end of student solver

1/1
38人が本棚に入れています
本棚に追加
/23ページ

end of student solver

 あれからすぐにSS本部に連絡を取り、中川の身柄を受け渡した。このあとはしかるべき手続きを経て、正式に警察の手に渡される。  綾香と海一の任務はここで、一応、無事に終了したのだ。  色々とやらねばならないことが多くバタバタしていて気がつかなかったが、もう既に夕方を迎えていた。  前より随分と日が長くなったなと、綾香は茜色の空を見つめて思った。  二人は学校に戻ることなく、現在の自宅となっている高層マンションに向かっていた。  綾香と少し距離をもって歩く海一は、何者かと小声で電話をしている。 「……はい、感謝しています」  綾香は聞こえていないふりをしていたが、その電話の先にいるのが誰なのかしっかり分かっていた。  足取り軽く、柔らかい初春の風に包まれていると、横からごく小さく、遠慮がちな声が聞こえた。 「ありがとう……姉さん」  海一の表情は綾香からうかがうことは出来なかったが、口慣れない言葉にきっと少し顔を赤くしているに違いないだろうなと思い、こっそり笑った。  綾香の慕う宮乃と、海一が仲良くしてくれることは非常に好ましいことだ。  それに二人は何を言ったって、父親だけが同じだとしても、血のつながりのある姉弟なのだ。  けれどその一方で、一抹の淋しさを抱かずにはいられなかった。  一人きりの自分と、一人きりではない海一。そうなってしまったら海一の新しい幸せを心から喜べるのか、綾香にはまだ自信が無かった。  綾香の孤独の傍にはいつも、海一の孤独があった。  しかし綾香は昔は愛に囲まれていて、対して海一はこれまで本当の愛をほとんど与えられてこなかった。  全てに拒絶され、全てを拒絶する中で、そんな彼がようやく手に入れかけている義姉の優しさなのに。  綾香は妙に感傷的な気分になってしまって、海一が電話を切ったあともしばらく黙っていた。  そして今度は中川のことを想う。  幼い息子のために、自分を裏切り逃げた夫に代わって孤軍奮闘していた母親。息子の命を救うためにはこんな手段を選ぶしかなかった中川。  その影では確かに沢山の人々が悲しい思いをしている。  けれど中川が居なくなってしまった今、彼女の息子はどうなるのだろう。  綾香はなるべく考えないようにしていたことを考え出してしまい、思考がとまらなくなる。 「……綾香、どうした」  いつになく口数の少ない綾香の心の琴線がそっと震えているのを感じて、海一が声をかける。  綾香は立ち止まった。 「ねえ、海一……。私たち、SS本部に言われたことをやって、犯人捕まえて、それでいいのかな」  綾香はゆっくりと言葉を選びながら、海一と視線を合わせる。  夕闇の中の海一の顔は相変わらず綺麗だと、そして宮乃によく似ていると、綾香は思った。  海一はその長い指で眼鏡のブリッジを押し上げてから、 「難しいと思うが……深く考えてはいけないと思う。世の中にはしていいことと、してはいけないことがある。そう割り切らないと、大人だってきっとやっていけないはずだ」  と答えた。  海一もきっと同じことを心のどこかで考えて苦悩していたのだろう。そこで出したギリギリの結論だったのだ。  綾香は風に乱れる長い髪を耳元で押さえた。  もうすぐ夕日が沈みきろうとしている。  ストロボをたかれたような強い光に目を細めながら、眠りにつこうとする橙色を二人は見つめていた。 「息子さんが出来るだけ悲しまないことを、命が長く続くことを、祈るわ」 「ああ」  空には既にいくつか星がきらめきだしている。  相変わらず暦とは裏腹な冷たい夜風が二人を打ちつけ包んでいたが、二人はしばらくそこを動かなかった。  賑やかな通りを抜けると、高層マンション街の谷に広がる殺風景な広場が迎える。二人の最後の通学路。  二人はもうここに用はない。この制服に身を包むことも、きっともうない。  寂寞とした思いは二人の中にあふれているのだろうか。流転は彼らの任務につきものなのだ。様々な場所を転々とし、仕事が終わればまた新たな地へと赴く。それが二人の任務。  ただ、二人の口数は少なかった。  ふと、並んで歩く綾香が足を止めたので、海一は振り返った。  海一の視界には天を仰ぐ綾香の姿があり、つられて自分も上を向いた。 「桜だ」  ぽろっと、海一の口から言葉がこぼれる。  綾香も「うん、桜」とつぶやいた。  桜のおかげで少し暖かくなったように感じられる初春の夜風を受けながら、二人はしばらく立ちつくしていた。  わずかな街灯にぼんやり照らされたそれは白く揺れていた。二人の目の前に幻想的な世界が広がる。  いつの間に桜がつぼみをつけていたのだろう。そして花開いていたのだろう。日常に追いたてられて、景色に目をやる余裕も失っていたようだ。 「ねえ、海一。仲良くしてくれた小笠原さんにお手紙書いたら、本部に怒られるかしら」 「怒られるだろうな」  そう言ってから海一は肩をすくめ、言い直す。 「怒られるだろうな。俺は怒らないけれど」  海一の言葉に、綾香は満面の笑みで応えた。 「さあて、次はどこでどんなトラブルに出会わされるのかしら」  ここ一帯の夜桜を独り占めにして、気持ち良さそうに綾香は思い切り伸びをする。  その言葉の裏には「なんだって来い」という綾香流の気合いがあった。 「どこに行くにせよ、俺たちはSSのかけがえのないパートナーだ」  綾香の真横から少し見下ろすようにして、海一がうなずいた。  少し微笑んで見えたのは、夜桜が見せた錯覚かもしれない。  海一に誰が居ようと綾香にどんな過去があろうと、今の互いの横には確かに互いが立っている。  器用だけれど不器用な海一と、不器用だけれど真っすぐな綾香。 「当り前じゃない」  海一の背中を平手で打って走りだす綾香。  その顔には、喜びの笑顔が溢れていた。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!