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その後、尿意を覚えゲルの外に出た。眩しかった。月の光がこんなにまで明るいことを、僕たちは都会暮しの中で全く気付かずにいる。草原は天空から降り注ぐやわらかな月の光で満ちあふれていた。えも言われぬ不思議な光景を前に、我を失い立ち尽くした。そして僕は月の光のいざないを受け、それに応えようとしたのだ。しかし、潜在下の自我が激しくそれを拒んだ。その時僕が何を望み、何をしようとしていたのか。それは月と僕だけが知っていることだった。
モンゴルやチベットでは、今でも遺体を野ざらしにする風葬や鳥葬の習慣が残っているというが、もし爺がそのような葬られ方をしたとすれば、その魂は間違いなく、あの時の僕と同じように月の光にいざなわれ、天に昇っていったことだろう。僕は月明かりの草原に横たわる爺の屍をイメージしてみた。やわらかな月の光が不確かな輪郭で繭のように爺の身体を包みこんでいた。こんな素敵な最期は、そうそうあるものではない。僕は便せんをきれいに畳みなおし、封筒の中に入れた。
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