08. 服を選ぶ

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08. 服を選ぶ

 タルボが僕を抱えて現れたので、レイブン卿もけげんそうに問う。 「腰の調子が悪いのでは……?」 「治癒魔法で治しました」  タルボはさらっと嘘をつき、僕を長椅子に下ろす。 (この人、しれっとしてるなあ)  タルボは僕には親切だが、他の者には狸のような顔を見せるようだ。こにくたらしいが愛嬌があるので憎めない。ディルレクシアと気が合うだけはある。 「ディルレクシア様、お加減が悪いなら、どうぞお部屋にお戻りください。誉れ多き方、御身のほうが大事です」  いささか仰々しい言葉を口にして、レイブン卿は僕を気遣う。 「いえ、良ければ僕に服を選ばせてほしいのです。先ほどはありがとうございました。とても感謝しているので、お気に入りの服を駄目にしたのではないかと気がかりです」 「お心配り、痛み入りますが……、どうやらかなり体調が悪いご様子。熱がおありでは……」 「大丈夫です! 足以外は元気です!」 「ところで私なぞに、丁寧語をお使いなのはなぜですか。以前お会いした時は、もっと軽い調子でしたよね」 「病気であまりに苦しかった時に、いろいろと反省したのです。お気遣いなく!」  僕は強い調子で主張する。 (普通にしているだけなのに、体調不良を疑われるほど変だと思われてる……! ディルレクシア、どんな人なんだよ、君は!)  僕にとっては丁寧語が普通なので、軽く話すのは難しい。  レイブン卿は不審そうに僕の様子をうかがう。僕の後ろに控えるタルボが、くっくっと忍び笑いをこぼした。  そこへ、〈楽園〉お抱えの仕立て屋が到着した。  次々に使用人が服を運び込み、トルソーにかける。瞬く間に、応接室が試着室に変わった。 「ディルレクシア様、ご尊顔を拝謁できる光栄に感謝いたします。幸運があなたのもとにありますように」  仕立て屋のデザイナーであるエイプリルという男は、芝居がかった仕草でお辞儀をする。女性みたいな雰囲気を持ち、ひらひらのシャツを華麗に着こなしている。  僕が返事に困っていると、タルボが代わりに答える。 「よく来てくれたと、ディルレクシア様は仰せです。急ぎの呼び出しですまないが、伝えた通り、ディルレクシア様はレイブン卿に服をお選びになりたいそうだ」 「ディルレクシア様が私に選んでくださるのですか?」  レイブン卿が驚きをあらわにする。 「ええ。弁償ですから」  僕は大きく頷くと、真剣に服を吟味する。 「レイブン卿は黒がお好きなんですか?」 「え? 好きというより、我が家のカラーでして」 「レイブンだからですか?」  レイブン卿は肯定する頷きを返す。  レイブンとは、大ガラスのことだ。レイブン伯爵家は大ガラスを紋章に持っているようだ。カラスといえば黒なので、彼は黒をよく身に着けているのだろう。 「黒しか着てはいけない決まりなんでしょうか」 「いいえ。しかし、弁償ならば似たような上着でいいのでは? そちらの上着とか」  レイブン卿が示したのは、並ぶ服の中では、もっとも質が低い服だ。没落貴族というだけあって、レイブン卿の服はよく見ると古びている。質の良い服を、手直しして大事に着ているのだろう。  便乗して高価な服を選んだって何も言わないだろうに、同ランクの服を選ぶあたり、彼の誠実さがうかがえた。 (やっぱり良い人だ。ここでのシオンはどんな人なんだろう? できればもっと話したいな)  婚約者とまでは言わずとも、友人になれないだろうか。  前の世界では友人がいなかった僕は、そんな下心を抱いてしまう。 「タルボ」  僕はタルボを呼ぶと、ひそひそと問う。 「あの、ディルレクシアが使える予算ってどれくらいですか? 何着か選んではいけませんか」 「ここにある全部を買い占めても、被服費の予算としては、雀の涙みたいなものです。そうですね、あちらのディル様の普段着一着で、あれが五着分くらいの値段です」 「はあ!? どれだけですか!」  思わず声を上げそうになり、僕は必死に声を落とす。タルボは気にするなと返す。 「いいんですよ、古着で処分する時は……」 「お守りにして売るんでしたっけ」  僕のつぶやきに、タルボはにっこりした。 「オメガは広告塔でもございますから、誰それが着た服だと社交界で売り込むと、飛ぶように売れますよ」 「商売上手ですね、神殿」 「それを分かっているので、あちらのディル様は遠慮なく服を買っていました」  服を買い、広告塔になって、同じ服がたくさん売れる。  職人や仕立て屋は大儲け。神殿もマージンをもらって、儲ける。オメガは贅沢ができる。 (まさにウィンウィンの関係なんですね。すごい……)  僕とて、貴族の端くれだ。経済について、少しは学んでいる。予算を圧迫するならば良くないが、問題ないなら金を使って経済を回すほうが良い。  それなら遠慮なくレイブン卿で着せ替えをしようと、僕は目を輝かせる。 「レイブン卿、立ってください。誰か、そこの服をレイブン卿に当ててくれますか?」  レイブン卿は広いほうに移動し、僕が指示するままに、使用人は次々に服を当ててくれる。 「うーん、黒い服も似合うけど、そっちの青もいいなあ。そこの灰色も似合う。あ、赤と黄色は駄目、全然似合わない。銀髪碧眼だから、淡い色のほうが良さそう。それから銀細工も……」  僕の数少ない趣味が、服を見立てることだ。  王太子アルフレッドには専属服飾師がいたから、僕が見立てたことはないが、僕自身の衣装ならば自分で選んでいた。服は毎日着るものだし、貴族ならば一日に何回も着替えることがある。服を選んだりアクセサリーを合わせたりするのが好きだから、王宮での生活もなんとかなっていた。 「レイブン卿、それ全部、試着してくださいね」  僕が選んだ服の山を見て、レイブン卿はあ然となる。 「これ、全部ですか?」 「全部です」 「かしこまりました。あなた様の仰せのままに」  ちょっと遠い目をして、レイブン卿は服を手に取る。エイプリルの指示で衝立が用意され、簡易試着室ができた。  服を合わせると、帽子や靴、アクセサリーもそろえたくなり、僕は次々に追加していく。  お針子にサイズを合わせるように指示するのも忘れない。  僕が満足した頃には、とっぷりと日が落ちていた。 「わ~、楽しかった。それではそれ全部、お願いしますね。完成したら、レイブン卿の屋敷に届けてください」 「かしこまりました」  一仕事を終えたエイプリルと使用人達はお辞儀をすると、意気揚々と片付けて撤収する。  頭から足までのひとそろえを十式も買ったのだ。彼らにしてみれば大儲けなので、内心、うはうはだろう。  着せ替え人形になっていたレイブン卿の顔には、さすがに疲れが浮かんでいた。 「あの……弁償だったのでは」 「あなたが悪いんですよ。容姿が良いから、なんでもよく似合うので。つい、熱を入れて選んでしまいました! 良かったら今度、見せてくださいね」 「え……。またお会いしてくださるのですか?」  レイブン卿の問いに、僕は無意識に次の約束を口にしたことに気づいた。 「あなたがお嫌でなければ」 「そんな! 嫌だなんてとんでもない。光栄です、ディルレクシア様」  レイブン卿はふっと微笑んだ。氷のような見た目だが、穏やかに笑うと優しく見える。 「僕のこと、ディルと呼んでくれませんか」 「でしたら、私のことはシオンと。以前は名前を呼び捨てになさっておいででしたから、レイブン卿とおっしゃられると、なんだか溝を感じます」  それって、初対面なのに馴れ馴れしい態度をとっていたって意味ではないだろうか。  ディルレクシアならばやりかねない。  僕は苦笑を浮かべる。 「ええと……そのことは忘れていただけると……。よろしくお願いします、シオン。また遊びに来てくださいね」 「弁償だけでも光栄ですのに、多大なるご厚情に感謝申し上げます、ディル様」  レイブン卿――改めシオンは優雅にお辞儀をし、タルボにもあいさつをしてから、応接室を辞した。  扉が閉まると、タルボが大きく息を吐く。 「はあああ、疲れました。まさかディル様も服選びがお好きとは! ご自分のことは適当ですのに」 「外出できなかったから、そりゃあ適当ですよ。それに、僕は手持ちの服を工夫するのが好きなので、ディルレクシアみたいに散財したいわけではありません。それにしても、誰かのために服を選ぶのがこんなに楽しいとは思いませんでした」 「レイブン卿が、ディル様にとって特別な方だからでは?」 「そうですね。友人になってくれたらいいなと思っていますよ」  僕が照れまじりに打ち明けると、タルボは肩をすくめる。 「友人ですか。それはレイブン卿もお気の毒に……」 「え?」 「いえ、なんでもございません。さあ、もう夕食の時間です。薔薇棟に戻りましょう」  タルボに抱きかかえられ、僕は薔薇棟の自室に戻った。
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