13. 預言書の閲覧日

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13. 預言書の閲覧日

 指の怪我は、タルボが治癒魔法で治してくれた。 「薔薇が欲しいのでしたら、お申しつけくだされば摘んでまいりますよ?」 「では、一輪だけ。中央辺りの白と黄色のマーブル模様が気に入りました」 「庭師が喜びますよ。珍しい品種ですのに、ディルレクシア様は『ゴミが混ざってて汚い』とぼやいてましたからね」 「え? 黄色と白の薔薇はディルレクシアの趣味ではないんですか?」  意外な言葉だった。僕の問いに、タルボは苦笑する。 「ディルレクシア様は赤と白の薔薇をお好みですよ。黄色は、便利だからと」 「便利……? 黄色い薔薇は、別れの意味がありましたよね。まさか」 「ええ、その予想通りです。婚約者候補は、今は三人だけですが、常に書類が送られてきます。一目見て断るか、後日黄色い薔薇を贈ることで断りの手紙を書くのを避けていました」  ディルレクシアは悪筆だそうだから、そうやって手間を省いたのだろうか。 「赤い薔薇が庭にないのはなぜですか?」 「自分ほどの人物ならば、贈られるべきだと仰せで」 「すごい……ナルシスト……」 「ええ、そうですよ」  ディルレクシアは、なんて傲慢なんだろう。自分を賛美する声が当然だと思っているのだ。  婚約者候補三人の苦労を思いやり、僕は自然とため息をこぼす。 「ところでディル様、ネルヴィス様はいかがでした?」 「どういう意味です?」  昼間の指パクリ事件を思い出して、僕の心臓はドキリと跳ねる。ネルヴィスはポーカーフェイスなのに、眼差しに色気があった。至近距離であんな目をされたら、魅了されてしまいそうだ。 「真っ赤になって、お逃げになっていたので。ぷ……くくっ」 「笑わないでくださいよ。無様だったのは認めますけど!」 「狼から逃げるうさぎのようで、可愛らしかったですよ。それにネルヴィス様のあっけにとられた顔が最高でした」 「僕は最低な気分です。ディルレクシアの態度がどれだけひどいか、あの方を見ていれば分かりましたから」  頭を抱えて、僕はうめく。 (ディルレクシア、すごすぎるよ。なんであんな男の人とベッドを共にして、どうでもいい扱いができるんだ)  前の世界では、使用人のガードが厚いのもあり、王太子以外の男とまったく関わりがなかった。恋愛への免疫がないので、僕には困った事態だ。 「僕にはとてもディルレクシアの真似はできませんよ!」 「わざわざ真似しなくて構いませんが、もう少しわがままを言ってくださらないと、私も仕事のしがいがありませんね」 「タルボ、そんなふうに甘やかすから、ディルレクシアが駄目人間になるのでは?」 「悪いことならば注意もしますよ。ですが、私は難しい頼みほど燃えるので」  あのディルレクシアに、この傍仕えありという返事だ。  なかなか手ごわい傍仕えだと考える僕に、タルボは思い出して言う。 「何か食べたいものは……ああ、そうでした。ネルヴィス様がお見舞いの品をお持ちくださったんですよ。最高級の(かも)と卵です。滋養に良いから、と」 「鴨と卵ですか? 僕の大好物です。鴨肉のローストと、スクランブルエッグにしてくれませんか」  僕は目を輝かせ、コクリと喉を鳴らす。鳥肉の中でも、鴨が特に好きだ。それから卵料理も好みである。ゆで卵やオムレツについて考えていると、急にお腹が空いてきた。  タルボはにこりと笑う。 「夕餉に出すように、料理長に伝えますね。他に食べたいものや飲みたいものがあれば、なんでもおっしゃってください」 「ありがとうございます。今のところは、満足しているので結構ですよ。そうだ、ネルヴィス様にもお礼状を書かねばなりませんね」  タルボは少し迷った様子で目を泳がせ、結局問う。 「ちなみに王子殿下からもお見舞いの品が……」 「知りたくないので、そちらで処理してください」  この世界では関わり合いになりたくない。僕がすっぱりと切り捨てた返事をすると、タルボはお辞儀をする。 「失礼しました。こちらで適当に返事をしておきますね」  タルボが部屋を出て行くと、僕は窓辺に近づいた。夕日がまばゆい光を残し、空は青い闇に包まれている。  そんな中、白と黄の薔薇がぼうっと浮かび上がって見えた。  何度目が覚めても、まるで現実味がなくて夢のようだ。 「僕はどうしたらいいのかな、ディルレクシア」  預言書の閲覧日が待ち遠しい。  それから謁見予定も入れずにのんびり過ごすと、預言書閲覧日になった。  預言書は持ち出し不可なので、中央棟に行かなければいけない。  この数日の間に、仕立て屋から買った既製服から白いものを選び、タルボとともに薔薇棟を出る。  以前は気づかなかったが、オメガの居所ごとに壁で区切られており、中央棟は特に分厚い門があった。それぞれを神官兵が六人、交代で守っているそうだ。  僕が会釈をすると、またもや神官兵にぎょっとされた。  そろそろ僕もこの反応には慣れてきた。 「ディルレクシア様、ご機嫌うるわしゅうございます」  中央棟に踏み込んだところで声をかけられ、僕はゾワッとして立ち止まる。第三王子アルフレッドが待ち構えていた。タルボがすかさず間に入った。 「タルボ、あちらに僕の予定が筒抜けなんですか?」 「まさか! ディルレクシア様にお会いしようと、中央棟に居座っておいでなんでしょう」  僕達は互いにひそひそと話し合う。 「そういうことですか……」  アルフレッドが薔薇棟から最も近い通路付近にいた理由として、納得がいくものだ。  アルフレッドはずいっと身を乗り出す。 「以前は三日とおかずにお呼びくださったのに、いったいどうして心変わりなさったんですか。私はこんなにあなたにお会いしたくて、気が狂いそうだというのに」  悲しげな顔をして、アルフレッドは訴える。 (ディルレクシアは彼を気に入ってたのか。そりゃあ、困惑するよね)  だが、僕はアルフレッドを見ると、心臓がぎゅっとつかまれた気持ちになる。彼からただようフェロモンのにおいで、吐きそうだ。 「タルボ、行こう」  僕はアルフレッドに返事する気もなく、横を通り抜けようとする。その行動は、アルフレッドをカチンとさせたようだった。 「伯爵家風情が、王子である私を無視するな!」 「!」  アルフレッドに左腕をつかまれ、僕は驚いて身をこわばらせる。 「殿下! ディルレクシア様に何をなさるんですか、無礼ですよ!」 「無礼なのはそちらだろう。こんなに期待させておいて、ここに来て拒絶するとはっ」  僕の態度が腹にすえかねていたようで、アルフレッドは顔を赤くして怒っている。 「ディルレクシア様、私の何がいけないんです? 二人で話し合いましょう」  強引にどこかに連れていかれそうになり、僕は必死に足を踏ん張る。 「やめてっ、離して!」  気持ち悪い。怖い。  この世界のアルフレッドも、思い通りにならなければ暴力に訴えるのだろうか。 「いい加減にしなさい!」  タルボも怒りをあらわにし、アルフレッドを止めようと腕に触る。 「私に触るな!」  アルフレッドはタルボを殴った。 「タルボ! なんて真似を! 誰か来て、神官兵……むぐっ」 「静かにしろ。少し話し合いたいだけだ」  騒ごうとする僕を、アルフレッドは力づくで押さえつける。床に倒れているタルボの姿に、僕の目には涙が浮かぶ。 (タルボは悪くないのに! 悪いのは、ディルレクシアと入れ替わった僕だ)  元のままなら、アルフレッドがこんなふうになることもなかったかもしれない。  暗い気持ちが胸をふさぎ、あの日以来、久しぶりに死について考えた時、急に左腕が自由になった。 「殿下、このようなか弱い方に、手を上げてはなりません!」  前にも同じ言葉を聞いた。  前の世界の夢を見ているのだろうか。  王太子に婚約破棄された日と同じように、シオンがアルフレッドをたしなめている。あの日と違うのは、シオンがアルフレッドの右腕をつかみ、後ろ手にひねりあげているところだった。 「貴様っ、離せ!」 「王家がペナルティーを科されるのですよ、分かっているのですか」 「うるさい!」  暴れるアルフレッドを、シオンは難なく押さえ込む。体格は同じくらいなのに、どうやら戦いでの力量はシオンが上回るようだ。  そこへ神官兵が駆け付ける。切れた口端をぬぐって、どう猛な目をしているタルボが、彼らとともにアルフレッドの制圧に加わった。 「オメガの傍仕えに危害を加えることの意味を、ご存じないようですね! お前達、アルフレッド王子を地下牢へ連れていきなさい!」 「なんだと、私を地下牢へ?」 「沙汰は追ってくだします。王家への言い訳について、じっくり考えることですね」  タルボは冷たく言った。神官兵に押さえられ、アルフレッドはどこかへ連れていかれる。 「くそっ。ディルレクシア様! あなたを愛する気持ちが暴走したんです。どうかご慈悲を!」  僕は彼らを呆然と見送るばかりだ。  本当に、王家の権威など、神殿の前では意味がないのか。 「大丈夫ですか、ディルレクシア様」  いつの間にか、僕は床にへたりこんでいた。黒衣のシオンが片膝を着き、まるで騎士が姫にするみたいに、右手を差し出す。銀髪碧眼の冷たそうな外見なのに、心配そうな目は温かかった。 「……え、ええ。助けてくださって、ありがとう……」  僕の手は震えていたが、なんとかシオンの手を借りて立ち上がる。 「レイブン卿、助かりました。ああ、私のディルレクシア様、お怪我はありませんか?」 「怪我をしたのはタルボでしょう?」 「私もですが、あなたもほら、左腕に痕がついておりますよ。いったいどれだけの力でつかんだのやら! おかわいそうなディルレクシア様!」  タルボの嘆きようは大げさに聞こえる。それでも保護者としてものすごく心配しているのは分かり、僕は思わず笑ってしまった。 「大丈夫だよ、ありがとう」 「いえいえ、全然だめです。じっとしていてください」  タルボは真剣な顔になり、僕の腕に右手をかざす。温かな白い光が、僕の腕をゆるやかになでた。すると、腕の怪我が消えていた。 「ありがとう。タルボのほうはどうしよう? 僕が手当てをしましょうか」  ハンカチを差し出すと、タルボは楽しげに笑う。 「自分で治癒しますから大丈夫ですよ」 「そうだった」  このやりとりを、傍でじっと見ていたシオンは、恐る恐る問う。 「失礼ですが、お二人は実は恋人同士では?」 「え?」 「ありません。ないない」  驚く僕と、鼻で笑うタルボ。 「しかし、今、『私のディルレクシア様』と」 「そうですよ。私のお仕えしている方なので。できれば兄だと思っていていただきたいところなんですが」  期待を込めて、タルボが横目にちらと見る。僕は頷いた。 「ええ。タルボは兄のような存在で、保護者ですね」 「そうですか、安心いたしました」  シオンはつぶやいて、どこかバツが悪そうに目をそらす。 「シオンはどうしてここに?」  アルフレッドは待ち伏せしていたようだが、シオンが居合わせた理由が分からない。シオンはぴしっと背筋を正した。 「ディルレクシア様は後日の再会をお話しくださいましたが、お呼びがないので……。服のお礼だけでも伝えたいと、面会申請をしたところです。私はその、せっかくの機会なので中央棟の散策をしていて……騒ぎが聞こえてたまたま」  そういえば、服の調整が済む頃だ。  僕は改めてシオンを眺める。僕が選んだ服を着てくれたようだ。 「そうなんですか。よくお似合いですよ。あ、襟元(えりもと)が……」  先ほどの乱闘で、タイがよれている。僕は手を伸ばして整え、シオンを見上げてにっこりした。 「はい、綺麗になりました」 「……!」  シオンは息を飲み、顔を赤くする。  何にそんなに驚くのだろうかと僕は首を傾げ、ディルレクシアならそんな真似はしないだろうと思い至る。  まずい、適当に誤魔化さなくては。  そろそろ「病気をしてから、しおらしい」の効果が薄れる頃合いだ。 「あっ、えっと、それでは。僕は用事があるので……」 「服について、ありがとうございました。お顔を拝見し、お礼を申し上げられて、光栄にございます」  先ほど見えた動揺は消え、シオンは丁寧にお辞儀をする。  預言部署のほうへ歩きだしながら、タルボは生温かい目をした。 「初々しいですね。幼子(おさなご)の初恋を見ているようです」 「え? ディルレクシアと違うことをしちゃったから、焦ってるだけで」 「ええ、ええ。そういうことにしておきましょう」 「いや、そういうことなんですけど」  何をどう誤解したのか、タルボは兄の顔をしてにっこりした。
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