残った借金を返済するために昼間は工場勤務で、夜中はタクシードライバーとして昼夜問わず働いていた。そんなギリギリの状態で更に俺の願いを叶える為にこんな山奥まで来てたと知っていたら俺は絶対に止めていただろう。だからこそ何故親父が生きてる時に俺に教えてくれなかったのか今なら分かる。そして分かるからこそ悔しい。
その後親父の生命保険のお金で借金を返済する事が出来た。『これであんたも心置きなく芸能活動できる』と涙を貯めた顔で言う母親の気持ちを考えたら責める事も出来なかった。
そして今度は先輩まで……
階段を登りきりると祠が見えた。祠はコケだらけになり、供えてあった物は腐っていた。
ごめんよ親父。最近仕事が忙しくてなかなか来れなくてさ。ミネラルウォーターでタワシを湿らせると優しく祠を磨いた。
先輩が失踪後俺と長谷川の元に大量のオファーが流れ込んできた。今では二人ともほとんど休みもない程に忙しくさせてもらっている。これもみんな親父が俺の為に祈願してくれていた効果で先輩が俺に残してくれたチャンスなんだと思う。
先輩……いま、何処で何してるんですか。
俺は親父が教えてくれたこの祠に祈願する時の決まり事を守る。
それは『他人の願いを叶え自分の欲望願わず』祈願とは元来他人の幸せを願うもので自分の願いをするものではないとされていたらしい。
祠を綺麗にすると鞄からフルーツやらお菓子のお供え物を置いた。
そして手をあわせてこう願う。
先輩が芸能界で成功します……
そこまで考え慌てて訂正する。
いけない。いつもと同じ願いをするところだった。
改めて向き直り手を合わせる。そして──
どこにいても先輩が幸せでありますようにと心の底から願った。
ただその願いが届いたかどうかはこの先、葉賀に伝わる事は無かった。
了
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