10. お見舞いの花とこちらの世界のアカシア

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10. お見舞いの花とこちらの世界のアカシア

 夕食を食べて落ち着くと、そういえばシオンがお見舞いの品を持ってきたと言っていたのを思い出した。  僕がタルボに訊くと、すぐに持ってきてくれた。 「こちらですよ」 「小ぶりな薔薇の花ですね。ピンク色で綺麗です」 「ディルレクシア様も薔薇が好きなんですよ。大輪の華やかなものを特に好まれていましたが、ディル様はどうですか?」 「僕はこういった小ぶりな薔薇のほうが好きですね」 「好みは合っていても、微妙に違うのですね。平行世界の人間とは、興味深い。あなたの世界の私は、どんな人物なんでしょうね」  タルボが呟いて、考え事に沈む。 「そういえば、僕の世界のシオンは、裕福な伯爵家の次男でしたね。だから陛下の近衛騎士として勤めていました」 「王太子が第三王子でしたっけ? 家柄は同じでも、立場が異なるのですね」 「ディルレクシアは伯爵家でしょう? 僕は侯爵家でした」 「元の世界のほうが、裕福で恵まれているんですかね?」 「どうでしょう。オメガは最底辺でしたよ」 「それは混乱しますね!」  話をしながら、僕は花瓶に薔薇を生ける。テーブルに飾ってもらうことにした。 「弁償する服を送る時に、お礼状を添えていただけませんか」 「え? ええ、構いませんけど」  急にタルボがそわそわし始めたので、僕は首を傾げる。 「あなたが書かれるのですか?」 「ええ」 「代筆が必要なら……」 「自分で書きますよ」  いったいこの反応はどういうことだ。  不思議に思いながら、タルボが用意してくれたレターセットに、僕は筆を走らせる。タルボがわなわなと震え、感動の声を上げた。 「なんと美しい字でしょうか! ディル様は字が綺麗なんですね」 「ということは、ディルレクシアは……?」 「悪筆でして、代理の者が書いていました。でないと私ぐらいしか読めません。それをコンプレックスにされておいでなのに、字の練習は嫌がっていましたよ」  そういえばディルレクシアは勉強嫌いだと聞いている。字の練習だって嫌いだろう。 「読書も嫌いでした?」 「ええ。絵はお好きでしたけど、読書は……。でも、楽譜だけはすんなり読めるようになったので、音楽の才能は素晴らしかったですよ」 「わがままで、ナルシスト。芸術家のように気難しくて神経質ですか。なるほど」  だんだんどんな人物像なのか見えてきた。  ハーブティーを飲んでいると、訪問の知らせがあった。 「百合(ゆり)(きみ)がお会いになりたいそうです」  タルボの報告に、僕は首を傾げる。 「誰?」 「百合棟にお住まいのオメガですよ。アカシア・ソファ・リジアン様とおっしゃって、ディルレクシア様より二歳年下です。ディルレクシア様を兄と慕っておいでですが、ディルレクシア様はとろいから嫌いだと、いじめていました」  そう教えてくれたが、僕はアカシアの名に固まった。 「……アカシア?」  王太子を奪ったオメガの少年を思い出す。  しかしこちらでも同名とは限らない。 「お知り合いですか?」 「いや、はっきりしない。会ってみます」  僕が許可すると、タルボはアカシアを案内した。  扉が開くと、金色の花のような少年が現れた。小柄で、可愛らしい顔立ちをしている。金目をうるませて、小首を傾げる。 「ディルレクシアお兄様、ご機嫌うるわしゅうございますか。重い病で寝込んでいたと聞きました。見舞いが遅くなって申し訳ございません」  アカシアという少年は、まさに前世の彼そのものだった。 (駄目だ、無理!)  見た瞬間、強烈な拒否感が体を駆け抜ける。  十人中十人が可愛いと褒めそやすだろう顔立ちと雰囲気だが、僕は前の世界での悪印象が強すぎて、ぶりっこ演技をしているように見えた。 「実は私も風邪で寝込んでいまして、やっと部屋を出られるようになったんです。どうやら風邪がはやっていたようですね。――わぷっ」  僕が返事をするか迷っているうちに、アカシアは見舞いが遅れた言い訳をする。こちらに踏み出そうとして、ローブの長い裾を踏みつけた。ベチャンとすごい音を立てて転ぶので、さすがの僕もあっけにとられる。 「……大丈夫?」 「うう、痛い。はい、ありがとうございます」 「タルボ、助けてあげて」 「畏まりました」  痛そうだなとは思うが、やっぱり近づきたくない。僕の指示に、タルボはすぐに従った。 「僕はもう平気ですから、見舞いなんて結構ですよ。病み上がりでしょう。お帰りください」 「……すみません、今日はご機嫌ななめなのですね。またお伺いいたします」  アカシアはしゅんと首をすくめ、落ち込んだ様子で退室した。  アカシアを従者のもとまで送ってから、タルボが戻ってくる。 「アカシア様への冷たい対応、敬語でなければ、ディルレクシア様とそっくりですよ。どうしたんですか」 「彼が王太子を奪った少年だったので」 「うぐっ。そ、そうなのですか。あの方が……」  タルボはまずいものを飲み込んだ顔をして、不憫そうに扉のほうを見やる。 「こちらのアカシアはどんな人ですか?」 「少々ドジをなさいますが、素直なので人気がある方ですよ」 「あれはわざとではない?」 「ディル様、顔が怖いですよ。わざとしょっちゅう転んだり、腕や足をぶつけたり、怪我をすることはないでしょう。だから裾の長い服を着るなと、ディルレクシア様はお叱りになりますが、あの方は足が大変美しいため、隠さないと下心をもつ輩が続出するのです」  変態ほいほいということだろうか。僕はほんの少しだけ、アカシアに同情する。 「あの人達と親しくするのは無理ですよ。ここに彼がいるなら、結婚して〈楽園〉を出て行ったほうが平和そうですね」  いまだに元の世界に戻る気配がない。一ヶ月様子を見て、それでも戻れなければ、ここにディルレクシアとして根を下ろす覚悟を決めたほうがいいかもしれない。  結婚すれば、相手の家で暮らすことになる。そうすれば、アルフレッドとアカシアには二度と会わないはずだ。  ディルレクシアには悪いが、ディルの好みで決めさせてもらおう。 「悲惨な目にあわれたのに、結婚が恐ろしくはないのですか?」  タルボが慎重に問う。  結婚が恐ろしい? いいや、そんなことはない。結婚は単なる手段だ。 「以前の婚約者のもとに嫁げと言われたら、僕は死を選びます。ですが、あの人が悪いからといって、他の人も悪いわけではない。きっとシオンが最後まで傍にいてくれたから、そう思えるんだと思います」 「違う世界のレイブン卿に、感謝申し上げなくては」  タルボは神に祈りを捧げると、僕に微笑みかける。 「ディルレクシア様がひとまず認めた婚約者候補はあと一人いらっしゃいますよ。そちらにもお会いになってみてください。珍しいことに、オメガにまったく興味のない方です」 「そんな婚約者候補がいるのですか」 「ええ。他の婚約者候補の暴走をおさえるため、バランサーとして神殿が選んだ方です」  後ろ盾が神殿というのは、ある意味最強のカードではないだろうか。 「ちょっと興味がありますね。一月経っても元に戻らなかったら、僕はここで再出発するつもりです。夫に愛されて、子どもを産んで、温かい家庭を作りたい。できると思いますか?」 「そのために、我々神官がいるのです。応援しますので、がんばってください」  僕が前向きになったのがうれしいと、タルボは笑みを深めてお辞儀をした。
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