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09. ディルレクシアという人 <side:シオン・エル・レイブン>
初めての謁見で、シオンのディルレクシアの印象は最悪だった。
かの人は丁寧にお辞儀をするシオンに、窓辺からけだるげな一瞥を寄越して言った。
「へえ、あんた、シオン・エル・レイブンっていうの。じゃあ、シオンでいいね」
何が「じゃあ」なのか意味不明だが、初対面で名前を呼び捨てにして、指先だけで手招いた。
まるで飼い犬に指示するかのようで、シオンは顔には出さず、屈辱で腹の底が熱くなった。
それでも、シオンにはなしとげなければならない目的がある。
祖父の代から始まった没落の波を、自分の代で挽回し、家門の人々を救うことだ。
自分の欲のためなら我慢できなかったことも、周りのためだからと耐え忍んできた。
そう、シオンが物心ついた時、祖父が処刑されたあの日から。
あれから状況は一変した。不幸の雲はいまだに晴れない。
「隠したつもりだろうけど、怒ってるでしょ。見た目は氷みたいなのに、青い目が炎のように燃えてるよ。熱い火って、赤じゃなくて青なんだよね。実は激情家とか?」
ディルレクシアの言葉で、彼がこちらの反応をうかがって、じっくりと観察していることをさとった。
〈楽園〉で蝶よ花よと育てられたわがままなオメガだと聞いていたが、実際はくえない人物のようだ。
(ああ、苦手なタイプだ……)
しかし、シオンは彼を手に入れねばならない。
王家への借金返済にあえぎながらも、なんとか貢納金を用意して、やっと対面の機会を手に入れた。
神殿にとって、オメガの相手の身分など関係ないが、第一ステップとして貢納金を要求する。それを払ってでも会いたいかどうか、金で相手の本気度を探るのだ。
オメガがたまたま外に遊びに出かけて、気に入った平民を婿にするなんていうシンデレラ・ストーリーもあるが、ほとんどは見合いだ。
「まあ、見てくれは合格だね。僕は美しいものが好きだから、ブ男なんかごめんだ」
ディルレクシアはシオンにかがむように言い、シオンの顎をくいっと引いた。やわらかい唇が、シオンのそれと重なる。間近で見る彼のこはく色の目は、はちみつのように甘いのに、怪しげで冷ややかだった。
ディルレクシアは傲岸不遜に言い放つ。
「いいだろう。候補にしておいてあげる」
そして、扉を指さした。
帰れという意味らしい。
シオンは半ば呆然としながら、ディルレクシアの部屋を出た。
〈楽園〉に住む傲慢な王。誰にも支配させず、気まぐれに人を寄せつけ、追い払う。猛獣のような美しい青年だった。
圧倒的なカリスマを前に、シオンの胸はざわめいた。
騎士の血筋がそうさせるのか、ディルレクシアの前にひざまずきそうになった。
ディルレクシアはわがままで、神経質だ。人の好き嫌いが激しく、一瞥で「帰れ」と言われる候補者も多い。
シオンは幸運にもお眼鏡にかなったようだが、あんな人を嫁にできるのかと不思議でならない。
「おや、気に入られたのですか。お気の毒な方ですね。本気にしませんように。あの方にとっては、ほとんど暇つぶしです」
廊下であ然とたたずむシオンに、一の傍仕えタルボが不憫そうに釘をさす。
それ以来、たびたび拝謁に来たシオンだが、ディルレクシアはまるでペットを気まぐれに愛でるような態度で、シオンを扱った。
当然、次第にシオンにはフラストレーションがたまっていく。
(私は貴族だし、人間だ。それなのに、あの人の前にいると、まるで尊厳がなくなる)
ディルレクシアにとって、周りの人間は蟻と変わらないのだ。
オメガは絶対的に優位にいる。対等でないのは分かっていたが、没落しかかっていても貴族の端くれであるシオンにとって、人間扱いされていないことは衝撃的で、自分を卑屈にさせた。
ディルレクシアの前にいると、シオンはどうでもいい存在になってしまう。
目的を叶えたいのに、ディルレクシアの前に立つのは気が重くてしかたがない。
婚約候補を申し出る権利は、一人につき、オメガ一人まで。それでも婚約を辞退するかと本気で悩み始めた頃、ディルレクシアが重い病にかかって寝込んだ。
ご機嫌うかがいに来て、数日。ようやく治ったと聞いたので、見舞いを持って訪ねる。
ディルレクシアは気に入らなければ突っ返すから、無難に花束を選んだ。彼は宝飾品や衣服以外では、薔薇の花を好んでいる。
中央棟の受付で、病み上がりだからと面会は断られたので、見舞い品と手紙だけ預けてから、シオンは中央棟を散策することにした。
いつディルレクシアにふられるか分からないが、候補者である間は、〈楽園〉の中央棟エリアは自由に出入りできる。それ以外のオメガの住まう棟は関係者以外立ち入り禁止で、勝手に入ろうとすると、身分にかかわらず処罰されるのだ。
(さすがは〈楽園〉。裏庭も掃除が行き届いているな)
のんびりと散策しながら、図書室のテラス側に向けて、植え込みを曲がろうとした時、誰かがすごい勢いで飛び出してきた。
相手がこちらをよけようとして転げそうになったので、とっさに支えたところ、それがディルレクシアであったので、シオンは顔には出さずに驚愕した。
薔薇棟からほとんど出ない青年が、何かにひどくおびえており、そのことにもさらにぎょっとする。
あのふてぶてしい青年に、怖いものがあるなんて……という方向で。
重い病にかかっていただけあって、ディルレクシアは少しやせ、弱ってはかなげに見えた。今度は自分の目を疑う。
(はかなげ!? 殺しても死ななさそうな猛獣が、何に見えるというんだ?)
しかも第三王子アルフレッドを怖がって、助けてくれとシオンに抱き着いてくる。
(なんだこれは、本当にディルレクシア様か? ディルレクシア様にそっくりな他人では?)
シオンの内心は大混乱だったが、騎士としてどんな時でも冷静に対処することをきたえているため、はた目には落ち着いて見えていただろう。
しかもディルレクシアは服を駄目にした弁償をすると言い出して、シオンを着せ替え人形扱いして、頭から足までのコーデ十式を選んだ。調整が済んだら、屋敷に送るという。
シオンは礼を言って辞したが、戦々恐々としていた。
まさか後で代金を請求するのではないか。
財力の差を見せつけて、シオンをおとしめて笑っているのではないか。
後日、仕立て屋が服を運んできて、本当に代金がいらないと分かると、ようやく安堵したのだった。
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