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11. 三人目の男
中央棟は神殿の許可がある者なら誰でも出入りできるため、アルフレッドに会いたくなければ薔薇棟から出ないほうがいいそうだ。
僕はタルボに挿絵が美しい詩集があれば持ってきてほしいと頼み、薔薇の咲き乱れる庭を一人で散策する。薔薇棟には僕の許可がない者は入れないので、一人で出歩いても安全なんだという。
(こんなふうに一人で自由に過ごすなんて、初めてかもしれない)
前の世界では、オメガというだけで見下され、フェロモンが男を誘惑する害悪みたいに思われていて、供もつけずに出歩くのは悪いことだとされている。
僕の場合は、実家にとって、姫の代わりとなる政略結婚の道具だったから、ふらふらと出歩いた先で、誰かに手を付けられてはいけないと、特に厳重に行動制限されていた。
いずれ王太子の妃にさせて、王妃となれれば、侯爵家が強い権力を持つことができる。
僕が間違いを起こさないよう、僕には常に監視の侍女や侍従がいた。一人になれるのは、カーテンを下ろした天蓋付きのベッドとトイレの中だけだ。
息が詰まりそうな日常でも、幼い頃から普通だったから耐えられたのだと思う。
(もしディルレクシアが僕と入れ替わっていたとしたら、かわいそうだな)
そもそも、あの高さを頭から落ちて、生きていると思えない。
どうせならディルレクシアにとって幸せでおだやかに暮らせる、違う世界に飛ばされているといいのだが。
考えたところで、僕にはどうしようもない。
「あれ? そういえば、この世界には神様がいるんだよね」
いったいどうすれば質問できるのか、僕にはさっぱり分からない。
「タルボは神様からの一方的な預言があるだけって言ってたから、こちらからは訊けないんだろうけど」
せめてディルレクシアの無事を確認したい。
僕は神様にお祈りしてみた。
「なーんて、なんにも聞こえないか」
自分の行動がおかしくて、ちょっと笑ってしまう。
「預言書の閲覧予約、数日後だっけ」
オメガが最上位として扱う神殿だが、預言書だけは違うそうだ。預言書の閲覧は公平にするべきとされていて、どんな身分だろうと、先着順だ。
「何か分かるといいなあ」
僕は自由にしていいのだろうか。
ディルレクシアに戻るなら、勝手に結婚するわけにもいかないだろうし……。
考えても答えは見つからないので、どうしようもない。沈みそうな気持ちを、顔を振って追い散らし、僕は庭を進む。
白と黄の薔薇は、中央に行くにつれ大輪になっていく。
「マーブル模様だ。綺麗……」
見たことのない品種の薔薇に目を奪われ、思わず手を伸ばす。
「いたっ」
とげが指に刺さり、ぷくりと血が出た。
「あーあ……」
指に怪我など残したら、ナルシストだというディルレクシアなら大騒ぎしそうだ。
(ごめん、ディルレクシア。でもほら、すぐに治るって)
心の内で言い訳していると、タルボが遠くから手を振った。夜のような紫紺色の髪を持った、眼鏡の青年と共にいる。
タルボは青年に何か話しかけてから、慌てた様子で歩み寄ってきた。
「申し訳ありません、ディル様。そういえばディルレクシア様が、今日、あちらの方と面会の約束をしていたのをうっかり忘れておりまして」
ぺこぺこと謝るタルボに、僕はひそりと問う。
「どなたですか?」
「三人目の婚約者候補です。ネルヴィス・ロア・フェルナンド様ですよ。シーデスブリーク王国の王宮に勤める文官ですね。現在の宰相があの方のお父上で、ネルヴィス様も優秀な方なので、次代の宰相間違いなしといわれています」
「そうなんですか。婚約者の座に興味がないという方ですよね」
「その通りです。しかし、ディルレクシア様は、面白がって……そのー」
タルボの声がごにょごにょとして消えていく。ものすごく言いづらそうだ。
いつもあっけらかんとしているタルボの、この態度! 僕は嫌な予感がした。
「なんです?」
どうせなら一思いにとどめを刺せとばかりに、僕は勢いこんで問う。
「過激な真似をしていたんですよね」
タルボは目をそらす。
「まさかお怪我をさせていたんですか?」
わがままというより、暴君じゃないかと僕は青ざめる。タルボは首を振った。
「そうではなくて、寝所に引き込んでました」
意を決し、タルボはきっぱりと告げた。
僕の頭を、言葉が素通りする。
(寝所に引き込む。過激な真似。えっ、それってつまり、肉体関係あり!?)
驚きのあまり、僕は叫んだ。
「はあああああ!?」
なんとか気を取り直したが、僕は冷や汗をぬぐうのに忙しい。
「ディルレクシアは全員と肉体関係を?」
「いえ、彼だけです。自分に興味がないなら良いだろうと、下僕扱いしてもてあそんでましたね」
「どういうことですか?」
下僕扱いってどういう意味だろうか。
下僕といえば、邸内の雑用や力仕事、よそへの伝言などを任せる使用人だ。こんな所に引きこもるオメガが、仕事の雑用をさせると思えないし、メッセンジャーに使う必要もない。
僕が意味を分かっていないのを察して、タルボが目を泳がせる。
「足が汚れたから洗えとか、汗が出たからふけとか、自分に触らせて反応を楽しんでましたね。まあ、あの方は本気で興味がないのか、いつも淡々と過ごしておいででしたよ」
「興味がないからって、無反応でできるんですか、逆にすごいですね」
いま一つ要領がつかめないが、世話されるのが当たり前の貴族にとって、下僕がするような使用人仕事は屈辱だろうことは理解した。
「タルボ、ディルレクシアは相当恨まれていると見ていいですか?」
「……さしもの私も、あの方の機微は分かりません」
余計に怖くなった。
(ディルレクシアーっ、君、なんてことをしてくれたんだよ。僕にどうしろとーっ)
僕は王太子アルフレッドとしか関係がなかったから、恋愛で遊ぶということがどんなことだか分からない。
「ちなみに、前の世界ではお知り合いでしたか?」
「いいえ、まったく面識がありません」
「それは良かった」
僕のトラウマに触れないと分かり、タルボはほうと息をつく。そして話題を切り替える。
「病気をしてからしおらしくなった、で誤魔化しますので」
「それってそんなに万能な呪文なんですか?」
「……ディルレクシア様ですから」
「どれだけだよ、ディルレクシア」
とりあえず僕とタルボは小声で打ち合わせをして、僕はなんとか態度を取り繕った。
ようやく許可が下りたので、ネルヴィスがこちらにつかつかと歩み寄る。入れ替わりに、タルボは少し離れた所に下がった。
シオンほどではないが、ネルヴィスも背が高い。すらりとした体躯をしており、温度の低い灰色の目でこちらを見下ろした。
「ディルレクシア様、拝謁かないまして光栄にございます。長らく伏せっておいででしたが、ご機嫌いかがですか」
「いいですよ。ええ。今日は天気が良いので、散策していたのです」
「……私に敬語を? ふむ。噂は本当だったらしい。病をしてから、性格が変わったと大騒ぎですよ」
「ははは」
僕は笑顔が引きつらないようにするのに必死だった。
ネルヴィスの「何を企んでいるのか」という裏の声が聞こえた気がする。
そうしながら、先ほどの怪我がじくじくと痛むのを誤魔化そうと、右手を左手で押さえる。ネルヴィスの鋭い目が、そちらをとらえた。
「どうしました」
「はい?」
「右手ですよ。失礼」
僕が返事をする前に、ネルヴィスはいささか強引に僕の右手をつかんだ。
「血が出ているではないですか」
「薔薇のトゲでちょっと。大丈夫ですよ」
「そうですか」
これで離してくれるだろうと、僕は勝手に安心した。
だが、ネルヴィスは思案げに指を見て、突然、パクリと僕の指先を口にくわえた。
「~~~~!?」
僕は無言のまま、驚愕に目を丸くする。
指をくわえている? なぜ?
こんな真似、王太子アルフレッドとの情事で、アルフレッドに指をなめさせられた時くらいだ。僕がされたことはない。
意味が分からなすぎて硬直する僕を気にせず、ネルヴィスはペロリとなめて、そのままあっさりと手を離す。
「消毒です」
「しょ、しょうどく……」
「今日のあなたはおかしいですね。いつもなら、なめろと命令するでしょうに」
淡々と言い、ネルヴィスは命令されている下の立場だと話しながらも、こちらを見下した目をした。
呆然としていた僕は、冷水をかけられたような気分になった。
(や、やばいよ、ディルレクシアーっ。めちゃくちゃ恨まれてるぞっ)
血の気が引いたのは一瞬で、今度はじょじょに血が昇っていく。指をなめられたのはもちろんだが、見下した目をするネルヴィスがかもしだす色気に当てられた。
「し」
「し?」
「失礼しますっ!」
僕は綺麗に百八十度の反転をして、ダッとその場から逃げ出した。
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