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「本日は本当におめでとうございます。以上をもちまして、これから様々な分野で活躍される皆さんへのお祝いの言葉とします」  二〇〇三年三月、京都。  大学の学章入りの紙袋を提げて、中里安人(なかさとやすひと)は会場を出た。中には学位記―――いわゆる「卒業証書」と、記念品の時計が入っている。式典に合わせて、黒のスーツにネクタイ、革靴という姿だ。  卒業式の日は、春らしい暖かな陽気となった。大人数を収容するためにホールを借りて行われた卒業式典が終わって、会場前では、同級生たちが思い思いにこの晴れの日を楽しんでいる。開始が十時だったので、まだ昼前だ。夕方からはレストランでゼミの謝恩会が開かれるが、それまではまだ随分と時間がある。  会場の近くには観光スポットの平安神宮や、美術館や図書館が立ち並ぶ。観光客や学生を始め、いつも多くの人が行き交う賑やかな一画だ。安人はそっとその場を離れ、特に行き先も決めずに歩き出した。  四神相応とも言われる、山に囲まれた京都の町。少し西へ歩けば鴨川の広い河原が広がり、川沿いに北へ向かえば下鴨神社の社叢林(しゃそうりん)がある。南へ下れば樹齢八百年とも言われる青蓮院(しょうれんいん)の大楠を眺めながら、浄土宗総本山、知恩院までの散策を楽しめる。中学から大学まで陸上部に所属した安人は、この町の風景を眺め、四季の移ろいを感じながら走り続けてきた。  父の転勤で、安人は中学二年の時に横浜からこの京都に引っ越してきた。高校三年生の四月まで、四年ほどをこの町で過ごし、また転勤があって一度離れた。そして一年後、大学入学と共に戻って、四年間を過ごした。  両親の離婚と父の再婚、そして転勤という「家庭の事情」が重なり、安人は小学二年生以来、同じ場所に四年以上住んだことがなかった。途中一年ほど離れたとはいえ、安人にとってこの京都の地は、他のどの場所よりも長い時間を過ごした、思い出深い町になった。
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